出版専門【就職/転職コーチ】【出版コンサル】【書籍・雑誌の発行部数の専門家】上原龍一
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日の丸文庫「影」山田秀三社長の貴重な寄稿│辰巳ヨシヒロ、さいとう・たかを、佐藤まさあき、松本正彦、水島新司の生みの親
劇画ファンには有名な山田兄弟。二人で日の丸文庫を創業しました。
日の丸文庫はレーベル名で、出版社名は何度も変わっています。
東洋出版社 → 八興 → 光映社 → 光伸書房
兄・山田秀三が社長、弟・山田喜一が専務で、辰巳ヨシヒロさんの「劇画漂流」では個性的な姿が描かれています。
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出版社の社長として、貸本のサイズについて辰巳ヨシヒロさんと話す姿。
松本
「話の特集」の創刊号と最高部数ー「ビートルズ・レポート」の部数も
「話の特集」を知っている人も少なくなってきました。
発行期間は、1965(昭和40)年から1995(平成7)年の30年間。
編集長は矢崎泰久さん。
編集・執筆にかかわった方々は日本の文化史です。
和田誠、横尾忠則、篠山紀信、立木義浩、三島由紀夫、谷川俊太郎、寺山修司、小松左京、寺山修司、永六輔、小沢昭一・・・
矢崎編集長が執筆した「『話の特集』と仲間たち」に、当時の部数が書かれています。
「五大週刊少年誌+2」とは?最高発行部数と現在・休刊時の部数についても
「五大週刊少年誌」という言葉が、昭和時代には使われていました。
「マガジン」「サンデー」「チャンピオン」「ジャンプ」「キング」の5誌のことを指します。
ちなみに新聞は「五大紙」といい、「朝日新聞」「毎日新聞」「読売新聞」「産経新聞」「日本経済新聞」。
「世界五大医学雑誌」というのもあり、「NEJM(New England Journal of Medicine)」「The Lancet」「J
「週刊少年キング」(少年画報社)の発行部数と休刊の理由ー最後の編集長のインタビューより
「サンデー」(小学館)と「マガジン」(講談社)が日本で「初めての少年向け週刊誌」として創刊したのが、1959(昭和34)年3月17日。
2誌に次いで創刊したのは、「ジャンプ」(集英社)でも「チャンピオン」(秋田書店)でもありません。
少年画報社の「キング」です。
創刊は1963(昭和38)年7月8日でした。
休刊は1982(昭和57)年4月。
「キング」の発行部数と休刊の理由について書い
梶原一騎の死因と人生が無料で読める全40作「柔道一直線」「男の星座」も!おすすめ順に!Kindle Unlimited
梶原一騎が50歳で、1987(昭和62)年に亡くなってから約40年。
死因は「壊死性劇症膵臓炎」。
長年にわたる過度な飲酒が原因です。
「巨人の星」「あしたのジョー」「タイガーマスク」などの、社会現象を巻き起こした作品の原作者として、手塚治虫に並ぶほどの漫画界の功労者でした。
その梶原一騎作品がAmazonのKindle Unlimitedで、なんと40作品も無料で読めてしまいます!
し
矢部太郎『ぼくのお父さん』の初版部数 『大家さんと僕』シリーズの部数も
矢部太郎さん、名実ともに売れっ子作家です。
『大家さんと僕』がシリーズ3作の累計で、なんと120万部!
では、新しい作品の売り上げはどうなのか?
ベストセラーを出した作家でも、その次の作品はまったく売れない、ということは当たり前のようにあります。
直木賞や芥川賞、本屋大賞の次の作品が売れるかどうかは、受賞作品でどれだけ読者をファンにできるかにかかっているのです。
『ぼくのお父さん』の初版