見出し画像

28歳、寝たきり4年目で人生でいちばん自分を好きになれた。

中学か高校生の頃に社会の授業で見た第二次世界大戦の頃の映像で、ドイツの女性が美容院でパーマをしていた姿が印象的に残っています。
そして現代のコロナ禍、マスク必須、外出自粛の社会でも、ヘアメイクをしっかりして動画や写真で自分の姿をアピールする人たちの多いこと。

世界がどれほど深刻な状況でも、自分がどれほど悲惨な状況でも、外見をよく見せたいというのは本能です。若ければ若いほどそう。

でも私はよく見せられませんでした。外に出られた期間がとても短いからです。育った家庭環境も大変だったし、大学生の頃にはもう難病。20代半ばですでに重症レベルが高く、日常生活も一人ではままならない状況でした。

そして病気やその薬の副作用で見た目が悪くなったこと、女性として楽しめた経験がないことを悲観して毎日泣いて何年も過ごしました。

でも段々と悲観することは無くなっていきました。体が不自由でなかった時よりも今が一番生きてきて好きだし、ルックスへの考え方が変わったからです。

この境地までどうやって行き着いたのかという話を、ここから先に書きます。


***


私の病気は初期のがんのように自覚症状がなく進行していくという類の病気ではありません。ひどい自覚症状が全身にあらわれるので生き地獄です。眠ることも何年もうまくできません。難病で現代の医療では治療法がないからということで特にケアされることもなく医療者にもあまり理解されず明日明後日の生存を懸念しながら狭く暗い部屋の一室に敷いた布団の上で生きていました。

リアルで交流する親しい人はひとりもいません。協力的な身内もいません。感覚過敏も酷かったためにYouTube、インスタ、配信アプリの興隆期に全く文化に触れず過ごし、声を出す体力もなかった私が唯一できたのはスマホのフリック入力で、布団の中からTwitterを開き、140字の世界で生きていました。患者同士で情報交換したり励ましあったりして過ごしましたが、文字だけでは温もりを感じるにも限界がありました。

そして私より軽症なのに医療や福祉の介入がある人、私より後に発症して良くなって社会復帰していく人、家族に理解され恋人にも理解され結婚して行った人を何人も見送りながら自身の状況は一変せず、20代半ばという女性が一番女性らしさを楽しむ年頃で、これほど身体的な苦しみと孤独の中で過ごしてきた人間は私しかいないと絶望のなかでした。

今では、5年ネットの海を彷徨ったところで家族にも捨てられて発信できるかできないかというギリギリの状態の悪い人に出会うなんてそうそうないですし、この世界から旅立つ選択をする人も多いですから直接繋がることがないだけだったとわかります。


でも当時は本当に苦しかったです。

まともにシャワーすることもできなくなって髪はハサミでぐちゃぐちゃに切ってカミソリで剃りました。振り乱して泣きながらポーチを壁にぶん投げて中に入っていたアイシャドウは粉々に、口紅はパキッと折れ、その瞬間「あ」と心の中で声が出て呆然とするもひとりで片付けるしかなくて、、惨めでした。

しかし、その後でフっと思い出したんです。
昔、東京の目黒にある東京都写真美術館で開催していた世界報道写真展で見たさまざまな写真を。

硫酸をかけられて顔がなくなってしまった女性。

顔の一部をもぎ取られてしまった女性。

再び振り返って見てみると本当にショッキングな写真ばかり。
どれもセンシティブな写真なのでここには載せられません。


私は病気そのものや薬で見た目がとても悪くなりました。肌や髪はパサパサ、目は小さく、歯並び悪く、顔はがっしり、美肌も毛穴が目立つように。寝てばかりなのでお尻はつぶれています。

でも日本の外に目を向ければそういう世界があって、こんな写真を何枚もみれば、私は顔を失ったわけではないのになにをくよくよしているんだろうと思うようになりました。


その後、落ち着いて新しいコスメを買いました。コスメの未開封での使用期限はおよそ3年と言われていて、3年の間に外に出られる状態になるぞ!という目標を持って。

思っていたようには叶いませんでしたが、noteを始めた去年から状態はマシになり、ヘルパーさん付きですが週に2回は車椅子で家の回りを散歩できるようになっています。


そして、少しずつ喋れるようにもなってネットでその場限りですが話し相手を作って会話していくといいことを言ってくれる人たちにたくさん出会いました。

綺麗な人はたくさんいるから目移りするから一緒にいて落ち着く人と一緒にいたくなるものだ、と励ましてくれる人がいました。

顔の見えない世界で話し方や見た目で好きになってくれる人がいました。それで、見た目は歳とともに老いていくけれど声や話し方や中身はよくしていけるのだと気付きました。

あとはお世辞でも「綺麗ですよ」と言って気持ちいい気分にさせてくれる優しい人もいました。

そんな人たちがいたから悲観するのをやめられたし、誰にも見られないとはいえ、いつかのために努力をしていこうと思った。

美は健康の先にあるから、健康になりたいと思いました。

そう思えるようになっていろんな人と自信を持って話せるようになった今の自分が今までで一番好きです。


こんな絶望的な思いをする人は他に居てはならないから私はひとりぼっちなんだ、それならいいやとも思っていたところで、新型コロナの犠牲になってこちら側に来る人が増えてしまったことが複雑ですが、そういう人たちにはあまり後ろ向きにならないで欲しいです。

症状以上に孤独や無念で潰れそうになると思いますが、世界にも目を向けること、ルックス以外にも磨ける魅力があることを忘れないで前を向いて欲しいです。私も、これからもそう生きていきます。

この記事が参加している募集

スキしてみて

難病で体が弱いなか無収入で活動しています。サポートは大切に使います(* ᴗ͈ˬᴗ͈)”