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メロディーのような何か
夕食を終えてぼんやりとしていたら、ふと草の匂いを吸い込みたくなった。部屋を出て、歩いて数分の公園へと向かった。線路沿いのその場所には、小さな池と、草むらと、ちょっとした木立がある。昼間は半袖で過ごせるくらいの暖かい季節になってきたけれど、陽が落ちると冷んやりした空気が戻ってくる。長袖のシャツ一枚で出かけて、ほんの少し肌寒い…そんな夜だった。遊歩道を辿るとき、目的地もないくせにいつものように足早に
もっとみるブルーランド回想録 n.6 【連載小説】
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おでかけの日。空はぼうしパンみたいな雲をいくつか浮かべて、気まぐれに陽を遮ったりしていた。
ちょっと早めに待ち合わせの駅につくと、改札口を出たあたりに黒のキャップをかぶったあおいさんがいた。と…手もとの端末が通知音を鳴らす。
〈いま改札口の横にいます〉
私は彼女から数メートルと離れていない場所で立ち止まって、すばやく返信した。
〈いまあお
ブルーランド回想録 n.4 【連載小説】
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どこかに大きな隔たりがあって、その向こう側へ行けずにいる。どこへも辿りつかない夜を、またひとりで歩きだす。物語はそもそも時間とともにある。かといって、時間が進行すれば、いつもそこに何某かの物語が付随してくるというわけではないらしい。つまり、おそらく、そこに人間がいなければ、叙事だろうが叙情だろうが、そういうものを紡いでいくことにはならないのではないか。た
ブルーランド回想録 n.3 〈連載小説〉
次の日、空が暗くなるのを待ってから私はコンビニへと出かけた。もしかして、私のこと、忘れてないかな。いやそんなわけないよね…、瞬間的に発動するネガティヴ思考…この性格ほんとどうにかしたい。すこしだけワザとみたいに上を向いて、息をしてみる。とにかく、借りたものは返さなくちゃいけない。なんて自分に言い聞かせたものの、私はコンビニに着いてもすぐには中に入れず、しばらく外からようすをうかがったりしていた。
もっとみるブルーランド回想録 n.2 〈連載小説〉
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学校の帰り、突然降り出した雨が街を沈めてゆく。そんな景色を電車の窓からぼんやりと眺めていた。こんなことはよくあることだ。そして、こういう時にかぎってカバンのなかに傘がないなんてことも、私にとってはよくあること。
改札口を出て、雨の降り込んでこない場所から地面に打ちつける雨粒を眺めていた。駐輪場では、だれのだか分からない倒れた自転車のハンドルが、水滴をしたたら
ブルーランド回想録 n.1 〈連載小説〉
ブルーランド回想録
蛍のように、きれいな水辺をさがしていた。でもそんな場所は何処にもなくて、私たちは息の根を止められる思いで世界を彷徨うハメになってしまった。
これはそんな日々をくぐりぬけてきた私たちの物語。どこにも辿りつかなかった、二人のお話。みじめで、不器用で、消えそうで消えない儚げな光と。
ブルーランド回想録。
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ベッドからもそもそと這い出して、カーテン
スノーランナー 〈短編小説〉
植物を眺めながら海沿いの道を歩く。何を見ても名前なんかは分からないのだけど、その陽に照らされ風に揺れるさまは、そんな事とは関わりなく私の心を穏やかにさせた。振り返るとポッピが尻尾をゆらゆらしながら、気ままに後をついてくる。二週間ほど前からこのあたりで見かけるようになった茶色い野良猫で、近所の子どもたちからポッピと呼ばれている。人に対する警戒心がないらしく、皆に可愛がられ、民家の庭先で出汁殻のニボ
もっとみる水色の国 〈散文詩〉
水仙の花がひらくときを世界は知らない。
それは、行方知れずの恩寵。それは、どこにも入り口のない城。それは、高い塔のうえから、海をはるかに望む、古代からある幻想としての。
いつからか、わたしたちの心は湖の底にあって、呼吸を止めたまま。今はまだ目をとじて、待っている。波間に貝の舟を浮かべて、風たちは時をつくる。それだけしか、することがないから。わたしは階段を降りよう。何もかもが水に落ちて
ずっと真夜中でいいのに。(頌) 〈批評〉
誰にだって真夜中の時間は訪れるものだとしても、それがずっと続くわけではないということは、窓の外の空が青く染まっていくようすを確かめるまでもなく分かりきったことだった…。そう、ずっと真夜中でいいのに。の音楽に出会うまでは。
世界が終わろうとしているのか、自分が終わろうとしているのか、それはたぶん、どちらでもあるのかも知れないけれど、だからといって正しさを放擲してよいことにはならないし、考えるこ
夢で見た海辺に似ている 〈短編小説〉
ほんの些細なことに過ぎない。それはたとえば、何処にでもある言葉をつかって、何処でもない世界について仔細に語ることだとか、あるいは、まるで本当に存在しているかのように、架空の人々におしゃべりをさせるだとか。つまり、そのようなことを言うのだが、そういったことは文学が長いあいだ続けてきたことだとしても、それが一体何だというのか。
プロローグ
海のうえを、やわらかな風がなで
忘れられた航海日誌 〈散文詩〉
小さな花々が群れをなして、わたしたちを狂わせる。終わりの日に向かうつもりだった陸地へ、いま舳先を巡らせたところ。ミルクの波をかきわけて。善悪の溶けあう温度をたしかめて。わたしたちは微笑みかわそう。火も星座たちも、ふりそそぐような空の下。
オルフェウス、ゆるやかに浸水する忘却の部屋。夢の手。物語のエピローグ。盗賊たち。リリパット国。魚たちの回廊をめぐる夜。繭のなかでくりかえし唱えられたあの言葉