野上大樹@作家(旧名:霧島兵庫)

熱くて哀しい小説を書きます|第20回歴史群像大賞優秀賞|日本文藝家協会会員|ペンネーム…

野上大樹@作家(旧名:霧島兵庫)

熱くて哀しい小説を書きます|第20回歴史群像大賞優秀賞|日本文藝家協会会員|ペンネームを『霧島兵庫』→『のがみたいき』に変更しました。 既刊本は新潮社から「甲州赤鬼伝」「信長を生んだ男」「二人のクラウゼヴィッツ」、中央公論から「静かなる太陽」。

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【自己紹介】ジャンルで区分されるのが嫌な作家のこれまでとこれから(2024年更新)

初めまして。野上大樹のnoteページへようこそ。ぼくは第20回歴史群像大賞の優秀賞を経てデビューした小説家です。 名前は「野上大樹」。本名です。 実は、デビューしてから8年間は霧島兵庫という筆名で執筆してきました。しかし目立った結果を出せなかったことから、2023年に改名、というか腹をくくって本名で戦うことを決めました。プロOKの新人賞を獲得しての再デビュー、というわけでもなく、ぬるっと、いつの間にか名を変える。とある編集者いわく、「聞いたことないよね」だそうです。 こ

    • 作者が透けて見える小説は駄作?

      僕の小説を読んだ知人から「この作品、自分のこと書いたんでしょ?」と言われて恥ずかしい思いをしたことがあります。 物語に入っているときに作者の顔が透けて見えたら急に現実に引き戻されるし、興醒めだし、作家としての腕のなさを指摘されたような気になったからです。 で、それ以来、作者の影はできるだけ作品中から消そうと思ったわけですが、数年やってみて、いや、ちょっと違うかもしれないと思い直しました。 作者の性格そのままのキャラを登場させる手は何度も使わないほうがいいのは間違いないけ

      • できますか?『訊く』と『聞く』の使い分け

        昔々のその昔、小説を読んでいてルビ付きの”訊く”という表現に初めて遭遇したとき、「聞くって書けばいいのに、お高くとまりやがって」と思ったことがあります。 わざわざ難しい漢字を使うことで著者が自分を高尚に見せているように感じたわけです。『訊く』に『尋ねる』という意味が含まれているのを知ったのはしばらく後でした。”同音異義語”という厄介な存在を認知したのはそのときが人生初だったかもしれません。 「丸いと円い」「固いと堅い」「飲むと呑む」「噴くと吹く」「昇ると上る」などなど、同

        • 3分で語るままならない創作の日々(2024.3.24)

          ありがたいことに、たまに作品の感想をいただくことがある。その際よく聞くのが「真に迫っている」という感想だ。ぼくの作品には必ず戦場が出てくるが、その描写に「迫真性」を感じてくれているらしい。そしてこれまたよくある反応なのだが、ぼくが元自衛官だと知ると、感想をくれた読者さんは「この真に迫った感じは自衛隊の経験ゆえですね」と妙に納得するのだ。しかし、自衛隊はこれまで一度も戦火の洗礼を浴びたことがないし、ぼく自身も戦争経験なんてない。にもかかわらず、ぼくの文章に戦場のリアルが宿ってい

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        • 野上大樹の活動記録
          11本
        • 霧島兵庫の活動記録
          4本

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          3分で語るままならない創作の日々(2024.3.23)

          創作は孤独との戦いだ。常にだれかに囲まれているように見える売れっ子作家も、生きているのか死んでいるのかわからないような木っ端作家も、机に向かうときは、戦いに臨む時間は、究極的な意味で孤独だ。従って、この孤独に呑まれないための算段が作家には必要となる。 売り上げを気にしたり心無いコメントに傷ついたりいつ終わるとも知れないリテイクの連続に疲弊したりしながら、それでも孤独に押しつぶされない心の健全さを作家は維持しつづけなければならない。もしも心から健全さが失われたら、人の心を打つ

          3分で語るままならない創作の日々(2024.3.23)

          3分で語るままならない創作の日々(2024.3.22)

          2歳になった次男の口癖が「あっち行って!」で困っている。保育園で一緒のクラスの友だちが何か気に食わないことがあるときに使っているみたいで、すっかり移ってしまったらしい。 「ご飯食べようね~」 「あっち行って!」 「お風呂入ろうね~」 「あっち行って!」 「テレビはもうおしまいね~」 「あっち行ってッ!!」 毎日こんな感じなのだが、特に眠たくなってきたときが最悪で、長男をたたいたり、妻におもちゃを投げつけたり、なかなかのモンスターぶりを発揮する。 そこでぼくは対応を変

          3分で語るままならない創作の日々(2024.3.22)

          3分で語るままならない創作の日々(2024.3.21)

          ぼくは九州に住んでいる。妻の実家の近くに移り住んで約8年になるが、ここはぼくの知らない土地だ。だから知り合いはいない。ぼくは父の仕事の都合で小さいころから引っ越しを繰り返してきたから、特に故郷と呼べる土地も持たない。最近テレビでぼくみたいな環境で育った者のことを”根無し草ゆえのアイデンティティー・クライシス”と表現しているコメンテーターがいたけれど、ぼくのアイデンティティーはたしかに土地に根ざしていない。しかし違う形で、違う場所で根を張っている。それは人だ。ぼくのアイデンティ

          3分で語るままならない創作の日々(2024.3.21)

          3分で語るままならない創作の日々(2024.3.20)

          朝起きて子どもを保育園に送り出し、散らかった家を片付け、ちょっと息抜きをするともう9時10時になっている。 机に向かって頭が小説脳になるころには昼ご飯の時間で、テレビを見ながら軽く食べ、また執筆に戻ると2時くらいになっていて、子どもが帰ってくるまであと○○時間だから、などと考えながらパチパチやっているとあっという間に夕方だ。 保育園でフル充電してきた子どもが就寝するまで、いや、時には10時11時まで起きていることもあるから、子どもを寝かしつけたあとで執筆する元気はたいてい

          3分で語るままならない創作の日々(2024.3.20)

          創作が楽しいと思っていたあの頃はもう戻ってこないのか?いや戻ってこい。

          辰だ!竜だ!ドラゴンだ! 令和6年ですね。明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。 不甲斐ない令和5年昨年は、改名したりiPadで絵を描いてみたり、多少の変化はあったものの、作家として結果をなにも残せませんでした。書いていないわけじゃないんですが、執筆がはかどらなかったり、調整に時間がかかったりとかで、結局一冊も本を出すことができず、新しい作品を世に発表することもできませんでした。 悔しいです。いや、悔しいだけじゃなくて、経済的にやばいです。 やっぱ

          創作が楽しいと思っていたあの頃はもう戻ってこないのか?いや戻ってこい。

          幼稚園のクリスマス会でサンタクロースをやったら……。

          本業とはなんの関係もありませんが、自分の子どもがお世話になっている幼稚園のクリスマス会でサンタクロースの役をおおせつかりました。 当日、とある園児から「サンタさんはどんな食べ物が好きですか?」と質問を受けました。英語で回答すれば本物っぽさが増すだろうと考えた僕は、すかさずポケットから携帯を取りだし、Googleの翻訳アプリを使いながら英語回答しました。 なぜか先生や保護者の皆さんに大ウケでした。 本業とはなんの関係もありませんが、素敵な一日を経験しました。皆さんもよいク

          幼稚園のクリスマス会でサンタクロースをやったら……。

          作家は経験したことしか書けないってホント?

          そんなわけない。 もし作家が経験したことしか書けないとしたら、世のミステリー作家はみんな殺人を経験しなければならない。 という理屈で切って捨てるのは簡単ですが、SNSで時々ネタになるこの話題には、なにかしらの示唆が含まれているような気がして、もうちょっと深掘りしてみました。 そもそも、書き手の経験がたびたび問題に上がるのはなぜでしょうか。 たぶん、作品内容に関する実経験を作者が持っていれば、リアリティーのある作品が書けるから、と読者や作者自身が思っているからではないで

          作家は経験したことしか書けないってホント?

          曖昧なことを曖昧なまま理解する手段としての小説

          自分の作品を分類されたくない作家です。 この作品は恋愛小説です。これはSF、これはミステリー、これは泣けます。 あまりにも多くの作品が世に氾濫しているので、こんなふうにタグ付けして本を売らないと、読者と作品のマッチングは難しい。 絵なら、それが抽象絵画なのか具象絵画なのかはひと目でわかる。一方で文章芸術である小説は、読んでみなければ本質はわからない。しかし出版されているすべて本に目を通してみずからタグを付けることは不可能だから、誰かが付けたタグを手がかりに選択の範囲を狭

          曖昧なことを曖昧なまま理解する手段としての小説

          小説にしかできないことってあるのだろうか?

          これだけエンタメコンテンツがあふれている時代において、小説にしかできないことってあるのだろうか?  あります。いえ、あると信じたい。 今回は、物書きなら誰しも一度は考えたことがあるテーマ、小説の唯一無二性について作家の視点から話そうと思います。 1 まず小説の特徴を考えてみる そもそも小説ってなんでしょうか。映像、音楽、そしてドラマ。この3つを使って目と耳と心に訴える映画と比べて、小説は文章しかない。ぼーっとしていても勝手に流れてくる映像系のコンテンツと違って、小説は

          小説にしかできないことってあるのだろうか?

          装甲列車が走る!『ソコレの最終便』連載開始!

          霧島です。大変ごふさたのnote記事ですが、連載作の準備にすべてのエネルギーを費やしておりました。 しかし始まりました。企画から1年半かかりましたが、ようやくです。去る5月17日、霧島の第五作品目となる「ソコレの最終便」が、集英社の月刊小説誌「小説すばる」にて連載を開始する運びとなりました。 さて、内容です。 終戦直前の昭和20年8月9日、日ソ中立条約を破ってソ連軍が満州に攻め込んできた、まさにその日。片田舎の忘れられた鉄道部隊、101装甲列車隊「マルヒト・ソコレ」に関

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          閉ざしていた扉を開けてみて【SNS開始元年/2021年の振り返り】

          今年もあと1日ですね。2021年を創作関連で振り返ると、私個人としてはSNSを開始したことが一番のイベントだったと思います。 デビューから6年、私は情報的な意味で外に対する扉を完全に閉ざしておりました。デビュー当初、「作家による情報発信が大事な時代ですから」と言われてSNSをやってみたものの、いったいなにを発信すれば良いのかわからず、段々ネタを考えることが重荷になって、二、三ヶ月ほどでやめてしまったからです。 6年間、無言で活動しました。ふと気づくと、胸にいろいろと言葉が

          閉ざしていた扉を開けてみて【SNS開始元年/2021年の振り返り】

          【新刊案内】攻める者、守る者、救う者。三者の視点で120年前に起きた籠城戦を追体験できる小説「静かなる太陽」(文庫)が発売されました。

          このたび発売されました「静かなる太陽」は、120年前の清国で実際に起きた国際紛争「義和団事件」(別名:北清事変)を舞台にした歴史小説です。 120年前、現在の中国には「清」という名の王朝がありました。女帝西太后が権力を握るこの国は、アヘン戦争、アロー戦争、日清戦争と、列強との対外戦争に敗れたことで力を失い、外国の植民地になりかけている状態でした。これに反発して「義和団」という結社が外国人排斥運動を起こし、全国規模で排外の炎が燃え上がります。日本の幕末期にも見られた現象、いわ

          【新刊案内】攻める者、守る者、救う者。三者の視点で120年前に起きた籠城戦を追体験できる小説「静かなる太陽」(文庫)が発売されました。