Too Emotional Brain 3


彼女と河岸で初めて出会ったその日、僕たちはかなりの長い時間そこで語り合った。

気づけば、時刻は日をまたごうとしていた。



僕たちはお互いに別の国からやってきている身であり、仕事の都合でこの国に滞在していた。

この国に住んでいる人たちからすると、言ってしまえば、僕たちはエイリアンのような存在であり、時折そのような扱いを実際に受けることもあった。

エイリアン同士であるという事も、僕が彼女にすぐに親しみをもてた理由のひとつである。



「精神的に辛いと感じる事はないわ。一人でいることが好きな性格だからっていうのもあるけれど。でも時折、こうやって誰かと、時間だったり、感情だったりを共有したいと思うことはある。」


僕は「分かるよ。」とだけ答えた。

実際に、それは僕も同じであった。



時間と感情を共有すること。



それは、人と人とが深く知り合おうとする時、もしくは人と人とが深く知り合いたいと思った時、必要となる作業である。

時間の共有というのは、別に同じ時間に、同じ場所で一緒に時を過ごすことを言っているのではない。

そんなことなら、満員電車や映画館、動物園、水族館、公園にいるだけで、名前も知らない誰かと同じ時間を共有することができる。



ちなみに僕はカトリックの家庭に生まれ育った。

人喰いたちの中にも、宗教を信仰することを好む者たちがいる。

人喰いたちだけの特有の宗教というのも、実は存在している。

大体僕ら、人喰いの7割くらいがその宗教を信仰し、その他は、僕のように、普通の人間たちと同じ宗教を信仰することを選択する者もいる。

でも、僕自身も含め、宗教にこだわりを持つ若者はあまりいない。

自分の名前を自分で決めることがない、もしくは、決めたいとは思わないのと同じように、宗教に関しても、自分で選択をしたいと思う若者はほとんど存在していない。



ある神父がこう話していたことを思い出した。

「この先、あなたが心から愛したいと思った人に出会った時、あなたは、その時点での相手だけを見るのではなく、これまで歩んできた時間をまでも受け入れて、愛してあげなさい。人は過去を無くしては、生きられないのです。」

と。


自分がこれまで生きてきた時間と相手が生きてきた時間を重ね合わせる事。

時間の共有というのは、こういう事である。

そして、あらゆる場面で、相手がどんな感情を持ったのか。

それを共有することが、感情の共有だ。


自らの口で、自らが描いた随筆文を語るのだ。


僕と彼女は、初対面であったのにも関わらず、その作業を心から楽しむことができた。

少なくとも、僕はそうであった。



「ここへはよく来るの?」

僕たちの時間と感情の共有のタイムリミットが迫っていることを、その場の空気だったり、人がほとんどいなくなった河岸の広場が示し始めていた時、彼女がそう尋ねてきた。


「うん。毎日というわけではないけれど、大体この時間帯に来ることが多い。」


「そう。」とだけ答えて、彼女は微笑んだ。


彼女の微笑みは、上品さを感じさせるものであった。

しかし、幼い少女のような無垢な微笑みも、彼女は持ち合わせていた。

そのことが、余計にその女性を色っぽく見せていた。



彼女と別れ、自宅へと向かう帰り道の途中、僕は人と人とが出会う事について考えていた。

これまで出会ってきた人達の顔を思い浮かべた。

出会っていなかったら、人生が変わっていたかもしれないような人たちと、出会わなくたって良かったような人たち。


そして、つい数時間前までは存在すら知らなかった彼女の事を思い浮かべた。


神秘的だと思った。


彼女は恐らく、後者のような存在にはならないだろう。

なんとなくだけれど、そう感じた。















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