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お多賀杓子の由来と多賀坊人
NHKの番組で、『なぜ、お玉は「お玉」いう?』と、お多賀杓子と多賀坊人の活躍を取り上げて下さいました。
答えは、「お多賀がブームになったから」と、多賀坊人の活躍が火付け役だったと。又、すごく大切な事を伝えて下さいました。さすが、NHK。
多賀坊人の蔵「三銀蔵(さんぎんぐら)」(母方本家)から出てきたもの物から、資料を作っていましたので、合わせてご紹介したいと思います。長くなりますので、目次だけ
佐目03-歴史探索 古墳時代と犬上縣主
○○天皇(※○○年)の西暦は、便宜的に「炉辺談話より引用」しているので公式な年代ではありません。今回は特に、読むのが辛くなるややこしい神様の名前がいっぱい出てきます。
01-前回までのまとめさて、佐目01、02の歴史探索では
・佐目の和気殿は、皇室出身だろう事。
・11代垂仁天皇から12代景行天皇およびヤマトタケルが日本を支配した時期、上記(※○○年)で表すと、西暦283年~323年(50年
佐目02-歴史探索 縄文・弥生・古墳
00-参考資料以下の資料を参考に、佐目の年表に犬上氏等の歴史を入れた4世紀までのメモを作った。○○天皇(※○○年)の西暦は、前回の最後に表を掲載した「炉辺談話より引用」しているので公式な年代ではないが、参考にした。
1.『古代の芹川、犬上川扇状地開発と多賀信仰』 小菅 一彦 著
本当は歴史家になりたかったという彦根市立病院の院長もされた小菅先生に頂いた多賀の古代を知る貴重な自費出版の本。以下(小
10.明智と六角と、忍者・多賀坊人誕生
前回 09.明智神社と、光秀近江出身説
では、光秀が生まれる前の佐目のポジションについてお話しました。
今回は、光秀の一生を理解する上で必要なバックボーンについてお話します。最初にお断りしておきますと、もちろん
「光秀が、近江の多賀の佐目」で育っていた
という強引な視点と、光秀、近江守護六角氏、本願寺、地元土豪をエコ贔屓するのは言うまでもありません(笑)
1.近江守護 佐々木六角氏とは
ド
09.明智神社と、光秀近江出身説
なかなかnoteに書き込む余裕がなく、久しぶりになってしまいました。
〇公式 明智光秀近江出身説 佐目十兵衛会のwebサイト開設
〇所JAPANにて全国放送で 磯田先生に「黒歴史」と!
その他、イベント・メディア・活動報告
〇地元の伝承に特化したマニアックな冊子 発売
#『明智十兵衛光秀 謎多きルーツの迫る 多賀出身説!』
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