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これを見なきゃ死ねない、そんな絵がそこにある 〜ヴァチカン美術館〜

2022/10/03 ロードトリップでイタリアまで旅に出た。
最もの理由は死ぬまでに見たい絵がそこにあったから。

しかし私は極めてわがまま。

見たいもの?死ぬまでに?

ああ、そんなもの、
”一生のお願い”のように湧いて出てくる。

しかし、この絵はこの絵だけは、
見ないで死ぬわけにはいかない絵
だったのである。

その絵を求めてこの日私は
朝からヴァチカン美術館の長蛇の列に立った。

1時間半後、ようやくこの球体を目にする。

ミケランジェロの最高傑作「最後の審判」がある
システィーナ礼拝堂など、複数の施設からなる歴代法王の
贅沢なコレクションが堪能できる、
世界最大級の複合美術館。

写真では伝わらないこのサイズ感。数字にすると、
見学コースは全長7km、
総面積4万2000㎡という広さのうえに
迷路のように入り組んだ22の美術館で構成
されている。

見どころ、有名作品8選はこちら。
「ベルヴェデーレのアポロン」「ラオコーン」
「アダムの創造」「最後の審判」「アテナイの学堂」
「キリストの変容」「ピエタ像」「聖ヒエロニムス」

しかし、今回私はわがままに、
自分が見たかった作品
感動した作品にだけ触れようと思う。
『天井画、絵画、フレスコ画部門』
『建築構造部門』
『 彫刻部門』の3つに分けていきたい。


天井画、絵画、フレスコ画部門

こちらは先程の8選の中にもあった
ラファエロの代表作『アテネの学堂』

ヴァチカン宮殿内の部屋 Stanze di Raffaelloと呼ばれる
4つの部屋のうち、Stanza della Segnatura にある
フレスコ画です。

ヴァチカン宮殿内の壁画の中で最も知名度の高い作品の1つで、
ヴァチカン美術館のチケットにも印刷されています。
作品のテーマは、『古代アテネの哲学者』

描かれている人物は、
プラトン、ソクラテスなど偉大な古代ギリシャの哲学者たちですが、実は彼らの顔は同時代の偉大な芸術家を投影している。

作品の中心にいる白ひげを生やしたピンクのマントの男性は、哲学者プラトン。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチをモデルにして描いたと言われている。

その男性の足元に四角い机を出して考え事をしている男性は、哲学者ヘラクレイトス、しかしモデルはミケランジェロとされているという。
描かれている人物像のモデルを特定することは容易でなく今も議論が続いているが、ラファエロが同時代の芸術家への敬意をこめて作品に盛り込んだと思えば、胸が熱くなります。
「Sala di Costantino」に飾られている一際目をひく作品。
「ミルヴィオ橋の戦い」
コンスタンティヌスとは4世紀のローマ帝国皇帝で、
キリスト教を公認して発展の基盤を築いたとされる歴史上の重要人物。

この部屋には、四方の壁にコンスタンティヌス大帝の物語が描かれている。 こちらはその中の一作。 ミルヴィオ橋とはテベレ川にかかるフラミニア街道の橋で、ここでコンスタンティヌス大帝がライバルのマクセンティウスを打ち破り、ローマ帝国を統一した、という歴史的場面である。

憤り、絶える、痛み、興奮、絶望。
それらの表情筋肉の生死の表現までもが
素人でも見て取れる作品。
ここでは数十分足を止めてしまった。
こちら、システィーナ礼拝堂の祭壇壁画、
最後の審判 / The Last Judgment
(撮影は禁止されているため。こちら元々持っていた本の写真)

1536年から1541年にかけてミケランジェロが、
バチカン市国のシスティーナ礼拝堂の祭壇後方の壁一面に描いたフレスコ画。盛期ルネサンスからマニエリスムの時代への転換期の作品とみなされており、また西洋美術の最高傑作の一つ。

全人類に対する神による最後で、
そして永遠の裁きが描かれている。

左側上に救われた者が昇天し、
右側下に呪われた者が堕ちていく。
聖バルトロメオが殉教の属性である
自分の皮膚を手にしている姿が描かれている。
しかし皮膚に描かれた顔は、
ミケランジェロの自画像であると解釈されている。

画面右下は地獄に相当するため、
キリストから見て左下に憂鬱な自画像に
視線を向けていることから、
ミケラジェロ自身の罪悪感と救済願望の
両方があらわれている。

この絵を見た時に思った。

ー私には、天国に行く資格はあるのだろうか。

建築構造部門

まず、ヴァチカン美術館、
中にあるカフェテリアを覗いて98%どこを見ても美しく
天井、床、壁を見ているだけでも楽しくなる
Galleria delle Calte Geografiche、地図の間。
既存の地図をもとに、芸術家チームとともに40枚の
フレスコ画を描き、イタリア各地を鳥瞰図で表現したという。
地図と風景画の中間に位置するこのフレスコ画は、
表現が美しくい。が、地図だけでは無く
部屋の構造もとても印象的でした。
建物の構造で最も私が気に入ったのがこの部屋…
というか、Braccio Nuovoという新回廊。

光の入り込みが展示物にダメージを与えず、
見るものにも開放さを与えてくれるため、
普段の美術館よりも見やすい。なんて感じました。
続いてがSala Rotondaという部屋。
中央には巨大な赤大理石の椀状の
直径13mの火成岩(溶岩からできた岩)から
彫られたモニュメント。

この部屋自身はミケランジェロが設計しており、
半球形の丸天井となっています。
小ぶりな部屋なのに、
圧巻の存在感でしっかり印象に残っています。

下に敷かれたモザイクタイルもとても細かいです。
そしてこちら、どこまでも続いていくかのような
幻想的な曲線美、ジュゼッペ・モーモの設計で
1932年に完成した。 ”螺旋階段”

上り下りに交互に重なった構造で、
このように覗くと人々の交互の動きがまるで
Escherのだまし絵を見てるような気分でした。
下から見ると、彫刻の美しさ、
曲線と光の入りが深海にいるような気分にさせます。

美しいのですが、段差と幅が微妙で転んでる人
2組見たほど非実用的ではありましたw


彫刻部門

べルヴェデーレ・トルソー。
西洋美術に大きな影響を与えた彫像は
アポロ・ベルヴェデーレと ベルヴェデーレ・トルソー
と言われている。

そして共にバチカン美術館に所蔵されている。

アポロ・ベルヴェデーレは、
紀元前4世紀の大理石でできた
このギリシャ神話の神アポロ像。
穏やかで優しく、妖艶な印象に比べ、

この写真のべルヴェデーレ・トルソーは逞しく、
筋肉質で  ミケランジェロはこの胴体に感銘を受け、
システィーナ礼拝堂の登場人物の一部を
この胴体で表現したと言われている。
頭上から入る光により陰影が浮き上がり
大変力強く見えました。

《Laokoōn》は有名なギリシャ神話の一部を表現している。
女神アテナの怒りに触れ、
二人の息子もろとも大蛇に絞め殺された一幕。

当時の芸術家たちは、古代の彫刻のすばらしさに驚嘆し、
創作意欲を失うほどだったと言いう。
そして、このあとも「ラオコーン像」は
芸術家たちに大きな影響を与え続けた。

つい最近芸術に接着剤で手を
引っ付けプロテストする輩が増えているが、
この彫刻もまた被害にあったばかり。
勘弁してほしいものだ。
訴えは他所でやってくれ。
偉大な芸術に安易に触れるなんて
もはや罰当たり甚だしい。

そしてこちら「ピーニャ(松ぼっくり)の中庭」と
呼ばれている象徴のこの彫刻。
なんと1~2世紀に作られたローマ時代の噴水で、
8世紀末ごろから旧サン・ピエトロ大聖堂の前庭の
中央に置かれていたそう。

こういう何気ないものが、
実はものすごく古かったりする。
ローマの歴史の深さを再確認させられます。


最後に…

私が死ぬまでに見たい作品

そう、『アダムの創造』(Creazione di Adamo)である。

この作品はルネサンス盛期の芸術家ミケランジェロが、
ヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の天井に
描いたフレスコ画「天地創造」の一部。

頭上21mのところにあるので、
これほど世界に知られていながら、
こんなにも間近で見られない絵はきっと他にない。

この作品は1511年ごろの作品で、
旧約聖書の『創世記』に記された神が、
最初の人類たるアダムに生命を吹き込む
そんな場面を表現しているとされています。

ミケランジェロは、
システィーナ礼拝堂の天井画制作の完成までに
約4年を費やしました。

何故私がこの作品を死ぬ前に、
そして見なきゃ死ねない絵。
そう思ったのか。

実は亡くなった祖父の影響でした。
私の祖父は伊勢湾台風、戦争を経験していた。

そんな祖父は美空ひばりが大好きで、
私がりんごの歌を歌うと喜んだ。

そんな祖父はどこで得たのか
1枚のポストカードを持っていた。

そこに写っていたのはフランス パリの
ノートルダム大聖堂の写真だった。
そんな祖父は言った。


”そこは聖域だから、誰もが守られる。
どんな人種も、どんな悪さをしても
受け入れられる”

大人になってから知った、
祖父は戦争孤児だった。

きっと盗みもしたし、
人を騙してでも生き延びたのだろう。

その言葉は重かった。

そしてその日から祖父は私に
時々こんな話をするようになった。

”いつかはここへ行きたい、
そしてなぜ人は生まれたのかを知りたい” 

その言葉は
戦争を知ってる人の
地獄を見た人の

重い、重い言葉だった。

しかし、それは叶わず私の祖父は亡くなった。

私は無宗教だし、
なぜ人が生まれたかなんて
その時まで考えたことが無かった。

そして初めて、
学校の図書館でそれらを調べた。

そして出会った絵がこれだった。

『アダムの創造』(Creazione di Adamo)

何故か、祖父の死を
アダムが息を吹き込まれた絵で感じた

図書館の中で涙が溢れた時、私は誓った。

私が祖父の目になり足になり
ノートルダム大聖堂へ行く。

そしてアダムの創造を見に行って、
人が生まれた理由を感じると。

しかし、感じたのは

人は命を与えられ、生まれ、憎しみ合い、そして奪う "

という人間の悲しい歴史や背景
いや、性(さが)だった

そして今の世界も全く人間は懲りず
各々の正義を背負い奪い合うのだ

知れば知るだけ虚しくなった。

何故人は生まれたのか

私は今もまだわからない。

でもこの絵を見た時、
祖父との会話がリンクし、再会を感じた。

その時私は、幸せで、懐かしかった。

所要時間見込み4時間で計算していたが結果、
5時間以上をここで過ごした。

ヴァチカン美術館。

私にとって思い入が強い場所となった。

どこよりも、祖父に近づける場所。
また、会いに行こう。



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