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僕が脳梗塞になった理由

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51歳の私が脳梗塞になり救急車で運ばれ、入院してからリハビリ病院を退院するまでの顛末をまとめています。
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記事一覧

一人でトレーニング

一人でトレーニング

退院から一週間経ちました。
何をしてたか?せっかく体が動くようになってきてるので、この流れを止めたくありません!
退院して、家に戻り、動くのが面倒になり、動きの復活を止めてしまう人もいるそうです。
であるなら、体を動かし続けるしかありません!
まずは歩きました。一日目標は一万!昼間から大の男が町内ウロウロとか不自然かもしれません。仕事に復帰するためのトレーニングは12月一杯なので、人の目を気にして

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エピローグ 思い出に変わるまで

エピローグ 思い出に変わるまで

長きにわたり書いてきました脳梗塞話、一旦退院と共に冬眠です。何かあれば更新しますが。
たくさんの方に読んで頂きありがとうございました。
いつかこの数ヶ月のことも思い出として人に話す、あるいは忘れちゃうくらいにします。
でも、毎日のように誰か病床にお見舞いにきてくれたり、親とか親戚とかへの感謝は思い出ではなく、持ち続けたいですね。
また、一旦病気になると、病院の先生、看護師の皆さん、ヘルパーの皆さん

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この戦いからの卒業〜退院

この戦いからの卒業〜退院

ということで退院となりました。
2ヶ月弱での退院、早かったとおもいます。

退院は、本人の希望聞きつつ、主治医、リハビリ担当者が話し合って決めます。
まぁ、歩けるようになり、手も動かせるようになり、当初の左側の麻痺とはさよならしたので、この期間で退院は妥当とも思えるし、退院となると、回復期、僕の体は専門家の指導の下での訓練でまだまだ伸び代があるのでは?もう少しリハビリしてもいいかなぁーと少し短いよ

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12  リハビリ病院で成果を考える

12 リハビリ病院で成果を考える

偉そうに書けた立場では無いけど、自分はどれくらい成果があったのか、まだ行けたのか?自分のこと、人のこと、色々話聞いて、感じたことを。

ある日トレッドミルの上に機械で吊るされたおばあさんがいました。多分体重を感じさせず歩く感覚を学ぶんだったと思います。しかし、このおばあさん、「怖い怖い」と悲鳴を上げて、結局この練習しませんでした。怖いと感じること、普通だと確かに思います。
私もレベルこそ違えど

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カロリーという概念と外食

カロリーという概念と外食

11カロリーという概念と外食
私のこれまでの最大の反省点を上げれば、食べ過ぎで、カロリーを取りすぎ、こうコレストロールになり、脳梗塞につながったというストーリーです。つまりカロリーの取りすぎが諸悪の根源。
合わせて三回の栄養指導を受けました。初回は何故か意識が朦朧として全く記憶がなくて、2度繰り返してもらい、さらに糖尿病用、さらにリハビリ病院でもありましたから、4回か。聞きたいこと聞きました。衝撃

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④一夏の経験〜脳梗塞の日常

④一夏の経験〜脳梗塞の日常

処置室から寝る場所に運ばれます。とは言ってもコードだらけです。心電図などの計測系、点滴系の針が腕に刺されてます。パソコンのディスプレイ的な画面には、今の体の数値が表示されています。円相場や株価のようです。一時間に一度は血圧を図られ、腕や足が上がるかチェックされます。後にわかったことですが、血圧を故意にあげて、(200以上)血管に詰まったものを流してしまう作戦とのこと。

こちらがやることはただ頭を

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⑤強い気持ち、強い愛〜救急病院のリハビリの毎日

⑤強い気持ち、強い愛〜救急病院のリハビリの毎日

救急病院にもリハビリ科があります。
一昔前なら、脳梗塞患者を動かすなんてありえなかったそうですが、今や1日も早く体を動かした方が麻痺が残らないという考え方のようです。
急性期リハビリテーションってやつですね。
救急病院でのリハビリルームって、私のような脳梗塞系から、外科手術した人などがいるようです。

私の担当の先生は二人、ひとりは理学療法士で主に歩くことの復活、もうひとりは作業療法士で手先の細

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⑩病院食ダイエット

⑩病院食ダイエット

病院食ダイエット
病院のご飯というと、時間が早い、冷めてる、まずいと言うのが定番の評判ですが、暖かさ、冷たさなどは最新の機器で不自然な位保持されてます。お味はまぁ、私の場合当初⑴塩分コントロール⑵カロリーコントロールだったので、美味しいはずもありません。
塩分は思わずテーブルの上に塩の小瓶をを探すほど薄味でした。カロリーの方は1日で1500キロカロリー。メインの炭水化物を中心に量を減らされていたみ

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⑨左手が使えるようになるまで

⑨左手が使えるようになるまで

リハビリ、と聞くとついつい歩ける様になる事と考えがちだが、麻痺した側の手を動かすのも大変、という事もある。私は幸い左側だったので、そもそも被害が少なかった。右側が麻痺してしまうと、こんなスマホ操作、食事など大変なことがたくさんでてくるだらう。しかも、手は足に比べ複雑に筋肉があり、再活動し難いということもあるそうだ。

私の左もまさに麻痺という言葉がぴったりの状況だった。これも明確な記憶がなのだが、

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⑧そしてクララは歩けるようになった!

⑧そしてクララは歩けるようになった!

前にも書きましたが、私は救急病院のリハビリの段階で病院の廊下端から端まで歩けました。しかし、それは、リハビリの先生が横にピタリとついてくれてのこと。
何せ病院。危険な事は少しもやらせないぞ、という管理体制ですから一人で練習する余地すらありません。
一方のリハビリ病院、こちらはと言うと上手なシステムを取っていました。
患者が動き回る許可を患者の状況に応じて段階的に渡します。車椅子がスタートで、次に杖

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⑦セルフコントロール〜スパルタ?!自分の事は自分で

⑦セルフコントロール〜スパルタ?!自分の事は自分で

同じ区内にあるリハビリ病院 に転院となりました。「リハビリ病院は救急病院とは違ってスパルタで、なんでも自分でしなくてはならないから大変だよ、、、、、。」救急病院の看護師たちの意見に少し私ビビりました。また、救急病院でリハビリを担当してくれた人達があまりにもいい人達だったので、あれ以上の人は居ないだろう、という思いから、あんまり期待値は高くありませんでした。でも、同じくらい素敵な人たちにめぐりあえま

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⑥転院するって本当ですか?〜リハビリ専門病院への転院

⑥転院するって本当ですか?〜リハビリ専門病院への転院

ナースステーションのそばからら、今度は遠くにベットの場所が変わりました。
窓側の明るい場所です。そして間も無く今度は一般病棟と呼ばれる高層階に移動になりました。病院の職員はみんな「おめでとう!」って言います、これは明らかに病状が良くなってるからの処置だからですが、馴染んだスタッフの皆さんと別れるのは少し悲しいというか、新しいスタッフがどんな人か心配でしたが、こちらもいい人ばかりでした。

点滴も終

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③長い夜〜初めての病院の夜

③長い夜〜初めての病院の夜

救急車で夜病院に運ばれました。
処置室的なところに運ばれ、まずは服を脱がされました。いゃーん、いかにも病院な服に着替えさせてもらって、検査スタートです。
多分、MRI、心電図、血液検査、、、、。回転寿司のお皿のように、深夜にも関わらず、ストレッチャーに載せられたまま、どんどん検査は進みます。別に緊張してないし、怖くないと思わすための私の会話は滑り気味。全く受けません、、、、。検査が一通り終わって、

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②カステラ一番☎️は119

ここでは救急車で病院に運ばれるまでの顛末をば。

朝起きて呂律が回りにくかったんです。
演劇部じや無いけどトイレで
「アメンボ青いなアイウエオ」
と繰り返しても、なんかジミー大西的な発音は否めず、ちょっと歩きにくいかな、も感じていました。
当然Google先生に
呂律回らない
足効かない
で聞いてみましたが、①今すぐ119番という説と、②3日様子を見れば治るかも、というどちらもそれなりに権威が

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