TOKYO四畳半キャンプ C-006世間という神様の正体についてNo.6

大学卒業後に入ることになる会社の面接は秋葉原だったので千石や秋月で部品をしこたま買い込んで行き、面接官に「なんだねそれは?」と聞かれたので、ちょうどいいから部品屋に寄って来たことやら、前に作ったもののことやら今作ってるものやらの話をしたら通ってた。一応スーツは着て行ったのかな?ぶっちゃけ面接のことよりずっと探してて欲しかったパーツ(すごい便利なオシレータ)が手に入って舞い上がってたことしか覚えてない。デコボコしてるし興味あることしか出来ないですよっていうのは面接で話した。

というような経緯で会社に入っているので、いいところを伸ばす会社なんだろうと思って入ったら違った。そしてじわじわと病んでいくこととなる。立ち上げたバンドが軌道に乗っていく一方、会社では先輩社員が首を括った。金曜の夜、というか土曜の明け方まで一緒に仕事して、「じゃあまた来週!お先です!」と言って帰ったのが最後だった。月曜の朝に集められて報告を受け、呆然とした。次は俺かという恐怖と、ここで本気で何かをやったら追い詰められて殺されるという感覚でしばらく動けず、まともに働くことも出来ず(同じ部屋にいた多くの人がそうだったと思う)、結局会社を辞める最後まで引きずることになる。会社が握り潰したのかどうかは知らないけどそれが公になることはなかったし、今では知らない人も多いようだ。

そこは、アイデアは無料だと思っている人々ばかりで、言われたことができるのが出世する組織では新しい提案は邪魔者扱い、そして現場感を持ち帰って話をすると全く受け入れられないし、妥協点が見当たらない。才能のない人が偉くなっていきバカみたいな経営をして会社を傾かせて結果、才人は次々と消えていくということになる。

営業職に異動するとパワハラに当たった。マウントしかけてくる部長。その話、興味ないっす、なんすかそれ?残業時間にわざわざする話じゃないから帰っていいすか?みたいなことを言わざるを得ないような相容れなさは大学の剣道部のダメなOBと同じ匂い。バカバカしくて付き合ってられないとはねつけたら、まんまと査定で痛い目にあったりした。当時はバンドが大事な局面で、仕事を定時内でゴリッゴリにこなす必要があったし、定時で帰っても寝てる場合じゃなかった。身体は一つしかないんだから無理!割り切るしかないじゃん。っていうのは僕の都合だけど、ちゃんとノルマは全部こなしてるんだけどな。おかしいな、会社って。

田舎の子会社に行った時も、相手が役員であることによって余計にタチが悪かった。外部にいる時はいい顔していて、それを活かしてくれと言ってるくせに、中に入った瞬間全て俺に従え的なやつ。役員直接対決の日々の中、ある日身体が動かなくなった。そこからは長い長い鬱の期間に入ることになる。

その後は、少しよくなって働いては倒れる、みたいなことの繰り返し。気付いたら10年くらい経っていた。途中の記憶は合わなかった薬のおかげでだいぶ飛んでる。だから色々書きようがないのがこの期間。

辞めようと思っても辞めたらのたれ死ぬので、回復をひたすら待った。

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ばたーさん

楽器メーカーにえらく長く勤めたあと退職。その間、並行してテクノロックバンドで歌ったり、〇〇ゲリラなどの企画をやったり、〇〇〇再生委員会をやったり。最近は四畳半キャンプをしつつ、次のための準備をしてます。週二回くらい12:00頃に更新。

TOKYO 四畳半キャンプ

45歳 会社員 兼業ミュージシャン?が 長期に渡る鬱の期間を脱して?無事??会社を脱出し 東京に移住して四畳半でキャンプ生活をはじめた
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