見出し画像

“死ぬ気で”って言葉、キモくない?

「“死ぬ気で”やれ!」

「“死ぬ気で”頑張ろう!」

誰かを応援したり、人の気持ちを奮い立たせたりする意味の言葉で“死ぬ気で”というものがある。

僕はこの言葉が嫌いだ。

もちろん、この発言が死ぬことを前提にしたものでないことは重々理解している。

死ぬことを前提に何かをしろなんて恐ろしい言葉、戦時中を除いて本気で言う人はまずいないだろう。

「限界寸前までやろうぜ!」という言葉をものの例えとして使っていることは分かり切っている。

それでもこの言葉が嫌いなのだ。

ここまで読んでみて、僕に対してどんな印象を抱くだろうか。

甘ったれた人間だな。

ひねくれた性格だな。

そんな風に感じる人もいるかもしれない。

しかし、実は僕にも「“死ぬ気で”やっていこう!」と自分を奮い立たせていた時期があった。

まだやれる!自分はまだ元気だ!“死ぬ気で”足掻いてやる!

どんなに挫折しそうなことがあっても、自分自身にこう言い聞かせて頑張ってきた。

そうして身体と精神を壊した。

挫折したのだ。

ただの挫折ではない。

本気で自死を考えるまで追い込まれていた時期が生まれた。

そんな時期をなんとかやり過ごした今も、挫折したトラウマから精神疾患を患っている。

病名は適応障害とパニック障害。

幸い家族を始め周囲の人が支えてくれたおかげで自死を考えることはなくなったが、それでも精神疾患の症状によっていわゆる普通の生活はできなくなったのだ。

玄関から外に一歩踏み出したら過呼吸になってうずくまったり、電車に乗っていたら全身から汗が吹き出し視界がぼやけ過呼吸になったりしたこともあった。

他にも数え切れないほど様々な弊害があって今も尚、薬が無ければ健康な生活はできない。

…いや、薬を飲んでいても発作が抑えきれない場面はいくらでもあるので、健康な生活ができた日はもう半年以上ない。

これが“死ぬ気で”という言葉が嫌いになった僕のバックグラウンドだ。

冒頭の文章でマイナスな印象を持った人も、ここまで読んでみれば多少は理解をしてくれるのではないだろうか。

僕は弱い人間だ。

自分の考えに対する否定意見を抱かれたり、対立する意見をぶつけ合ったりすることが大の苦手なのだ。

そんな弱い人間が「“死ぬ気で”やれ!」の精神で突き進んで生きていこうとしたこと自体が間違いだったのだろう。

もっと自分に合ったマインドがあって、それをもとに生きていればこんなことにはなっていたかもしれない。

それでも当時の僕は「“死ぬ気で”やる」以外の選択肢が頭の中になかったのだ。

人生経験が浅く、あらゆる物事における視野が狭かったのだろう。

こんなありふれた言葉たった1つだけで頭をいっぱいにしながら我武者羅に行動して、結果的に精神疾患を患うなんてまさに愚の骨頂と言うに相応しい。

“死ぬ気で”

たった4文字の言葉だが、この言葉を今回の記事の題材にしたことで、ほんの数分ながら悲観的な考えを沢山書くことができた。

“死ぬ気で”という言葉で頭がいっぱいになった馬鹿な人間の醜態だ。

僕がこんな人間になってしまったのは“死ぬ気で”という言葉のせいだ。

だから僕はこの言葉が嫌いなのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?