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【アニータ・ムアジャーニ】亡くなった人は何をしているのか 〜向こう側で見てきたこと 6 (動画・翻訳)

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こちらの記事をご覧いただき、ありがとうございます。
個人的に敬愛するアニータ・ムアジャーニ(Anita Moorjani)さん出演の動画(2021年11月公開)の音声を翻訳した、はろ/Haloです🍀
 
「喜びから人生を生きる! 臨死体験が教えてくれたこと」発刊10周年記念版(原書)発売 アニータ・ムアジャーニ
(日本語翻訳版は2013年初刊)

アニータム・アジャーニ
オリジナル動画 
What Do Dead People Do? - View from the Other Side, Episode 6 2021/11/08 にライブ配信(24分22秒)
Anita Moorjani Official YouTube Channel
【オリジナル動画(英語音声)で聴きたい方はこちらの「オリジナル動画」からどうぞ】


こんにちは、みなさん!
こちら、私アニータ・ムアジャーニの「向こう側で見てきたこと」シリーズのライブ配信をご覧くださり、ありがとうございます。

亡くなった人というのはいったいどうしているのか


今日は、もしかしたら不可思議に聞こえるかもしれませんが、「亡くなった人というのはいったいどうしているのか、何をしているのか」についてお話ししたいと思います。
私の動画を見た方から、本当にたくさんのコメントやフィードバックをありがたいことに頂戴し、拝見していると、中でも、本当に多くの皆さんから寄せられる質問として、死後の世界について、「では、私の愛する亡くなった人というのは、あの世で一日一体何をしているんでしょうか」、「私たちが亡くなってあの世に渡ると何をすることになるんでしょうか」、「退屈しないでしょうか」、「ゴルフはできるんでしょうか」、「チェスはできるんでしょうか」、「一日中楽しく過ごせるんでしょうか」、「どんな場所なんでしょうか」、「住む場所・家はあるんでしょうか」、そんなありとあらゆる内容の質問をいただきます。

そんなわけで、今日は、よく見受けられる勘違いというか、皆さんから寄せられる疑問をクリアにできるようお答えできるようお話ししたいと思っています。

(ご覧になっている方で、私のことをご存知ない方は、私が末期癌から実際に死の瞬間を迎え、実際に臨死体験から生還してきた話をご紹介した、アニータ・ムアジャーニ向こう側で見てきたこと」動画シリーズの1 をご覧ください。)

物理的肉体はないが意思をもっている魂・霊


まず、最初に強調したいのは、私たちが死を迎えて、向こう側の世界に渡ると、私にはそこには物理的な肉体がないということです。そんな当たり前のことじゃないかと思うかもしれませんが、その物理的な肉体を持っていないということが実際どのような状況、どのようなことを意味しているかは、実際、私たち人間は、そうなってみないと完全にそういうことかとは理解し難いとは思いますが、物理的な肉体がないというのは、そこには生命現象(バイオロジー)がないということになります。生命現象(バイオロジー)がないというのはどういうことかというと、性別、人種、肌の色、いわゆる人間の姿形、そういうことに関連した生命現象が存在していないのは、もちろん、声帯もないですから、声というのは存在せず、テレパシーのようなコミュニケーションしか取れないわけです。周辺にいる人々の感情を聞く、というか、感じ取って受け取ることはできます。実際、私が死との境目にいる時には、私のその死にかけている肉体の周りを取り囲んでいた家族それぞれの感情や考えを、すべて感じることができました。だからこそ、私からもコミュニケーションを取りたいと思うのですが、自分は声を出すことができません。私は、すごく素晴らしい気分だし、私は大丈夫と伝えたいのに、声帯は使えません。
さらに、生命現象(バイオロジー)がないということは、目もありませんし、耳もありません。しかし、研ぎ澄まされた感覚というのは存在しています。本当に鋭い認識というのがそこにあるんです。
私たちが死を迎えたとしても、自分の周辺で起こっているすべてのことを感じて知ることができるんです。超えたところで、(物理的な次元を)超えたところで。

言い換えると、例えば、私たちが物理な肉体にいて、ものを見るときは、目が焦点を合わせたものを通して、ものを見ています。肉体を持たずに、私たちが純粋な魂、純粋な真の霊的存在になると、なんというか360度、全方向に見えるんです。上も下もなく、周囲との境目もなく、純粋でクリアな本当に研ぎ澄まされた意識になるんです。

聴力というのも、テレパシー能力のようになります。すべての音を認知できていて、その音の大小に関わらず、あなたは、ありとあらゆる音を認知できるのです。物理的次元での大きい音だからといって、耳を痛めることもありません。だって、そこには肉体としての耳や鼓膜もないのですから。聞こえるというより認知するんです。わかるんです。あらゆる音調、小さな音だろうが、何マイルでされている囁きであっても。
だから、在り方としては、肉体を持っている時とはかなり違うので、その状態に慣れるのに、少し時間がかかります。

だから、私たちの愛する人たちは亡くなると、まず最初に、自分たちには物理的な肉体を持たないという事実に慣れなくてなりません。その上で、どうするのかを色々やってみたりします。私にはそういうことが起こりました。
でも、痛みや悩みは完全になくなり、苦しみ、怖れ、すべてから解放されて、本当に最高の経験なんです。
その次の瞬間、私は、他の愛する人たちの精霊(エッセンス)というか魂(ソウル)というか、高次元の愛に満ちた存在の精霊(エッセンス)というか魂(ソウル)といったらよいでしょうか、そういった存在に囲まれました。その場で、全員が誰だとはわかりませんでしたが、一部は誰だかわかりました。

質問「私たちが死んだ時に、私たちの愛する亡くなった人や動物と繋がることはできるのか」への回答

私がいただく質問で多いのが、冒頭で触れた「亡くなった人は何をしているのか」と、もう一つ、「私たちが死んだ時に、私たちの愛する亡くなった人と繋がることはできるのか」という質問なのですが、そのお答えは「イエス(はい)絶対に(繋がることができます)」になります。
人というのは、亡くなった時、どなたでも、その亡くなったご本人にとって安心感を得られるような方々の霊・魂に囲まれます。人だけでなく、動物・ペットの魂・霊も含みます。ペットの霊・魂も私たちを安心感へと導いてくれます。
私たちが亡くなる時、死ぬ時、死ぬ瞬間、私がお伝えしたい最も重要なことというのは、その亡くなる人が実際にほんとうに心から心の底から安らかな感覚に包まれているということなのです。私達が死ぬ時、あちらの世界の感覚、ビジョンは、完全な愛に包まれる、包み込まれる感覚そのものなのです。

質問「あの世とはどんな場所ですか」への回答


では、「実際に、亡くなった人というのは、向こう側で一日何をしているんでしょうか」という質問に戻ります。物理的な肉体はなく、物理的なニーズもないので、家というようなものは必要ありません。もしそういった事象がその人の魂にとって心地よさになるのであれば表出されます、そういったビジョンが、顕現します。
だから、皆さんがよくくださる「向こう側とはどんな場所ですか」という質問についての答えになりますが、文字通りどんな場所でも、その人それぞれが見たい景色の場所ということになります。もし宇宙を通過したいのであれば、宇宙空間を通過していくことになりますし、もし他の惑星に飛んでいきたいのというのであれば、他の惑星に飛んでいきます。銀河系の惑星を旅したいのであれば銀河系の惑星に、あるいは、美しい草原、木々、草地、美しい住みたい家やコテージや、飼いたい動物や、、、、なぜかというと、文字通り、あなたという存在は浄化されて純粋な魂として表出するから。そんなあなたに他の魂も引き寄せられてきて、そこにあなたのために存在してくれていて、その上であなたがあなたの魂として顕現化する・・・。
ただ、私の感じたままをお話すると、あなたの魂はそれすらもそんなに長い時間は必要なくなっていくのです。というのは、こちらの世界で、自分が知って慣れた感覚のものに囲まれたいという欲望は、例えば、ゴルフをすることができますかという質問をいただきましたね、さあ、亡くなった後にゴルフをし続けたいという欲望、じゃ、ゴルフとする時間ができた、あるいは、チェスをする時間ができた、読書をする時間ができた、色々こちらの世界でやり残したことをしようという欲望についてですが、そのようなものは、もしあったとしても、一瞬、ほんの一瞬で消えていきます。そうした欲望は、生と死の境目を超えた時に、一瞬、向こう側に慣れる前「こぶ」のように出てくるかもしれませんが、すぐにそんなものは必要ないと気づくことになるでしょう。実際、この世に来ている理由というのは、こういった経験をするために来ているのですが、時間を過ごしたり、楽しめる物事を見つけたり、食べたり。
あ、もう一つ、死というのは物理的肉体がないので、食事を摂ったり、食べたりする必要がないんです。食べ物というのがないのです。皆さんの中には「向こう側の世界では、思いっきりチョコレート食べることができるんですか」と聞いてくる方もいます。はい、チョコレートを好きなだけ食べることはできます。というか、絶対に、そういったご自分が好きなだけチョコレートを食べている満足感、センセーションを味わうことはできます。言い換えれば、魂というのは、そういったセンセーションを文字通り顕現することはできますが、それをするのに実際に物理的なチョコレートがそこに必要ないということです。肉体がなく生命現象がないということは、食べて、消化するということもそこには存在しないわけです。ジェンダー(性)の違いもありません、なぜなら向こう側の世界では、この世のように、肉体を用いて生殖する必要がないからです。

もう一つお伝えしたいのは、私たちが死んだ時、亡くなった時というのは、私たちは純然たる精霊、魂、霊になるわけです。私たちのほとんどが、というか、私たちの誰もが、複数の人生(過去世・過去生)を生きているのですが、死のラインを超えた瞬間は、結局、その死を迎える直前の人生(前世)だけ認知することになります。例えば、私、アニータ・ムアジャーニは、死んだ瞬間、こちらの世界のアニータ・ムアジャーニの家族、愛する人達をそれぞれあの人だこの人だとわかります。私が死んで、囲まれた、私の愛する人たちの中には、私の父や、親友のソニーも、この世で知っていた人もいました。他に誰だかわからない愛に満ちた霊的な存在にも囲まれていたのですが、それは私が思うに、このアニータ・ムアジャーニではなく、他の人としての人生で関わりがあった人たちではないかと、それか、高次元の存在で、私の魂を見守ってくださるためにいた、一度も肉体を持ったことがない魂だったかもしれません。
ただ言えるのは、仮にもしもっとあちらの世界にいたとしたら、私の魂が生きた別の人生についてももっと詳しく知り始めたのではないかと思います
そこで何が起こったかというと、その魂は、アニータ・ムアジャーニの魂というだけでなく、他の別の人生(過去生・過去世)で過ごした全て人たちの魂でもあることが意識できたのです。だから、死んだ後は、今回の人生に関わりのある愛する人たちの魂だけでなく、他の人生を生きた時の魂、その時に繋がりのあった魂とも繋がりを感じることができたのです。
その上で、物理的な肉体がないし、言ってみれば、物理的な境界がないわけだから、そういう魂たちともテレパシーのようなコミュニケーションが取れるんです。テレパシー的コミュニケーションといっても、この世で、私たちがテレパシーと聞いて想像するようなことではなく、向こう側では、直線的な時間、文字列、物事を一連に連鎖し、生成するというような前提にない、全てが文字通り一瞬・同時なのです。もしある魂が何かを伝えたいと思えば、その魂の霊が、一瞬にして、あなたの魂の霊に文字通り統合(相互接続)して、同時にその魂が伝えたい真実、魂の意味するところをあなたは知ることができるのです。お互いの隠し事は一切ありません。全ての魂がお互いに瞬時に互いのことを知ることができるのです。偽りのあなたになる必要も一切なく、あなたの霊というのは透き通っていて、あらゆる魂が互いの真のあり方を瞬時にわかっていて、あなたが何を伝えたいのか瞬時に分かり合える、そんな感覚です。そういったレベルまで、私たちは全て繋がり合っているのです。

だからこそ、死を経て、向こう側の世界に行くと、私も含めて、皆さん全員、一つに繋がっているのです。私たち皆が一つなのです。
もし、良ければ、私が以前に配信した、私たちの魂の旅について語っている動画も見てください。(はろ/Haloが翻訳した記事はこちら→)

私がミラーボールのたとえを使って、私たちそれぞれの魂はミラーボールの多面体を構成しているそれぞれのミラーですが、私たちの魂は一つの巨大なミラーボールとして繋がっている話をしています。私たちそれぞれの魂は一つに繋がっていながら、その一部として、私たちそれぞれの魂は個々になっている状態です。しかし、ここで強調しなければいけないのは、その個々である状態が、この世で私たちが感じているのとは全く違うということです。
ミラーボールの一つの単体ミラーが、アニータ・ムアジャーニの魂だとしましょう。そのミラーは、アニータ・ムアジャーニの魂だけでなく、その魂から発している光は、今世はアニータ・ムアジャーニだが、そのミラーの魂は、生まれ変わって生きた他の人全ての魂でもあるのです。ある人生では、男性でもありましたし、別の人生では女性の時もありました。誰かの母であったり、娘であったり、誰かの兄弟であったり、誰かの姉妹であったり・・・。アニータ・ムアジャーニが、この肉体を離れた時の、私の魂というのは、ミラーボールの一つのミラーというのは、現世、このアニータ・ムアジャーニとなっている魂でありながら、他の色々な人生を送っている人たちの魂になっているのです。

私はよく、あなたの今、生きている、この肉体、今のあなたの命というのは、氷山の一角に過ぎないということをよくお話していると思います。
あなたの魂というのは、あなたの物理的な肉体とは、比べものにならない巨大な巨大なものです。それは、あなたの魂というのは、複数の人生・命を過ごしてきて、それらの全ての人生から莫大な情報、経験を得ているからです。だから、あなたの魂というのは、あなたが思っている以上に経験も知識も実際に持っていて、この世で、この物理的肉体の範囲で、得られる知識や経験とは比べものにならない智慧の存在です。

それでは、魂というのは、物理的な肉体を離れて、物理的な肉体を通じて魂を表現していない時は何をしているのでしょうか。生きている物理的肉体という表現をしていない魂であっても、進化の旅は続いていて、引き続き、こちらの世界で肉体を持っている人々の助けをしたり、この世の人達を見守って助けたり、この世の人達が高次元に成長するのを手助けし続けているのです。

どんな魂も成長し続けている

ここで、私から補足したいのですが、ありとあらゆる魂というのは、それぞれ違うステージにいて、それぞれの違うステージでのそれぞれの成長、進化を遂げているのです。
時々、この世では、どうして悪行極まりない行いをする人間が存在するのか不思議に思うことがありますよね。つい、そういう悪行を働いた人は、死んだ後、あちらの世界で裁かれ懲罰を与えられればよい、永遠の地獄に送られてしまえばよいと考えてしまうこともあるかと思います。実際はそうではありません。
死後の世界は、そういう行為の懲罰の場ととらえるのではなく、むしろ、再生の場となっているととらえる必要があるかと思います。

死後の世界に渡ると、私たちは、「あー、私はこんなことをしたんだ。こうではなく、もっと違う風に行動すればよかった、ひどいことをしてしまった」と気づきます。たとえ、そうであっても、向こう側には、悪という概念がありません。私たちが「悪業」とレッテルを貼る全ての行為というのは、この世にしか存在しないのです。向こう側の世界には存在しないのです。
なぜかというと、向こう側では全ての魂が全ての魂の動機を瞬時にわかっているし、課題や悩みも存在しないし、競争も存在しません。競争、欲望・・・そういう、いわゆる悪の行為に駆り立てるものは、この世にしか存在しないのです。
私がそこで信じているのは、そもそも、人生を歩み出すときは、どの魂であっても、誰もが一人一人良い意図をもって、こちらの世界に来ています。それが、何らかの理由で悪の方に引っ張られて、誰かにいじめられ蔑まれたとか、その時々によるのでわかりませんが、何か・誰かのよくない影響を受けて巻き込まれたとか、感情が抑圧されたとか・・・。
死んだ後、私たちは、自分で、何がうまくいかなかったかを、自分自身で理解することになるのです。私たちの魂は、そこから成長して、修正して、それを魂の旅に活かしていくのです。それは、あちらの世界からこちらの世界をサポートする役目をすることによってか、あるいは、輪廻転生して、また別の人生を歩むことになるのか、そうした進化を遂げていきます。

それぞれの魂は、それぞれの魂で違うステージで、成長・進化を遂げています。だから、多くの魂の中には、他よりも多くの人生、人生経験を得ている比較的「進化を遂げた」魂というのもあります。ですが、私は普段は「進化を遂げた」という言い方を使いたくないのです。なぜかというと、「より進化を遂げた」という表現には、ジャッジメントが含まれていており、まるで、あの人は、この人より「より進化を遂げている」「進化を遂げていない」というジャッジメントの目線が含まれているからです。だから、普段は、私は「より進化を遂げた」魂という言い方は避けています。私には、誰の魂が、他の誰かより進化を遂げている、まだ進化していないというジャッジをする権利もありませんし。ただ、(向こう側からこの世界に戻ってきて)世界には、人生経験が他よりも豊富で、この惑星を高次元に高めるために存在している特定の魂の人々がいる一方で、まだ自分の現実に苦しんでいて、どうにもうまく行かなくて、その結果、他の人を傷つけてしまうかもしれないような行為に及んで、魂の旅を延々と続けている人々もいるというのは実感します。
だからこそ、この世にいる間にも、この物理的な肉体を持っている中でも、この物理的な肉体という領域から、自分自身を高めることは重要なことなのです。自分自身を、より人生経験を積んだ人々、高次元の波動を放っている人々、いわゆるこちらの世界で言う「より進化を遂げた」魂を持つ人々と足並みを揃えて、同調していく(アライン)ことが重要なのです。それはあなた自身にとってもより自分を高める人生を送れるでしょうし、それをすることで、この惑星をもっと高次元に上げていく手助けを実際にしていることになりますから。

向こう側に渡ったから終わり、では決してありません。私たちの魂は、経験を積み、私たちの魂は、この世界で、愛する人たちの魂との経験を通じて、進化・成長しようと続いていきます。この人生での愛する者、他の人生での愛する者を助けて支援しています。そうなんです。それと、私が知っているのは、この次元だけでなく、この惑星ではない、他の次元の惑星に生まれ変わるということもあります。向こう側ではそれすらも絶対に可能なんです。

無条件の愛である向こう側の世界からのサポートを信頼し受け入れ招き入れることが必要


もう一つ、お話ししておかなければならないのは、愛する人々が、魂が、私たちを高めよう、私たちを助けようとしてくれたとしても、そこには、私たちの自由意志というのがそこにはあって、助けてもらうかもらわないかも、私たちの自由であり、責任であるということです。彼らにも意思があり、私たちを高めたいと思っており、それが、彼らの魂の成長の助けになるのです。私たちが彼らの助けを受け入れることで、彼らの魂の成長を助けていることもあると言い換えることができます。それは、彼らの進化の一部を成しているということです。こちらにいる私たちは、そのことにオープンである必要があります。本当に、心から、向こう側の魂・霊が、私たちを通して、そうものごとが動くように許可をするということが大切なのです。完全に信頼することも必要です。

興味深いことは、私たちを最も傷つけた人というのが、向こう側の世界の魂では、決定的に私たちを高める助けをしてくれているということです。また同時に、本当に豊富な多くの人生経験を得た魂が来てくれて、私たちを、私たちの惑星を、私たちの人類を、私たちの文化をサポートしてくれているということです。
文化、私たち人類が日々暮らしているこの物理的次元の文化ということでいうと、あちらの世界の視点から比較する訳ではなく表現するとしても、そのの文化は全体的に、非常に未熟、低次元だと言わざるを得ないのです。私たちの文化は、いまだ、競争、冷酷さ、欲望というものに高い焦点が当てられており、権力欲もあるし、国家で言えば、人間に衣食住を供給するよりも、人を殺害しても、軍備の開発に資金を投入することに関心が高く、そういうことで言えば、私たち地球上にいる人間というのは、とてもとてもとても未熟な種類の存在だと言えるでしょう。

私は、心の底から、一点の曇りもなく、向こう側の世界にいる魂や霊というのは、現実に、私たち人間を助けようとしていると信じています。私たちの側もそれを助けなければなりません。そうした助けを受け入れる許可をするのです。どうやって彼らの助けを受け入れて許可するのかといえば、彼らが私たち人間を助けようとしていることを知っていて、彼らが私たちを通じて、それを体現することができることを心をオープンにし全面的に信頼するのです。そんなの超自然現象で馬鹿げているとか、懐疑主義に囚われすぎないでください。そうすると、(彼らがサポートしようとしている)全体の現実はもとの木阿弥となり、それによって私たちそのもの存在というのを、この世で目に見えている、(先ほどお話しした)ほんの氷山の一角に引き戻して制限しまうことになるからです。私たちが本当は何者であるのか、その10%も見えていないという話です。

心を開いて、向こう側の世界の魂・霊の助けを受け入れ、高めていくためには、それと、彼らにガイドしてもらうためには・・・そうです、彼らは、私たちをガイドしよう、導こうといつも試みています。彼らは、私たちそれぞれの人生を高めるためもそうですが、この惑星の成長を高めるのを助けるために導こうとしています。静かに(一人瞑想する)のもそうですが、例えば、ベッドに入る前に、彼らに実際にお願いすることもできます。「私は、あなたの導きを顕現していただきたいです、どうぞこの次元で見せてください、眠っている間に私に見せてください、私に案内(ガイダンス)を見せてください」と実際にお願いすることもできます。心をオープンにして、そうしたサインを受け取ることにオープンになってください。

私達誰もがこの物理的領域には体験をすることを選択し生まれてきている


もう一つ、私が信じていることは、私たちは、こちらの世界に生まれてきたくて、それを選択してこちらの世界、この物理的次元に生まれてきているということです。この物理的次元に来ることを楽しみにして、生まれてくることを選択しているということです。私たちはこの肉体を通して、感じることを経験したいし、この肉体を通して表現したいし、この肉体を通して、食べる、チョコレートを食べるということも経験したいし、誰かや何かに恋に落ちたり、愛したりというのを経験したいし、人間関係というのも経験してみたい。ゴルフをプレイしたい、何でもいいですが、そうした何かをやってみたい・・・こういったことは向こう側の存在にはありません。ですが、私たちはそういうことをしたいと望んで、この世界にやってきたんですよ。
私が伝えたい、私たちがみなさんに気づいて欲しいと信じていることは、私たちは、苦労する、悩むために、こちらの世界にやってきたのではないということです。人生、時々は、苦労する、悩むということは必然でに起こると思います。それが、私たちを次のレベル、次元に導くということはあります。しかし、それは人生の真の目的ではありません。私たちがここにいる真の目的は「(肉体をもって)経験する」ということです。ありとあらゆる種類の感情を経験するということです。喜び、楽しみ、笑い、愛、本当の愛を感じることが含まれます
向こう側の世界のあらゆる魂・あらゆる霊・あらゆる存在は、それぞれが進化のどの過程にあるにかかわらず、今からお話しすることが、私が「より進化を遂げた」という(ジャッジメントが含まれた)語彙で表現できない理由でもあるのですが、それぞれが進化のどの過程にあるにかかわらず、あらゆる魂・あらゆる霊・あらゆる存在は、お互いに、傷つけることは一切存在せず、あなたの魂を愛しているのです。愛、愛、愛、本当に、そこにあるのは愛だけなのです。そこに存在する意思というのは「助ける」ということだけです。ある魂が、あるほかの魂よりより智慧を持っていてもっと助けることができるという表現はできます。それは、その前者の魂という場合、もっと多くの人生経験を得ているからです。その魂よりは人生経験が少ない魂というのも確かにあります。それでも、ありとあらゆる魂・霊というのは、私たちを愛しています。そして、そうした魂は、助け、それによって自分の魂を高めるという意思を持っています。そうした魂が私たちを助けることで自分の魂を高めるために、私たちも、それを許可し受け入れることが必要です。

向こう側の世界のあらゆる魂・霊は愛であり、この世やあなたの癒しと人生経験を高める助けをしたいと望んでいる

人は、人生経験の少ないまだ進化の進みきれていない魂の場合、それが私たちを傷つけるのではないかと怖れる傾向があります。そういう魂はネガティブ、悪であり、悪霊は進化を遂げていない魂だと決めてしまうところがあります。
しかし、それはこちらの世界で起こっていることです。悪というのはこちらの世界で起こっていることなのです。人々が、もう逃げ場がないという感情に囚われた時、危機に陥ったと感じた時、虐められたと感じた時、トラウマを抱えた時、感情を抑圧された時など、これまで、何度もお話ししてきたような、人が辛い状況に陥った時に、悪というのはこちらの世界で起こっていることです。
向こう側の世界では、悪霊というのはありません。あるのは、無条件の愛だけです。
はい、確かにもっと多くの智慧を持っていて、他の魂よりも大きな影響や変化を与えることのできる魂というのは存在しています。それでも、ありとあらゆる魂・霊の意思というのは、どんな魂であっても、それは愛なのです。
この世で、たとえ虐待者としてこの人生を過ごした人の魂であっても、死んだ後には、自分の行動がもたらしたダメージというのを見ることができ、自分はあの時そうではなくこうすればよかったと気づくことになるのです。向こう側の魂や霊が成し遂げたいことは、どんなあなたが傷つく経験の原因を彼らが作ったとしても、そこからあなたが癒されよう助けることだけ、それだけです。

それを知っていただいた上で、私が、今日、最後にあなたにお伝えしたいことは、あなたはいつも愛する人々の魂、愛の意識の存在に囲まれていることと、必要があれば、いつでも彼らを招き入れてくださいということです。助けを求めてください。あなたが招き入れ受け入れない限り、そうした存在は、あなたの人生に介入することができないのです。

ご視聴いただきありがとうございました。
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次の「向こう側で見てきたこと」動画シリーズ配信時に、お会いしましょう。
ありがとうございました。


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