美術館”中の人”だった人 Kensaku Yoshizaki
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パブリックアートが目指すもの
思い出に残るアート体験福岡市美術館は,2016年9月1日から約2年半の間,休館し,今年2019年3月21日にリニューアル・オープンしました。
まだリニューアル・オープンして1年も経っていないんですねぇ。私は,ちょうどリニューアル前後の2015年4月から2019年3月まで4年間,福岡市美術館に勤務させていただきましたが,今はアートとは無縁の仕事をしているので,随分昔のことのように感じます。
休館
アートは常に平和を希求する。
書きたい欲求私がnoteを書くときには,展覧会や美術作品に関連して,アートファンではない人にもうまく伝わるように,できるだけ平易な言葉で,できるだけ身近な話題に引き寄せて表現するように心がけています。そうすることで,少しでも美術館やギャラリーに足を運ぶ人を増やし,アートを生活の中に取り込む暮らしが広められたらいいな,と。
人に何かを伝えるためには,文章構成力と情熱,その両方が必要ですよね。特にこ
再び,禅画を眺めつつ,「多様性」について考える
人はどうして争うのだろう。相手の立場に立ちましょう,他人の悪口は言ってはいけません,多様性を大事にしましょう…
そんなことを学校では嫌というほど教えられたのではなかったか。
ところが大人になると,組織の中で競争を強いられ,同業他社と比較され,失敗する者は責め立てられ,能力が低い者は追い出され,自分の思い通りにならないと力でねじ伏せられ…
そんなことが当たり前のように行われるのが現実の社会です,残
「禅画」がアートだとわかると,アートの本質がわかる…かも。
「アート」を制作する目的は、なんでしょう。
私はアーティストではないので、実際のところは分かりませんけれど、おそらく、感情とか、感覚とかを、言葉や絵画や彫刻や映像やパフォーマンスにして、誰かに「伝えること」なのかな、と思います。
文字で伝える場合は詩歌や小説の形をとり,2次元で伝える場合は絵画や書画の形をとり,3次元で伝える場合は彫刻などの立体物の形をとり,音や空間や体験で伝える場合はパフォー
「寄付」で語る、生きられなかった「もう1人の自分」
あなたは最近、「寄付」しましたか?
私はここ1年くらいを振り返ると、次のようなところに寄付してきました。
(ちなみに街頭募金は、独特の「圧」が怖くて、滅多にしません(^^;))
・子どもたちの命と権利を守る国際組織
・自殺予防の活動をしている社会福祉法人
・地域福祉活動をしている社会福祉法人
・災害支援活動などをしている団体
・セクハラ防止活動をしている団体
・NPOの経営支援をしている団
美術館に行かないのがもったいない理由
シンデレラは、かぼちゃの馬車がやってくるまで、自分が持っている「美しさ」という自らが持つ価値に気付きませんでした。もし、かぼちゃの馬車がやって来なければ、いつまでも狭い世界の中で、みじめな人生を送っていたかもしれません。
サルバドール・ダリ《ポルト・リガトの聖母》という作品をご存知でしょうか?
2016年に東京、京都で開催された『ダリ展』でも一番人気だったとか。
平日の昼間、コレク
数字で測れないものがあるということを思い出す場所
小学校高学年の頃、自分はこの世の中に不要なんじゃないかと思ったことがある。
その時は、「自分がいなくなったら運動会のかけっこで、僕の代わりにビリになる子が出てくる。少なくとも僕はその子の役に立っている。」と考え、落ち着きを取り戻すことができたのを覚えている。
誰しも、ふと「生きている意味」なんてものを考え出したり、「私って何者?」と自分のアイデンティティを見失ったりする瞬間があるのではないでし