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マッドパーティードブキュア 229
「おやおや、なんだろうね」
「ええ、なんでしょうね」
女性ののんきな声に、メンチは動揺を隠しながら答える。短く遠くに聞こえたなき声はシッカリとは聞き取れなかった。老婆の声には聞こえなかった。けれども、老婆と無関係とも思えない。つい先ほど、老婆はあの棲家に様子をうかがいに行ったのだ。
「お子さんたちが遊んでるんでやすかね」
こちらも平静を装って、セエジが尋ねる。女性は首を傾げて答える。
「自分ら
マッドパーティードブキュア 228
「まあ、いいよ、いいよお、遠慮しないでついてきな」
女性はのんびりとした口調でそんなことを言うと、くるりとメンチたちに背を向けて歩き出す。怪しい存在。ここで打倒しておくべきか。メンチの思考にそんな思いがよぎる。ぎゅっと斧を握る手に力を籠める。
「いや、ここは黙ってついて言った方がいいでやす」
何かを察したのか、ズウラが口を差し込んだ。
「よく見るでやす」
促されて、改めて女性の背中をじっと見
マッドパーティードブキュア 227
ぞわりと、体中の毛が逆立つ。体液が冷たく沸騰する。
「何だテメエは!」
潜んでいたことを忘れ、飛び退り、叫ぶ。
「なんだい、いきなり、元気だねえ」
声が再び聞こえる。緊張したり、警戒したりした様子の欠片もない柔らかな声だった。
そこまで聞いて、ようやく声の主の姿をみとめた。
「誰だ? おまえ……あなたは」
毒気を抜かれ、さっきよりは随分とおとなしい声がメンチの口から漏れ落ちる。
声の主
マッドパーティードブキュア 226
ドブヶ丘の混沌は空白を嫌う。なにかの偶然でわずかにでも余白ができたら、すぐに何かが入り込む。入り込んで、それでも隙間があれば、また別の者が入り込む。過剰な密度の混沌、それがドブヶ丘の混沌の性質の一つだ。
だから、遠目に窺ったかつての女神の棲家に、何者かが棲みついている気配を感じてもメンチは何も不思議には思わなかった。むしろ、棲家の形が保たれていることに違和感があったくらいだ。以前に見てからもう
マッドパーティードブキュア 225
斧の刃先でなぞると、境界は柔らかに解れ開いた。
久しぶりの曇り空の光にメンチは目を細めた。相変わらずドブヶ丘の街の空は暗く曇っているが、空の色は安定していて一瞬ごとに様子が変わることはない。不安定な空模様にはもう慣れたつもりになっていたけれども、知らず知らずのうちに、精神に負荷がかかっていたことに気がつく。
「ひさしぶりでやすねえ」
傍らでズウラが大きく背伸びをしながら深呼吸をした。ズウラに
マッドパーティードブキュア 224
「他の結節点を探すのです」
神妙な顔でセエジは言った。
「それは……どういうことでやすか?」
「確定してしまったメンチさんの斧から、望むように力を引き出すことは難しいです。ならば、他の場所から混沌の世界の力を引き出した方が手っ取り早く手に入れられます」
「でも、そんな混沌の破れ目なんてそうそうあるわけじゃないでやしょう?」
「何を言っているのですか」
セエジは、女神に目をやって続ける。
「我々
マッドパーティードブキュア 223
「話を戻しましょう。このコップを見てください」
セエジはメンチたちの方にコップを差し出した。その表面にはまだ泡が残っていてくるくると回っている。
「この泡と飲み物が接している部分があるでしょう? 『ドブヶ丘の心臓』や、女神様の持っていた袋のようなものというのは、ここのようなものなのです」
「境目ってことでやすか?」
「そうです」
セエジが頷く。
「あるいは破れ目、もしくは結節点ということもでき
マッドパーティードブキュア 222
「やっぱりお前は奴らの手先だったのか」
メンチは疑いの目をセエジに向けた。
「そういうわけではありません。ただ、やつらの目的がそうだといううだけです。それをあなたたちにも知っておいてください」
「でもよ」
「それが正しいどうかは別として、現在の状況を考えるのには有効です」
「やつらは世界の存続を狙ってるってことでやすか?」
「そういう一面があることは否定しません。ただ」
ズウラの言葉に頷いてか
マッドパーティードブキュア 221
「混沌そのものってなんだよ」
まだ理解はできない。メンチは問い返す。
「聞いたことがありませんか? この世の始まりは混沌であったという昔話を」
「それは……混沌の海の話か?」
「ええ、それです」
ようやくわかる話が出てきた。メンチは返事をする。
「最初はなんかごちゃごちゃした海があって、そこからだんだんまとまっていったって話だろ? 最後にごちゃごちゃが余ったのがこの街だっていう。そりゃあ聞いた
マッドパーティードブキュア 220
メンチは首を傾げて尋ねた。
いつの間にか女神の袋の話になっていたけれども、本当はこの斧に宿ったあの洞窟の『ドブヶ丘の心臓』の力の話をしていたはずなのだ。関係のある話とも思えない。
「いえ、それがおそらく、その二つは、根っこで繋がっているのですよ」
セエジが言った。
「この本に書かれていたことが、真実ならば」
セエジの指が机の上の本をさした。それから少しどこから話すべきかを考えてから、口を開
マッドパーティードブキュア 219
「たしか、その斧は女神様がメンチさんにあげたのでしたね」
「たぶん、そうだよ」
セエジの問いに女神が自信なさげに頷く。
「昔の私の時のことは、なんだかぼんやりとしていてうまく思い出せないけれども、その斧を渡したことだけはちゃんと覚えているよ」
「その斧が、なんなのかは、わかりますか?」
女神は首を振った。
「もともとそんなことは知らないよ」
「あなたが渡したのでしょう?」
「私はあの袋から取り
マッドパーティードブキュア 218
「これは、あくまで僕の推測交じりの話しにはなりますが」
セエジはそう断ってから話し始めた。その顔色はいまだに少し青白い。洞窟から返ってきて以来、黄金律鉄塊を作れていないと言っていた。メンチが持ち帰った本を読むときも、時折目を抑えて痛みをこらえるような中断を入れながら読んでいた。
今も長く話すのは疲れるようで、とぎれとぎれの言葉を紡いでいる。
「結論から言うと、あの洞窟で見つけた『ドブヶ丘の心臓
マッドパーティードブキュア 217
「というわけで、この本に書かれているらしい」
レストランの机に一冊の本を置いて、メンチは言った。
その本は図書館にあったたくさんの本と同様に、真っ黒な無個性な表紙のついた本だった。
「本当に、これに『ドブヶ丘の心臓』のことが書いてあるんでやすか?」
ズウラが本を見つめながら言った。メンチは答える。
「わからん。わからないから持ってきた」
司書とのやり取りを思い出しながら、メンチは言った。司
マッドパーティードブキュア 216
「まあ、命をとろうってわけじゃない」
メンチと名乗ったその侵入者はそう言って笑った。ぴたぴたと手のひらの上で斧をもてあそんでいる。赤錆の浮いた不吉な斧。記憶の底から嫌な予感が浮かび上がってくる。以前、襲撃されたときにはあの斧のせいで場を制御しきれなくなった。
「なにが、目的ですか?」
尋ねてみる。まだ襲い掛かってきてはいない。攻撃してこないということは、よほど戦い自信があるのだろうか。今回は一
マッドパーティードブキュア 215
恐怖がメリアの体を凍らせる。
メリアはこの図書館で2度の襲撃を体験した。正黄金律教会と狼藉者たち。どちらも大きな被害が出た。絶え間なく侵食する混沌に対してささやかな抵抗を続けて、少しずつ確保していった秩序は、襲撃のたびに水の泡と消えた。
正黄金律教会に協力することで、秩序は飛躍的に整った。もしも三度戦闘に巻き込まれることがあれば、築き上げてきた本棚の秩序はたちまち元の混沌に戻ってしまうだろう