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TOKYO四畳半キャンプ C-008世間という神様の正体についてNo.8

鬱で倒れている間、唯一やっていたのがベースの練習だった。音楽療法というか、起き上がれる日はひたすら弾いてた。記憶はガンガン飛ぶけど、身体に入れるものは入ったようだ。やっててよかった。

ある時、友人から誘われて行った台湾。一週間前に「ベース持ってきて」と言われ、現地に行くと「歌手の〜さんのバックで演奏やるからよろしくね」という無茶振り(笑)。ええ、やりましたよ必死で。通ってきてない16ビートの曲ばかりを。

ということで台湾にいるのに毎日スタジオで自主練。夜は知人のライブに行くけど基本引きこもり。外こもりでかつ引きこもり。美味しいものだけは食べたし、街が僕を呼んでる感あった。おまけにライブ本番では、予算の都合でPAさんが居ないという、キタコレ海外!な状況。友人と二人でステージと卓を担当して、その上その日はライブを二本、なんとか乗り切った。人間やればできるもんだと妙に感心。ライブの様子はテレビでも流れたのかな。取材入ってたし。

そこから中国語を始めたら、英語があんなにダメなのに割といけることがわかったので、ひたすら毎日一時間ほど二年くらいSkypeで喋り続けた。その間にも実地訓練を兼ねて何度も中華圏に足を運ぶことになるけど、そこには居心地のいい空間があった。英語では縮まらない距離が、中国語だとぐっと縮まる感覚と、それによってコミュニティが受け入れてくれる感じ。その上、自分が異邦人であることによって「当たり前」や「常識」を強要されないのだ。この人は外国人だし同じ感覚あるわけないよねえ、というていで一から話が始まる。これが最高に心地いい。

これに慣れて日本に戻ってくると違和感が半端ない。こんなにも世の中が息苦しい理由は明確で、それはある種の前提や当たり前を押し付けてくる世間の存在が浮き彫りになる。

それはそうと、四畳半キャンプに繋がる太陽電池の導入実験やら当たり前の何かをあえて外して行くという作業は、今思うと日本にある違和感を自分から引き剥がすための自主訓練の一つだったのかもしれない。

当たり前になってしまっているものの必要かどうかにお検証。これは単純にとても面白い。断捨離とか左巻きとかそういうのではなくて、自分が自分であるために必要な要件のあぶり出し。人にはオススメも強要もしないけど、自分の中の心地よいバランスだけはよくわかってきたのは大きな収穫だった。

それはそうと、一箇所に居続けると、また同じことをし続けるとどうしても視点が固まってしまう。硬直した世の中が生き辛いのは、日本の社会の中で視点を変えることが難しいからだ。

「ここでなくてもなんとかなる」

その感覚を持てれば、大抵のことは死ぬほどのことじゃない。そのためには視点を変え続けることが必要になる。それはある種の勉強かもしれないし、旅行かもしれない。新しい出会いかもしれないし、別れかもしれない。変化という点ではそこに大きな差異はないし、怖がることもない。今持ってるのはそういう感覚だ。



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ばたーさん

楽器メーカーにえらく長く勤めたあと退職。その間、並行してテクノロックバンドで歌ったり、〇〇ゲリラなどの企画をやったり、〇〇〇再生委員会をやったり。最近は四畳半キャンプをしつつ、次のための準備をしてます。週二回くらい12:00頃に更新。

TOKYO 四畳半キャンプ

45歳 会社員 兼業ミュージシャン?が 長期に渡る鬱の期間を脱して?無事??会社を脱出し 東京に移住して四畳半でキャンプ生活をはじめた
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