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詩やことばについて

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詩や芸術についての思考のかけら。
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記事一覧

投げ銭、について

私はわりと気軽に街でパフォーマーに対して投げ銭をし、noteでもサポート機能をよく使う方だが、私はこれにあまり対価性を考えていない。何か得たから、いくらに値すると思ったから、ではなくて、意味合いとしては、なんだろう、一つは自分の心が動いたことに対する表明であり、一つはそれを伝えるための通信費であり、一つは寄附行為であり、一つは借金の返済、というような位置づけだったりする。あとはお賽銭みたいなもの。

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心紋に触れる

作風というか、文体というか。その人らしさというか。いつものその人というか。っぽさ、というか。口調というか、癖というか、風味というか。雰囲気というか、気配というか。色というか。

長期間フォローしている人の書いた詩やエッセイや日記などを読んでいると、なんかこう、やっぱりその人のだなと分かって、変わらないものがあるような気がしてくる。

書く方はどうしたってそうなってしまって、無意識でやめようにもでき

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先日、平地でも一面に雪が降った。
そのせいかはわからないが、その日は一日不思議な気分だった。
雪の降る速度と同じような感じですべての物事を受け止めることができて、気持ちがアップでもダウンでもなく、落ち着いていて、それはneutralでcalmといった感じで、とても珍しかったのだが、次の日になってみればそれは雪同様に跡形もなく消えてしまった。
あれは何だったのだろう。
あのような日がまたあればいいと

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忌み言葉の効果を知る。

残さないこと、見せないこと、出現させてしまわないこと。
見えてそこにあると反応が起きてしまう。文字に残ってしまうと未来永劫燃焼する。
無ければ、そのうち薄れて消えてなくなる。
こころを守る、とてもやさしいやさしい配慮。

だから、私はあれを表記しない。

振り返り

最近我が身を振り返って、良くないなぁ、と思った。
もっとよく噛んでゆっくり味わって食べなきゃだめだ。

なにをかというと、ことばの話。

ことばはこころのたべものだと思う。
であるなら、こころのためには、ゆっくり食べなければ。一文字ずつ、丁寧に。

最近はあれこれ次から次に口に入れて、がつがつと早食いしているようで、よくない。
これはお行儀がよくない。
早食いは消化不良をおこす。
いけないいけない

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詩を書く人へのラブレター

私は詩そのものも好きだが、詩を書く人も好きだ。
(※ここでの詩には、古今東西の各種詩歌、詩的表現やほんとうを含んだ文章を含めます)

詩を書く人は、他人への諦めに染まりきった私に、もっともきれいなものをくれる。

詩を書く人の何が好きかというと、詩を書く人は、どうやったら「これ」を正確にあらわせるのか、どうやったら「これ」を写せるのか、どうやったら「これ」を言語世界に翻訳できるのか、そういうことに

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解毒の旅路

以前に、「なぜ詩が好きか」ということを書いた。

そのときの答えでは「詩はほんとうの純度が高いから」、ということだったのだが、よくよく考えてみると、それでは答えになっていなかった。

ほんとうの純度が高いものがではなぜ好きなのか、ということを次に考えなければならない。

最近このことをずっと考えていた。ぐるぐると。このぐるぐるの中身を少し書いておく。

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まずは「ほんとう」について。

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縁起物のちから

しばらく前から、家にアマビエだるまがいる。白河だるまのかわいい子。

ウイルス対策としては直接的にはどうにもならないかもしれないが、いつも帰るとほっこりして、心の支えになる。
そんなものが何になる、と思う人もいるだろうが、この「ほっこり」の力はばかにできない。
不安や寂しさが薄れるし、なにより、私は確かに誰かに健康を願ってもらったのだという事実を、毎日胸に刻んで確かめることができる。

世の中でた

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人に思っていることを言わない人の考え方

※この文章は、私信を含みます。このように公開すべきか迷いましたが、長文を送る手段がわからなかったのでそのまま公開してしまいます。なんのこっちゃと思う方は、とりあえずそうなのねと思ってください。

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世界に困惑していそうな様子だったので、声をかけました。たぶん、とても真面目で、真っ直ぐで、素直な方なんだと思います。そんなあなたが潰れるのはもったいないと思うので、思っていることをあまり人に(口

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なぜ詩が好きか

私は詩というものが好きだ。
書くのも、読むのも、うたうのも。

ずっと分からないで好きだった。
なんでか分からないけど好き。うまく言えないけど、なくちゃいけないような気がする。
そんな説明しかできないでいた。

大学のときの専門も詩だった。
歴史、修辞、音韻、いろいろ学んだが、いつも腑に落ちない感じがしていた。
文学理論の研究をしながら、ほんとうにやりたいのはこういうことじゃないような気がしていた

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私は基本的に自分のことしか考えていない。自分や自分に近いもの、自分を喜ばすものにしか興味がない。何でも自分に引き寄せて判定する。同じと思ったものは溶かして私の一部にする。私と同じものを探すために私を書き、私を語り、何かを読み、取り入れる。
究極的に自己中。
私とはそういう人だ。

一駅の思考

今日は出張のため、新幹線に乗車している。

出張と言っても、何も商談をまとめるとか打ち合わせをするとかいう類のものではなく、他の大学主催のシンポジウム的なものを聞いてくるというものだ。目的の半分は研修であり、半分は情報収集。こういう出張が多い。しかし私に何を担わされているのか不明瞭であるから、こういった出張に意味があるのかは、正直わからない。

このところ、自分の仕事のことがよくわからなくなってい

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名前

時折、ただただ過去の積み重ねに圧倒されて呑み込まれそうになることがある。

たとえば、山道を歩いているとき。

ふと目に留まるあの木にも、あの花にも、飛び回る小さな虫にも、落ち葉に生えるきのこにも、すでに誰かが名前をつけていることに、驚く。

私は知らないけれど、誰かが見つけて、整理して、定義して、分類して、そんな成果の積み重なり。

小さな沢も、橋も、分岐も、頂も、この目に映る、この足で踏みしめ

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読める、とは。

昨日は外交のような仕事で1日外に出ていて、少し疲れた。

それで、昨日の話で、とある紙に書かれたものを見る機会があったのだが、そのときにもう一生使うこともないだろうと思っていた知識(学生時代の専門に近いところの知識)を使うことになった。実際に使用する場面があるとは思わなかった。そうか、こういうときに使う知識かと、知った。

でもそれはやはりかなり限られた特殊な条件であって、それはまるで、変な形のペ

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