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美しいキャッチコピーにはなぜか奥行きや立体感を感じる。

みなさん、キャッチコピーは好きですか。
私は好きです。

大学時代、コピーライターになりたいと思って勉強もしたし、コピーライター養成講座にも通ったし、実際にコピーライターのアルバイトもやった。

でもなんだか、

「うまいことを言ってやろう」

みたいな広告業界の風潮が苦手で、それを真剣に目指すことはやめた。後になって考えてみると、全然そんな風潮はないんだよ。きっと若かったんだと思う。

今でもキャッチコピーは好きだから、「おっ」っと思うコピーがあればメモするし、作った人は誰なのか調べたりもする。凄いと思うし、尊敬してる。


広告のプロでも専門家でもない私だが、表現的に「良い」キャッチコピーには一家言がある。


「立体的であるか否か」である。




広告の目的は「認知・売上」などをアップさせるものであるから、業界内の自己満足な表現や各種コンテストに対しては思うところがあるが、広告を一つの文化的側面で考えれば許せるようになる。



と、いうわけで今記事では私にとっての「立体的なキャッチコピー」とはどんなものなのかを定義し、その具体例をいくつか紹介してみたい。




立体的なキャッチコピーについて、中畑貴志氏の名作コピー「おしりだって、洗ってほしい」を例に出して考えてみる。

何回こすられたか分からん広告。



▶︎点

TOTOがウォシュレットを開発し、それを世に広めるための広告であるから、何が言いたいかといえば、

「新商品として、ウォシュレットを開発しました。ぜひ使ってください」

こうですね。
まさにこれが「点」な訳です。1番言いたいことです。要は広告作成の第一段階にあたるところ。

しかし、この直接的な表現では消費者に刺さらない。「点」から視座を上げる必要がある。



▶︎平面的

「新商品として、ウォシュレットを開発しました。ぜひ使ってください」

という「点」のメッセージでは人は動かないし、広告として美しくない。この点を別の捉え方で見る必要がある。どう捉えるかというと「面」だ。

この広告を細かく見てみると、サブコピー的にこんなコピーが書いてあることが分かる。

「もっと快適に。増改・取替」

ウォシュレットでもたらされる顧客利益がここで表現されているので、

面=顧客利益

と言い換えてもいいかもしれない。
しかし、これでもまだ人は動かない。
表現として美しくない。



▶︎立体的

「点」での表現は、

「新商品として、ウォシュレットを開発しました。ぜひ使ってください」


そこから「面」になり、

「もっと快適に。増改・取替」
という顧客利益が提示された。


ここから「立体感」あるいは「奥行き」みたいなものに表現をジャンプさせると、途端にメッセージは美しくなり、キャッチコピー的になる。

こうして出来上がったのが、

「おしりだって、洗ってほしい」

である。

ジャンプするイメージ。
奥行きや立体感。

ホップ、ステップ、ジャンプ的な感じだろう。

What to sayやHow to sayだとか、消費者のインサイトを徹底的に考えて表現に落とし込む、という途方もない作業があるはずなのだが、だからこそ私はコピーライターを尊敬する。




▶︎立体感を感じるキャッチコピー

※もはや好みの問題。


『プール冷えてます』
(としまえん 1986年)


『恋を何年、休んでますか』
(伊勢丹百貨店 1988年)


『そうだ 京都行こう』
(JR東海 1993年)


『地図に残る仕事』
(大成建設 1993年)


『一瞬も 一生も 美しく』
(資生堂 2005年)


『いつか、あたりまえになることを」
(docomo 2005年)


『やがて、いのちに変わるもの』
(ミツカン 2005年)


『想像力と数百円』
(新潮文庫 1984年)


『着やすい。つまり脱がせやすい』
(伊勢丹 1978年)


『恋が着せ、愛が脱がせる』
(伊勢丹 1989年)


『人生なんて、楽しもう』
(JACSカード 2005年)


『大自然よ、ぼくたちの
 ピュアな部分になってくれ』

(サントリー 2021年)


奥行き。立体感。


ちなみに、


もしもこの記事を業界の方が読んでくださっていたとしたら、「眞木先生が好きなんだろうなあ」と思われるかと思うが、はい、その通りです。「一語一絵」も持ってます。


好きです。


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