やまがたまさゆき
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「語り」の根源性:語られた言論と書かれた言論の交錯、そこから哲学(史)が生まれる。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(7)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第2部第8章「言葉の両義性」と結章を読みます。
摘 読:第8章を中心に。ここで取り上げられるのは、今となってはほとんど注目されていないソフィスト・アルキダマスである。彼はゴルギアスの弟子であり、在世中にはきわめて重要で有名な弁論家であ
【備忘】山縣ゼミ/価値創造デザインプロジェクトでの成果報告会のための論文化:ゼミメンバー向けのSlackより
写真は、昨年度の価値創造デザインプロジェクトの成果報告会の様子です。
価値創造デザインプロジェクトの成果報告会を開催します!今年度も価値創造デザインプロジェクト成果報告会を開催いたします!昨年に引き続き、LINEヤフー 大阪オフィスの中川さんはじめ皆さまのお力添えで、グランフロント大阪にあるLINEヤフー大阪オフィスで開催させていただく運びとなりました。ほんとにありがとうございます!
対面参加
ポリス共同体/社会的共同関係を支えるのは、やはり愛だ。アリストテレス『ニコマコス倫理学』をよむ(9)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。
今回は、アリストテレス『ニコマコス倫理学』の第8巻。毎回注記してますが、巻といっても、現代的な感覚でいえば“章”に近いです。今回は、愛/友愛に関する内容。前の巻に比べて、言いたいことがけっこうすっきり述べられている感があります。ちなみに、次の第9巻も
ポリス共同体/社会的共同関係を支えるのは、愛だ。アリストテレス『ニコマコス倫理学』をよむ(8)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。
今回は、アリストテレス『ニコマコス倫理学』の第8巻。毎回注記してますが、巻といっても、現代的な感覚でいえば“章”に近いです。今回は、愛/友愛に関する内容。前の巻に比べて、言いたいことがけっこうすっきり述べられている感があります。ちなみに、次の第9巻も
ちょっと後半息切れしたかも。な、2023年ふりかえり。
2023年も終わろうとしています。仕事は残っています。年内にやるべきことが。けれども、先にこれを書いときます(笑)
2023年、長かったような気がします。といって、この長いというのは、おもしろくなかったとかいうことではまったくないのです。むしろ、いろいろできたこともたくさんありました。だから、長く感じるのかもしれません。
1. アントレプレナーシップへの美学的・詩学的アプローチへの展開。研究そ
○○資本主義。いやそも資本主義って。
資本主義批判って、ほんとに世の中に多く出てます。「確かにね」って思うところもあります。
ただ、そもそも資本主義って何やねんってところについては、意外と議論が大雑把なので、資本主義批判を聞いても正直なところ、あまり響きません。
じゃあ、そもそも資本主義(Capitalism)って何やねん。そんなもん、すぐに答えられたら苦労しません(笑)
酔睡状態で、雑に考えてみようと思います。
真剣に「遊ぶ」ことで浮かび上がってくる何か。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(6)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第2部第6章「弁論の技法」と第7章「哲学のパロディ」を読みます。
摘 読。今回は、第6章と第7章を併せて摘読する。第6章で扱われているのが『パラメデスの言明』という法廷での弁明形式による演示、第7章で扱われているのが『ないについて、あ
演じる詩作者、ゴルギアス。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(5)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第2部第4章「ソフィスト術の父ゴルギアス」と第5章「力としての言論」を読みます。
摘 読。1. ゴルギアスという人
ソフィストというと、もうネガティブな意味合いしか現代では認識されていない。それは、プラトンによって確定されたといえる
関係性のなかで定まっていく〈正義〉あるいは〈不正〉:道徳哲学の淵源として。アリストテレス『ニコマコス倫理学』をよむ(5)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試みの第6回。
今回は、アリストテレス『ニコマコス倫理学』の第5巻。毎回注記してますが、巻といっても、現代的な感覚でいえば“章”に近いです。今回は、正義と不正と題された巻。前の巻では〈中庸〉が採りあげられたが、それを他者との関係性に拡張した議論とみることがで
Criticalに事象を見定めていくなかで“それ”が何ものか定義されていく。納富信留『ソフィストとは誰か?』をよむ(4)。
アリストテレスの『二コマコス倫理学』(朴一功訳、京都大学出版会)と納富信留『ソフィストとは誰か?』(ちくま学芸文庫)を交互に読んでいくという試み。今回は、納富先生の第1部第3章「ソフィストと哲学者」を読みます。
摘 読。この章で主人公となるのは、プラトンである。プラトンはレッテル貼りとして用いられがちな「ソフィスト」ということばを、実体をあらわす概念として規定しようとした。そのなかでも、『ソフィ
40代半ばの新参報告。組織学会2023年度研究発表大会。
安西さん
久しぶりに、こちらに書いてみようと思います。
この年齢になってくると、所属年数が長い学会ともなると、統一論題だったり、あるいはコメンテーターだったり、役職だったり、いわゆる自分の研究そのものを稀釈なく報告するという機会は減ります。学務も忙しくなりますし。そういうなかでも、ときどきは自由論題報告に申し込んで、自分のダメさ加減も含めて、身を晒さないとなとは思っています。
以前に、こんな