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建築とかデザインの雑考

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前期が終わり、色々思う。

ようやく前期が終わった。
これまでの教員生活で最もハードな半期であった・・・
(博士論文の時よりも!)

なんというか。人との関係だと思うのだけど
やはり、デザインという分野はアカデミックな人は少ないな・・・
という印象。これが決定的に、ストレスなのである。
全く価値観が違うので、とてもやりにくい。
多分、建築の人はもう少しアカデミックであったり、工学的なので人のことを気にしないというか。自分はや

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そろそろ日本のデザインのはなしかな

そろそろ日本のデザインのはなしかな

やっとフランシス・デュブルイが咲いた!毎年のとっておきの楽しみである。そう、私のペンネームは大好きな薔薇の名前。

毎週、デザインに関する共通テーマ(上位概念)を取り上げて講義に取り入れている。
そろそろ、日本の話に入りたいなと思っている。
私にとって、「日本」というテーマは、最後に食べようと楽しみに取っておく大好物みたいなものだ。

そもそも、はるか昔、建築を学ぼうと思ったのも、日本の建築を学び

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雨とサウナと。右脳と左脳。

かつてない密度で講義をやっているせいか
頭がオーバーヒート気味。
長年やっている講義ならいざ知らず。

左脳を使いすぎているからだ。
もう少し、右脳を使って授業できんものか・・・・。
バランスが悪いと感じる。疲れる。

今日は第二Qの1回目だった。

出席を取るのに、webを使ってみた。
コメントが書き込めるようにしたところ、
スライドを送る速度が速く、ノートを書くのが追いつかないため、ゆっくり進

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感情と記憶

個人的な領域で、音楽というのは、個人の特定の記憶や感情と結びついている。後になって曲を聞くと、その頃のことがよく思い出される。内的な部分で深く結びついている音楽というものがある。

音楽は形を持たない。だからこそ、内的なものとダイレクトに結びつきやすいのだと思っている。どのような容器、個人的な特定の内的な容器にも流れ込んでくる。音楽というのは、そういったあり様(よう)をしている。そういうふうに思う

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ぐるぐる回って、立ち返る。

ふむ。

3日後に始まる、授業の内容に、今更ながら疑問が湧いてきた。

いつの間にか、教科書的な、もっともらしいことで埋め尽くそうとしている。

わー、正直、これ面白くない。

授業のネタに、参考になるかなと思って購入した本は、もっともらしいおしゃれな装丁で、もっともらしい人(デザイン界のお偉いさん)が書いていて、何だか難しそうな、退屈な、漢字がたくさん並べ立てられ、美辞麗句のオンパレード。
デザ

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デザインとは何か。アートあるいは芸術とは何か?

デザインとは何か。アートあるいは芸術とは何か?

それが大学2年生向けに私が受け持った授業での最初のテーマだ。とてもありふれていると思う。
こんなことについて、今の若い人は考えたりするものだろうか。
ありふれているが、やはりここから始めようと思った。本質的な問いだと思う。そのことは、デザインにせよアートにせよ、それを仕事にしていく上でずっとつきまとっていくものだろうと思っている。

学生は分かりや

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在宅ワークスペース。世の中にはこんなにモノが溢れているけど、本当に自分の欲しいものはなかなか見つからない。

先日の自宅ワークスペースからの続き。
キッチンカウンターに折りたたみ机を置くのはやめた。
色々考えた結果、モニターを置いていたキッチンワゴンを撤去して、その場所に折りたたみデスクを置いて見たら、意外としっくりきて、ついでにダイニングテーブルの配置も変えてみると、リビング内になんとなくワークスペースらしき空間ができた。うん、この場所で行こう。

しかし、この折りたたみテーブル、仕事するにはちょっと・

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スイッチ。

いつか、東北を車で旅した。
湘南を出発して、新潟の日本海まで行き、そこから海沿いに北へ。

鳥海山の横を通り過ぎるとき、大雨で、海に稲妻がたくさん落ちていた。
幾筋もの紫色の光がギザギザに、荒れた暗い海に刺さるのを見て、スイッチが入った。
日常から、非日常へ切り替わるスイッチ。

いや、逆なのかもしれないとも、思う。

日々自分が日常だと信じている頭の世界、つまり思考の世界から、感覚の世界へと、あ

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時間と空間〜ケルン大聖堂

時間と空間〜ケルン大聖堂

ギーディオン的なタイトルになってしまった。いや、まさにそういう言葉を想起させるものだった。

ずっと以前の写真を見ていて思い出したので、あのインプレッションを書き留めておこうと思った。

偉大な建築。建築を教科書や図集や、雑誌で知るのではなく、「体験」として体の感覚で知るとき、私は偉大さというのを感じる。ケルン大聖堂はその一つだった。

誰が作った、どのようにして。そういうことを超越して、存在して

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鬼滅の刃&伊勢神宮。

鬼滅の刃&伊勢神宮。

ちょっと前に、鬼滅の刃の最終巻まで読み終わって、ふと昨日思ったことのメモ。

※若干ネタバレです。

もちろん、いろんな現代的なテーマが含まれているからこれほど流行るのだろうけれど、私は、そのひとつを、伊勢神宮に象徴されているものに重ねてしまった。

それは、「永遠」。

キーワードとして「想い」と言う言葉がよく出てくる。

とても重要なシーンのひとつだろうと思うのだけれど、お館さまが、無惨に言っ

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実家がちょっと怖いお話・・・と、空間、建築、町の話。

子供の頃から、オカルトや心霊写真、ホラー映画などが大好きだった。「ハロウィン」というホラー漫画の雑誌を購読したり、ホラー漫画を集めたりもした。今日は実家の怖い話、それと空間、そしてちょっと建築の話。

「骸骨取り」小さい頃、父に、子供ふたり(私と兄)で「骸骨取り」という肝試しをさせられていて、夜、家のすごく怖いところに置いてあるレプリカの骸骨を取りに行く、というものだった。家は江戸時代から続いてい

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建築における「代理表現」という重要な概念について

建築の様式を語る上で、歴史を知る上で、重要な概念のひとつである「代理表現」について今日は少しだけ触れてみようと思う。

これは、意識しなくても建築を学んで行くとある程度、身につくことでもある。設計するには必ずそれを踏まえている。それは無意識だとしても、歴史を知る上ではその代理表現は意識的に見ないといけないので歴史を語ったり、歴史的建造物を見る上では必須の概念である。

ドイツの著名な建築史家フリッ

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日本文化に見る「永遠」のかたち〜伊勢神宮のこと

 少し前に、アルチュール・ランボーの「永遠」の引用をした。永遠とは、太陽に溶け合った海だと。
 永遠に物理的なかたちを残せるものは、この地球上にはない。日本建築は基本的に、木でできている。木は燃えやすい、生きている素材であり、永遠にかたちを留めることはできない。古い時代の日本建築には、非常に洗練された形式で、その「永遠」を閉じ込めているものがある。

 その代表は、伊勢神宮。

伊勢神宮の式年遷宮

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建物の資産価値、その出発点

これは思考的には、続きの記事でもあります。

(1) 土地と家の資産価値について、思うこと
(2) 札幌で家を買うことに〜家の断熱のこと

しかし、つくづく思うのは。

家は買った時が一番資産価値が高い?? 土地は別として、新築マンションにしても、建築物は買った時点での資産価値が一番高い、というのは、考えて見たらすごく違和感もある。

 つまり、住宅は、基本的に、「劣化して行く」ということが、前提

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