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「断言しない」ということ。

自分の言葉について考えていて、ふと思ったこと。なるべく心穏やかに暮らしたいなぁと思いながら、ぼんやり考えたこと。今いる場所・今見えている景色の中で、マーケティングよりも先にやらなければならないこと。

断言は刺さる

SNSやブログ、マーケティング戦略、広報、ノウハウ……。ユーザーには断言が刺さるというのはよく聞く話。説得力にせよ不安を煽るにせよ、とてもメジャーなやり方。人の心を刺激する、揺さぶるには効果的、即効性もあるし強い。グイっと掴むために断言する形で記す、それは理解しています。

でもね、私は断言するつもりはありません。

私のnote、発信内容。

現在私がnoteで発信しているのは、主に以下のような内容。

◎演劇関係者に対して販促のきほん
◎お客様・ファンへ向けてのアプローチについて
◎演劇というコンテンツに対するアレコレ
◎内観・日常の小ネタ系

読んでくださっているのは大きく分けては次の2つの層。興味関心を持つ幅が広いnoteユーザーのみなさまと、役者・スタッフ・演劇ファンなど演劇関係のみなさま。

私が断言しない理由

端的に言うと、「特に中小規模の演劇公演・団体・関係者に販促の大切さを知り実践して欲しい」から。

ではなぜそういった思いと、断言しないことが繋がるのか。それはただ一つ、演劇関係者のプライドの高さに起因します。これは顕著。ヘタに断言したら反発を買うだけ。断言スタイルがデフォルトになれば私が目指しているものから遠ざかるばかり。この、プライドの高さの理由を説明すると脱線の上に話が長くなりそうなので割愛するとして。(ただ、これは私もプライドが異常なまでに高いタイプなので痛い程わかる。)

私自身は発言・発信に影響力を纏う必要はないし、個人の影響力やら何やらよりも先に、関係者に「演劇という世界がもっとずっと開放的で前向き・建設的な好循環に向かうように意識」してもらえるよう手伝うことであるとか、「今まで面倒くさくてやってこなかったけど動いてみようかな」と思ってもらうことだとか「方法がわからず進むこともできなかったけれど、これならできそうだな」と挑戦してみてもらうことだとか、そちらの方が大事だし、実際求めていることですのでね。

私は提示する、あなたは選ぶ。

だから私は「こういう方法がありますよ」「こういう考え方がありますよ」「こういうアイデアはどうですか」と、提示はする。だけどやるかやらないか、やるならどんな方法・方向か、選ぶのは他の誰でもないあなたですよ、と。「やってみよう」と思うことは試した方がいいし、選ぶ力のトレーニングにもなるし、自分の選択に責任を持つことは大切だし、自分で切り開き経験を重ねてゆくことは学びにもなるし、それは自信にも繋がるから。

あとは、まぁ、アレだな。

スタンス。どんな人と一緒に仕事をしたいと思うか。「大変な時は大変な時で弱音を吐いたり、良くも悪くも人間らしい部分を見せたりしつつ、それでも拗ねたり腐ったりすることはなく、試行錯誤を重ねてゆく覚悟のある役者やスタッフと一緒に仕事をしたいんだ。」「個人の活躍・成功とともに、業界の環境改善を意識できる人と一緒に仕事をするんだ。」そういう気持ち。

これを記してしまったことで、自分のハードルも上がった気がしていますが、まいっか。肩肘張らず、マイペースにやってゆこうと思います。今後ともお付き合いいただけましたら幸いです。

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