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思考の抽出と感情のワーク

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手を動かしながら考えるだけ考え抜く、そんな日常です。
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#アート

#誰も消さない 為に余白と当事者性の獲得の中で手を動かす2024

#誰も消さない 為に余白と当事者性の獲得の中で手を動かす2024

 今年も松蔭先生の墓前で志を改めながら、新年から落ち着かない気持ちで過ごすことになりました。有事の時は特に、そうでない時こそ着実に、人への想像力と、想像した先にある備え、そしていつ自分が当事者になっても行動し続けられる不屈さと、求められた時に十分に動けるだけの余白を、持ち続けたいと思います。

 これ以上、誰にも被害が起きずに穏やかな日常が訪れることを祈るばかりですが、私がいるチームヘラルボニーの

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<2025.9.27へ>「必要な経験をください。もしまだあるとするのなら。それを私にください。」

<2025.9.27へ>「必要な経験をください。もしまだあるとするのなら。それを私にください。」

 一つの組織にいるとどうしても視野が狭まっていくし、自分も独善的になっていることに良い意味で警鐘を鳴らしつつ、常に明日と明後日で価値観を変え続けられていることに感謝をする日々の記録を。

 そこには使命感を持ったプロのカウンセラー、圧倒的に信頼ができるコーチ、非常に優秀な社外のビジネスパートナーであり友人、大切なパートナー、尊敬できる誠実な同僚や友人、そういった人達の存在の誠実さと本当の意味での優

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アート鑑賞の記録[20]ー"彼は私には理解できない言語で、何か美しいことを言った。"

アート鑑賞の記録[20]ー"彼は私には理解できない言語で、何か美しいことを言った。"

  ベートーヴェンの弦楽四重奏第15番の第3楽章が流れていました。この楽章の名前は『Heiliger Dankgesang eines Genesenen an die Gottheit, in der lydischen Tonart』で、この楽章には美の究極形が凝縮されているように感じます。私も好きな曲で、映像作品は常にすべてを見るまでは分からないと思いつつ、集中力の欠如なのか興味の無さなのか

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視覚を超えた対話

視覚を超えた対話

 静寂に包まれたギャラリーの中で、私と対話相手とで、目でなく、手で感じる彫刻を発見することができました。デジタルな自然が、触れること、形、そしてデジタルなサインの間の曖昧な境界を行き来させてくれます。

美的実在論は、真実の本質を描き出します。芸術の魂は、色彩だけでなく、その中に宿るメッセージを通して語りかけてきます。環世界的な視点でものごとと向き合う時間は、新しい世界を形作ります。一方、構造主義

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アートとしての「現代の襤褸」/楽器修理の継ぎ接ぎと新しい美意識。

アートとしての「現代の襤褸」/楽器修理の継ぎ接ぎと新しい美意識。

 襤褸の文化がとても好きです。「ボロ」の語源でもあり、「らんる」とも呼びます。日本の襤褸(らんる)文化は、資源が限られた時代ならではの持続可能な生活の一環として、布を再利用する習慣から発展しました。古布を層にして縫い合わせることで、暖かさを保つ方法だったそうです。

 襤褸と現代では稀な美意識について

 襤褸の中でも特に、「さし継ぎ」や「刺し子」といった美しさと機能性を併せ持った技術が発展してい

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ライブやアートで感動する為に、日々の感情や経験を重ねているような感覚(「30th L’Anniversary Starting Live”LAPPY BIRTHDAY!”」)

ライブやアートで感動する為に、日々の感情や経験を重ねているような感覚(「30th L’Anniversary Starting Live”LAPPY BIRTHDAY!”」)

 昨日配信があった「30th L’Anniversary Starting Live”LAPPY BIRTHDAY!”」で生じた感情の記録。コロナ禍を乗り切ろうみたいなイベントやライブはオリンピックを始め色々あったけれど、これ程までに勇気付けられたものは後にも先にもこれだけだと感じました。

 コロナの状況下での開催という中
、hydeさん自身がソロ活動でのライブを通して、この一年半試行錯誤しなが

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一方的な主張ではなく対話を通してぐるぐると解決に向かえれば良いなと考える。(アート鑑賞[15]スザンヌレイシー)

一方的な主張ではなく対話を通してぐるぐると解決に向かえれば良いなと考える。(アート鑑賞[15]スザンヌレイシー)

 当事者でない人が、議論をするハードルは本当に高いと思います。
スザンヌ・レイシーさんのパフォーマンス作品「玄関と通りの間」では、ニューヨークの一角で300人以上の参加者が黄色いスカーフを見に纏い女性に関する問題について議論しており、約2500人の人々が傍聴したそうです。

 美術館でも黄色をモチーフとしたメッセージが展示されていましたが、このご時世で無ければ、ここでも同じように美術館に訪れた人達

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文脈のアート、と呼ぶにもアーティストが可哀想だなと思いつつ、色んなものが再構築されそうな「盗めるアート展」

文脈のアート、と呼ぶにもアーティストが可哀想だなと思いつつ、色んなものが再構築されそうな「盗めるアート展」

 ふらっと立ち寄ったものの、密な住宅街という新鮮な景色以外は収穫がなく、盗まれた後のギャラリーが見られなかったのが非常に残念。

あまりにもあっけなく、かつつまらない終わり方と内容だったので(参加者の「盗む」という行為が)、残念だけれどまあ良いや、くらいに思っていたら意外と沢山の議論を読んでいて興味深い。

 新しい試み、という点においては失敗も含めて、大きな話題になった事は素晴らしい。参加者が盗

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和敬静寂と御馳走と。

和敬静寂と御馳走と。

 お客様をもてなす為に、お客様が喜びそうな食材を駆け走り回って集めて料理を用意したという事から生まれた「御馳走」というお言葉。
 御馳走と呼べるようなおもてなしは、現代に果たしてどれだけ息をしているのかと思いつつ、プレゼント選びに駆け回るのも御馳走かなぁ、ちょっと違う気もする。

 それと同じくらい最近気になるのが、茶道において欠かせない和敬静寂の精神。

和:お互いに心を開き、仲良くする
敬:互

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海と山とアートが鬩ぎあう間に立ちつつ、やっぱり広くて大きい海が凄いと感じる話。

海と山とアートが鬩ぎあう間に立ちつつ、やっぱり広くて大きい海が凄いと感じる話。

 今年はじめて海をちゃんと見て、「海は広いな、大きいな」とはよく言ったものだなぁ、誰しもが共感できそうな最強の歌詞だと感じた。それと同時に、海から生まれた生命が、陸での生活を謳歌しながらも、また海に回帰したくなるような魅力を感じる事も興味深い。

 勿論、海が嫌いな人も一定数いるし、水が苦手な人もいるけど、それは生まれてからの何らかの記憶に依るところが大きいと思う。胎内で羊水にぷかぷか浮かんでいた

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