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数学が絡むお話

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数学や数字、何らかの現象のエッセンスが、少しだけ、緩やかに混ざったお話をまとめました。それは、僕にとって、面白いから。 なんで?ってなるのもあるかもしれませんが、それはまたいつか… もっと読む
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記事一覧

『ブランコの揺れ方』

『ブランコの揺れ方』

 お互いにいい年した僕らが、公園のブランコの上で口げんかをすることになるとは思わなかった。この公園に僕らが来たときから数えて、時計の長針と短針が何度か重なった記憶がある。

 ただ、時計の針が何時を指していようが、僕らの会話は平行線のままらしい。ブランコに乗ったまま、僕と彼女は前にも後ろにも揺れない。もしブランコを揺らしたとしても、この会話のように平行に動き続けるだけだ。僕らにはブランコを揺らす意

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『永遠より長いキス』

『永遠より長いキス』

 ベッドに寝転ぶ彼女と長い長いキスをして、その間に僕は“永遠”を感じていた。いや、もしかすると永遠より長いのではないかと思うくらいずっと、ずっとキスをしていた。
「んはっ」と息継ぎをする彼女の唇と美しい瞳が僕の前で揺れる。唇の脇から溢れそうな彼女の──あるいは僕の唾液を、彼女の舌先が絡め取る。

「ちゅーするの、気持ちいいね。私、永遠にできちゃいそう」

「んん。僕もだよ。ずっとしてたい」

あれ

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『無限遠に光る』

『無限遠に光る』

 あと半年くらいしたら、私は夏の大三角形を嫌いになるかもしれない。

「僕、結婚するから」

「そう。おめでとう。式は?」

「冬くらい。来れそう?」

「日が合えばね。まあ、沙弥が来て欲しいって言うなら、私は行くかな」

夏の帰省で羽を休めている私に対して、わざわざ面と向かって結婚の報告をするなんてどういう心境なんだろう。遠くの街に住む私に、自分の遠距離恋愛を散々相談しておいて。

「あ、式はこ

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『趣味』

『趣味』

 初めて僕の部屋にやって来た彼女が、

「私、チェスやってみたい」

と言うので、僕は自室の収納の奥からチェス盤を引っ張り出した。
 チェスの駒に触れるのは久しぶりで、僕は駒の動かし方を思い出しながら彼女にチェスのルールを伝えた。

 2ヶ月もしないうちに、彼女は僕と楽しくチェスをするようになった。恋人とチェスをするのも悪くはない。
 僕といい勝負をするようになった頃、彼女が言った。

「私、囲碁

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『合理的構造』

『合理的構造』

 彼の実家から牡蠣が届いた。
 持つべきは広島出身の彼氏、とでも言った方がいいと思った私は牡蠣が大好物だ。

 冷えた一斗缶を開けると、殻付きの牡蠣が大量に入っていた。
 レンジでチンすればいいってことは知ってたけど、殻の開け方が分からなかったので、彼に頼んだ。彼は小さなナイフを使って、うまいこと殻を開ける。

 殻を開かれた牡蠣は、しかしなるほど、見れば見るほど美しい。殻が纏った磯の香りが、火の

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『滝の裏側、月の裏側』

『滝の裏側、月の裏側』

「足元がゆるい所もあるから踵の高くない靴を用意しておきなよ」と言っておいたら、矢恵は旅行バッグと一緒にスニーカーを手に持って、僕の車に乗り込んできた。
 あまりにも朝早く迎えに行ってしまったかな、と思ったのだが、矢恵は目的地に着くまで化粧ポーチを開くことがなかった。どうやら朝が早くとも準備は万端だったらしい。
 

 化粧ポーチの口が開いたのは、駐車場で車から降りる前に口紅を取り出すための1回だけ

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『半分』

『半分』

 アパートのベランダに大きな4段のだるま落としを置いていても、誰も盗んだりはしない。また、ゴムと金属の塊で出来ただるま落としを使って遊ぼうと思う人なんて居ないだろう。それは妻のためのだるま落としだ。

 実際の所を言えば、ベランダ以外に冬用タイヤの適切な保管場所が見つからないだけだ。
 駐車場2台分は家賃に加えて三千円を払うだけで確保できるのだが、冬用タイヤの置き場所はベランダにした。もちろん必要

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『冬春夏秋』③夏

『冬春夏秋』③夏

第一話

第二話

 携帯電話の発する音が、僕の好きではない音になった。
 
 GWを明けて1週間後、僕は営業部に配属された。
 恐らくそれは、僕をあの町に落としていった張本人―奥村さんの一声により決まったようだった。そして、僕の働く会社では、配属先での研修なんてものは、冗談みたいな習慣として扱われるらしい。カタログの束がたくさんのラブレターのように、奥村さんの手でドサッと机に乗せられた。僕はそれ

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『冬春夏秋』②春

『冬春夏秋』②春

前のお話

 僕は、会社の先輩に落とされた。
 それは一瞬のことだった。僕はそれを、悪い冗談だと思っていて、現実になるとは想像もしていなかった。

 僕が4月から就職した医療機器の販売会社では、ローテンション研修という名の、見定めのようなものが行われていた。
 それは、四角い部屋とビジネスホテルを往復するだけの、マナー研修から始まった。続いて、仕入と売上の数字、見たことも無いUIの社内システムとに

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『冬春夏秋』①冬

『冬春夏秋』①冬

このお話は、以下のお話の緩やかな続きのようなものです。読んでいなくてもお話は分かりますが、気が向いたら、読んでからお進みいただけると幸いです。

 ◆
 
 
 
 

 そういえば、僕は彼女の言葉に首を振った記憶がない。覚えていないだけで、彼女の方もそうだったのかも知れないが。
 昨夜、彩木(さいき)あずさから携帯に連絡が入り、有無を言わせず僕を呼んでいるメッセージが届いた。

“明日、何時頃来

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『つむじ』

『つむじ』

 彼女の長い髪を乾かしていると、暖かい空気に混じって、シャンプーの匂いが漂ってくる。その黒髪に触れることができるドライヤーの時間は、僕にとっては喜ばしい時間と言える。
 これをしていると、彼女も喜んでいるのは、間違いなさそうだ。鏡に写る彼女が、僕に身を任せて目を瞑っている様子からも、それは容易に想像できる。

 
 毛先に、枝毛は少ない。
 まとまりはあるが、指通りは良い。ああ、今日も寝る前に触ら

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『鍋』

 雨が降れば多少はマシだが、肌寒い日が増えた。
 扇風機は片付けたし、ホットカーペットも設置した。今頃その上では、飼い猫が腹を上に向けて寝ているだろう。「近所のスーパーに買い出しに行く間くらい、点けてやっておいてもいいでしょ」と、彼女に言われ、そのまま二人で出てきた。

 先程まで着ていた服の上に、適当な羽織をした彼女が僕の前を行く。羽織の肩口に乗る黒髪に引かれながら、僕は買い物かごを手に取る。

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『小豆』

『小豆』

 少しくらい空気が冷えていても、ここでは、匂いを感じる。
 絵の具の匂いが、鼻の奥にある。中学校の美術室の匂いを、僕は嫌だとは思わなかった。大学の美術サークルのためのこの部屋でも、その匂いの種類は大して変わらなかった。その空間に、彼女が一人、混ざっていたとしても、その匂いは大きく変わらないのかもしれない。

 彼女は一人、絵を描いている。
 ちょうど賞状くらいの大きさの、小さなキャンバスに向かい、

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『カレー』

『カレー』

「ねえ、今日なんの日か知ってる?」
彼女は、自分の作ったカレーを咀嚼する合間を使って僕に話した。

「いや、特に何の日でもないだろ。」
彼女のカレーを食べるときの僕の口は忙しいので、長くは喋れない。それに、本当に今日は何の日でもない。ただの、ど平日だ。
彼女の口は暇なようだ。
「分からないの?君ならそういうの、さっと気づくと思うんだけど。」
「ないな。今月の休日はもう過ぎたし。」
先程から僕は、カ

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