TakuForestry
長編をここに更新しています。
東吉野村に移住して、もう少しで1年半になる。 何かを始めようと思い、まず、ケータイ屋をやることにした。 エックスモバイルの代理店である。 これは物価高と言われる…
トライアスロンのプロになると、オーストラリアまで来たものの、すでに気持ちが折れ、限界を感じていた。 クイーンズランド州ゴールドコーストにある、トライアスロンのク…
ⅰ.想像を絶する大都会 オカンの姉になる、伯母さんの話をまずは書こうと思う。彼女は相模原市に住んでいる。僕が高校を卒業して、川崎市にいた頃、何度も泊まらせてもら…
最後に親父の話を書こうと思う。 自分で建てた持家に住む。これが彼の人生最大の目標であり、40を過ぎて、まさしく叶えた夢でもある。 「借家の大工だと馬鹿にされる!」…
偶然にも姉が、アメリカに旅立つ頃、自分の所属していた陸上部が無くなるという、チャンスが巡ってきた。 会社は早期退職制度を用意して、まだ3年目の僕に200万円の退…
我が家で唯一、ファミコンを買って貰った、弟の話を書こうと思う。弟は何故か高校に入ってから、ファミコンを手に入れた。 正確に言うなら、弟の貯めたお金で買ったので、…
小学生にとって4年の歳が違えば体力の差は歴然とある。それでも弟は僕の遊びについてきては、よく泣かされていたという。 ある日、そろばん塾からの帰りに、弟が友達と畑…
ⅰ.古道づくり 奈良県東吉野村に移住して1年半が経とうとしている。 移住して3ヶ月間は家の周りの山を歩いていた。 そして道を作ることを始めた。東吉野村の小川とい…
姉貴とオカンが、車の免許を一緒に取りに行く話を書こうと思う。 僕が中学生の頃、チェッカーズの解散で落ち込んでいた時に、オカンが、 「初ドライブに行くけん、付いて…
少しでも歯の丈夫な子供に育てたい。オカンは人一倍この想いが、強かったのであろう。 姉貴、僕、弟の3人が小学生の頃、国立大学歯学部の小児歯科で定期検診を受けて育っ…
Ⅰ.プロローグ 都会に出て挫折を味わい、田舎に引きこもっていた人間が、また都会へ出るに至るまでの話を、まずは書こうと思う。 徳島県の山奥で、4年ほどキコリの仕事…
正月早々、左眼の上を6針縫った話を書こうと思う。 元旦は、親父の実家近くにある神社に、参拝して、お墓参りするのが家族の恒例行事であった。 この神社は、境内に滑り…
清重そろばん塾という、姉貴をはじめ兄弟3人が通った塾がある。 確か週4回、月火木金曜の放課後に立ち寄って、そろばんを習っていた。 ここは主に女の先生が数多くの子供…
夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、親父が癇癪を起こし、一方的に怒りつけ、それをオカンは 「ハイ、ハイ」 と聞き流す。そんな喧嘩というか、かなり激しめの癇癪は、日課…
自分のルーツを探して、お爺さんの物語を考えている。次は母方の祖父の話を書きたい。 「わしはマッカーサーに警察官を辞めさせられたけんね〜」 母の父親、通称"高川原…
父方の祖父、第十のお爺さんについて書いている。2年の兵役を終え、インドシナ半島から無事に帰ってきたお爺さん。 しかし、2度目の召集令にて、幼い子どもたちと身籠っ…
2024年4月18日 03:49
東吉野村に移住して、もう少しで1年半になる。何かを始めようと思い、まず、ケータイ屋をやることにした。エックスモバイルの代理店である。これは物価高と言われる現在に於いて、生活費を下げるには通信費の見直しが1番だと以前から思っていた。その中で特に携帯代の見直しは、あまり知られていない様に思う。山間部はドコモの電波が圧倒的に強いので、ドコモ回線を用いたMVNOのエックスモバイル社の代理
2024年5月12日 04:16
トライアスロンのプロになると、オーストラリアまで来たものの、すでに気持ちが折れ、限界を感じていた。クイーンズランド州ゴールドコーストにある、トライアスロンのクラブチームに通い始めて、もう半年近く経とうとしていた。「自分じゃ、駄目だな、、、」と自己不信に陥り、なかば腐っていた。そんな中、雄一くんとの出会いによって、引退を意識し始める。僕はトライアスロンのレースで16才の彼にまだ一度も勝て
2024年5月11日 11:54
ⅰ.想像を絶する大都会オカンの姉になる、伯母さんの話をまずは書こうと思う。彼女は相模原市に住んでいる。僕が高校を卒業して、川崎市にいた頃、何度も泊まらせてもらい、大変お世話になった。オカンが緊急入院した時、真っ先に連絡したのが、神奈川の伯母さんである。僕が小学6年の頃、姉貴と2人で夜行バスに乗り、初めて東京へ旅行をした。翌朝、品川駅に着いた僕らを、迎えに来てくれたのが彼女であったと、薄
2024年5月11日 04:02
最後に親父の話を書こうと思う。自分で建てた持家に住む。これが彼の人生最大の目標であり、40を過ぎて、まさしく叶えた夢でもある。「借家の大工だと馬鹿にされる!」と親父がたまに言っていた記憶がある。高校の頃に引越しをしたので、その家はもう四半世紀の月日が経ち、少し古びた感が拭えない。通常、木造二階建は、3〜4ヶ月で出来るというが、彼は3年の月日を掛けて完成させた。これには少々事
2024年5月10日 07:53
偶然にも姉が、アメリカに旅立つ頃、自分の所属していた陸上部が無くなるという、チャンスが巡ってきた。会社は早期退職制度を用意して、まだ3年目の僕に200万円の退職金を提示する。しかも辞めてから1年間は、会社の寮に残ってもいいという。まだ20歳だった僕は、その条件に迷わず飛びついた。当時はお金をそんなに使うことがなく、世間知らずの田舎者で、「200万あれば一生暮らして行けるんちゃうかな
2024年5月9日 01:41
我が家で唯一、ファミコンを買って貰った、弟の話を書こうと思う。弟は何故か高校に入ってから、ファミコンを手に入れた。正確に言うなら、弟の貯めたお金で買ったので、ファミコンを買っても良いという、許可を得た。僕が小学生の頃、誕生日やクリスマス、正月やお盆など何度も親父に「ファミコン買っていい?」と頼んだが「そんな物は絶対に駄目だ」と言われ続けた。姉貴もゲームが欲しいと何度も頼んだ
2024年5月8日 01:32
小学生にとって4年の歳が違えば体力の差は歴然とある。それでも弟は僕の遊びについてきては、よく泣かされていたという。ある日、そろばん塾からの帰りに、弟が友達と畑で遊んでいた。そこは数日前、僕らが遊んで、「畑を子供らに荒らされた」と学校にクレームが入り、先生から注意を受けていた場所であった。僕はそろばんのカバンを振りかぶり、迷うことなく弟の頭をバシンと叩いて、「ここで遊ぶな」と
2024年5月7日 18:44
ⅰ.古道づくり奈良県東吉野村に移住して1年半が経とうとしている。移住して3ヶ月間は家の周りの山を歩いていた。そして道を作ることを始めた。東吉野村の小川という地区には、いくつかの集落があり、上出垣内(カミデカイト)というのが自分の住む在所である。家は村道に面しており、お隣さんは30メートルほど離れて建っている。自分の家から上は、山肌にへばり付くように、家が4軒ほど点在しているが、人は
2024年5月7日 02:36
姉貴とオカンが、車の免許を一緒に取りに行く話を書こうと思う。僕が中学生の頃、チェッカーズの解散で落ち込んでいた時に、オカンが、「初ドライブに行くけん、付いてきて」と死ぬほど恐ろしい目にあった。おかげでくよくよしている自分が、バカらしくなった思い出がある。話を戻そう。オカンと姉貴は新聞配達をして貯めたお金で、共に自動車教習所へ通うことにした。高校まで剣道で鍛え、18歳になったばか
2024年5月6日 01:57
少しでも歯の丈夫な子供に育てたい。オカンは人一倍この想いが、強かったのであろう。姉貴、僕、弟の3人が小学生の頃、国立大学歯学部の小児歯科で定期検診を受けて育った。「タクちゃーん、お母さん来てるよー」と数ヶ月に一度、オカンが自転車で学校まで迎えに来る。授業を途中で抜け、彼女のこぐ自転車の後ろに乗って、10キロ先の大学病院まで通った。雨の日や、風の強い日でも、オカンは子供を自転車の荷台
2024年5月5日 18:12
Ⅰ.プロローグ都会に出て挫折を味わい、田舎に引きこもっていた人間が、また都会へ出るに至るまでの話を、まずは書こうと思う。徳島県の山奥で、4年ほどキコリの仕事をしていた。その関係で県の外郭団体の臨時職員として半年間の森林調査員に採用される。その6ヶ月間は徳島市の実家から県庁まで通っていた。(祖谷の山奥からだと車で2時間以上かかる)して、半年が過ぎ去り、「さて、また山奥に戻るか」とか
2024年5月5日 03:09
正月早々、左眼の上を6針縫った話を書こうと思う。元旦は、親父の実家近くにある神社に、参拝して、お墓参りするのが家族の恒例行事であった。この神社は、境内に滑り台と、シーソーが2台あり、初詣での後、姉貴と僕、6歳になる弟と遊んでいた。「シーソーであーそーぼ」と姉貴と僕が遊んでいると、弟は隣のシーソー脇に、なんと立ち小便をやりだした。僕は「こんな所で小便などするな」と怒ってシーソ
2024年5月4日 03:23
清重そろばん塾という、姉貴をはじめ兄弟3人が通った塾がある。確か週4回、月火木金曜の放課後に立ち寄って、そろばんを習っていた。ここは主に女の先生が数多くの子供たちを1人で見ている。この塾では各自で問題集を解き、終わった者同士が、「答え合わせしまーす」と、互いに○×をつけて、答え合わせをしていた。先生は、解らない問題や悩んでいる子には、優しく教えてくれたが、ズルをする子供には厳しか
2024年5月3日 01:03
夫婦喧嘩は犬も食わないと言うが、親父が癇癪を起こし、一方的に怒りつけ、それをオカンは「ハイ、ハイ」と聞き流す。そんな喧嘩というか、かなり激しめの癇癪は、日課のごとく起こっていた。瞬間湯沸かし器のように、癇癪を繰り返す親父は、ご近所の名物でもあった。子供の教育はビンタが基本。悪い事をしたら、怒るよりも先に、平手が顔や頭に飛んできた。しかし、子どもの頃それらは、「当たり前だと思って
2024年5月2日 00:32
自分のルーツを探して、お爺さんの物語を考えている。次は母方の祖父の話を書きたい。「わしはマッカーサーに警察官を辞めさせられたけんね〜」母の父親、通称"高川原のお爺さん"は昔、警察官だったという。そしてある日、僕が8才の頃、近くの警察署へ祖父に連れられて行った思い出がある。署長室まで通され、かなりのおもてなしを受けたように感じた。「ご無沙汰です。お元気でしたか」「そうやな、今日は
2024年5月1日 03:15
父方の祖父、第十のお爺さんについて書いている。2年の兵役を終え、インドシナ半島から無事に帰ってきたお爺さん。しかし、2度目の召集令にて、幼い子どもたちと身籠った妻を残し、今度は北へ、満洲の関東軍に配属された。そして終戦間際、味方と思われたはずのソ連軍に攻め込まれる。そこで祖父は、「凄まじい銃撃戦でなぁ、、」と左スネをさすりながら喋った。その銃撃戦で負傷したのだ。ソ連兵の銃弾が左