マガジンのカバー画像

中学時代

21
運営しているクリエイター

記事一覧

交換日記

交換日記

処分できない青春の思い出の物に「交換日記」がある。

当時読んでいた「中三時代」の読者コーナーに「交換日記をしている」との女子の投稿があった。「交換日記」には女子のイメージがあるが、「俺たちもやろうぜ!」と親友たちに提案し、僕が口火を切って書き出したのは1965年(昭和40年)6月7日。

日記は主に合唱部の3名の間で交換した。3名とは ―― 

井矢見
比賀見
苦砂見

僕たちの仲間に最初にバク

もっとみる
中3は横倉先生

中3は横倉先生

中学3年G組。担任は横倉信夫先生でした。怒ると怖かったですが、悪いことをしなければ普通に優しい先生でした。

横倉先生担当の体育の授業では、愉快な思い出があります。

■その1
季節は初冬。グランドには霜柱がたつ程度の大したことのない(?)寒い日でしたが、先生から「よーし、ラグビーやるか」と一声あったかと思うと、「裸足でやるか!」と追加注文がありました(笑)。

「先生、何を言っているんですか、グ

もっとみる
中学1年の思い出

中学1年の思い出

1年の時の記憶はなぜか少ない。

担任は体つきのガシッとした田中新時先生でした。

■最初の教訓

教室を出た廊下の向かい壁には、生徒の持ち物を吊るすためのフックが取り付けられていた。

1学期最初の日の放課後だったろうか、田中先生からフックに番号を貼るよう頼まれ、人数分、即ち生徒の数、約50名分のシールを渡された。

当時、裏紙を剥がして貼る洒落たタイプのシールはまだなく、切手と同じように水で濡

もっとみる
合唱部でキャンプ

合唱部でキャンプ

中学の時、どういう話の流れからか、夏休みにサロマ湖にキャンプしに行こうとなった。中2か中3年の時だったと思う。中学生という事で大人の同伴を必要としたが、上手い具合に「行ってやってもいいぞ」という先生が見つかって行くことができた。

遊びの施設があるわけでもなく、自炊して、ちょっとしたゲームを少ししただけで、特別ワイワイお喋りで盛り上がったりしたわけでもなかったのに、家を離れ、自然の中で仲間と過ごし

もっとみる
プランクトン

プランクトン

南が丘海水浴場にあった岩場の右側の海は、水際から急に深くなり、その辺りが薄茶色に見えたのは昆布が生えていたからだ。急に深くなるし、昆布に足が絡む恐れもあるので、水泳禁止だったのはそうしたことからだろう。従って、この辺で投げ釣りをすれば、昆布や岩に引っかかり、「地球」という大物を釣ることになった。

■プランクトン

ここの波打ち際には素晴らしい思い出がある。それは、波が寄せて引いていく時に、無数の

もっとみる
夏休みの過ごし方で…

夏休みの過ごし方で…

家で勉強する習慣のなかった僕は、何の考えもなく中2の夏休みも遊んで過ごしていた。

毎朝毎朝、家族が寝ている時間に起き出し、朝ごはんの前にひょいっと帰ってくる感じだった。多少寒い朝でも関係なく出かけた。海に着くと、岩場の右側をどんどん歩き、昆布に針が引っかからない場所まで行って投げ竿で針を飛ばした。

当時は新しいタイプのリールが出回っていたが、僕のリールは針を投げる時に90度回転させるタイプだっ

もっとみる
中学でのいたずら

中学でのいたずら

高校時代の「黒板けしのいたずら」や小学時代の「そろばん教室でのいたずら」を書いたけど、中学時代には「椅子引き」や「椅子の上に画鋲」いたずらがあった。

「椅子引き」とは、教室の悪戯としては定番の、座ろうとしている人の椅子をサッと引いて転ばす悪戯。本当に転ぶ人もいたけれど、殆どの場合は転びそうになって「トトト」とよろける程度。僕はやられる方だったが、案外運動神経が良かったのか、それとも察知能力が高か

もっとみる
紋別中学校中廊下の思い出(2)

紋別中学校中廊下の思い出(2)

記憶からすっぽり抜け落ちていた中廊下(下図の赤矢印)のことを考えていると、中学2年の教室がここにあった気がしてきました。もしかすると1年の教室だったかも知れないけど、どうしても、この廊下を歩く担任の後姿が浮かんでくるので、中2だったと思う。

担任は宮田健一先生。先生の中では比較的若い方でルックスも良かったのに、それらを潔く打ち消す感じで、スリッパを履いて、パタパタ蟹股で歩く理科の先生でした。

もっとみる
紋別中学校中央廊下の思い出(1)

紋別中学校中央廊下の思い出(1)

以前に「思い出せない」という記事で、中学校舎の記憶スケッチを描きました(下)。でも、これだと3学年を収容するだけの教室数がなく、足りない所に自分が1年だった時の教室があった筈なのです。

そこで、思い切って現中学校にお便りしたところ、折り返しで曽根秀彰校長先生からお返事と共に「開校30周年記念誌(昭和52年10月)」からの資料を送って下さり、その中に、探していた校舎の平面図が含まれていたのです!何

もっとみる
ちょす

ちょす

「ちょす」という北海道弁がある。これは、触ったり、いじったりする意味で、例えば、「これは大事だからって言ったのに、お前、ちょしたんじゃない?」、「ぼく、ちょしてないよ!」という具合に使う。

■孫に触られた

数年前のことだが、小学3年の孫(男)が遊びに来ていたときのことだ。すれ違いざまに孫が僕の股間をサッと触ったのでびっくりした。振り返って顔を見るとニマニマしている。

そこで、「あ~、こら~、

もっとみる
バスの運転手が言った。「飛び降りてください」

バスの運転手が言った。「飛び降りてください」

夏と言えば「キャンプ」 ―― という事もないが、何度かキャンプをした思い出がある。

■コムケ湖に決定

中学の夏、「キャンプしよう」という事になった。言い出したのは多分に兄貴で、既に社会人だった兄は小さなテントを持っていた。

「どこに行く?」

選択肢はサロマ湖かコムケ湖か、紋別から少し北に行った沙留(さるる)の3か所があったが、「コムケ湖」となった。

■北紋バスの中

当日、いつもの近所の

もっとみる
僕の中の冒険(1)

僕の中の冒険(1)

流氷祭りで紋別を訪問したら、是非ガリンコ号に乗ってね。網走経由で紋別に入る人は、網走のオーロラとどっちにしようかと悩むかもしれませんが、それはご自分で判断を。ちなみに、因みにですが、紋別のガリンコ号は1987年(昭和62年)就航で、網走のオーロラは1991年(平成3年)就航なので、紋別の方が早かったことをお知らせします。流氷祭りもそうだったけど(笑)。

まあ、こんな風に網走と張り合う了見の狭い自

もっとみる
僕の中の冒険(2)女スパーマン

僕の中の冒険(2)女スパーマン

流氷遊びはちょっとした冒険だった。しかも、ちょっとブログで書けない部分があるから尚更だ。

小学校の「階段飛び」は結構なチャレンジだった。中学の時の「バク転の練習」は死ぬような気持ちだったので、僕の中の冒険としては最上位に来るだろう。そして、今回の「飛び降り」も同じくらい勇気が必要だった。

野球場には季節に関係なく遊びに行った。ただブラブラ歩き回っているだけで楽しかった。

冬になると、野球場正

もっとみる
バク転の思い出(その2)

バク転の思い出(その2)

バク転がどうにか出来るようになった頃、家の前の雪道を歩く母を見つけ「みて!」と言ってバク転を披露した。母は「あらっ!」を笑みを浮かべたが、本当に驚いた顔ではなかったので、僕のバク転があまり美しくなかったのだと察した。バク転が低かったのだ。

好きな人に自慢したい。できるだけさりげなく。そして失敗するのは男の常。まず、母への自慢は失敗。

■技工室前の廊下で自滅

(既に「思い出せない💦」でざっと

もっとみる