【コラム】きっとあなたも神道信者〜八百万の神とカジュアル宗教観〜|Z世代、20歳から見た神国ニッポン
※note会員でない方もご購入いただけます。
メンバーシップ会員の方は、このままお読みください。
+++++
そろそろ晩ご飯を食べようかと思っていたのだが、浮かんでしまったからには仕方がない。
私にとって、筆に優先するものなど何もない。
カレーの誘惑と闘いながら、糖質・ビタミン補給のオレンジジュース1Lを筋肉痛の身体に染みわたらせ、筆を執る。
私が本記事を執筆しようと思い立ったのは、以下のツイートを目にしたためだ。
私はこのツイートを見て笑ってしまった。
あまりに暴論が過ぎるからだ。
上記のツイートでは、「日本にキリスト教が根付かないこと」と「日本に民主主義、個人主義、自由、平等、人権等が根付かない(と本人が思い込んでいる)こと」を、イコールに近い関係で結んでいる。
しかし、まずもって、「自由、平等、人権」などというのは、キリスト教とは最も遠いところに位置する概念であると言えよう。
たしかに、「自由・平等・人権」という概念が欧米 キリスト教圏 からやって来たと考えている日本人は多いように思う。
なぜならば、これらをやたらに叫ぶのが欧米だからである。
最近なにかと話題の「LGBT法案」だが、これについても、欧米圏からの 内政干渉とも言える アプローチが目につく。
要は、ラーム・エマニュエル駐日米国大使が、日本に対して「LGBT法案を可決しろ」と迫っているのである。
これはあくまで一例にすぎず、この他にも「G7」のうち日本以外の欧米諸国から「LGBT法」の制定を求められている。
しかし、だ。
日本のどこにLGBTQである者への差別構造が存在するというのだろうか。
かつてより、日本には "男色" と呼ばれる文化があった。
これは、男どうしの同性愛を指す言葉だ。
織田信長や武田信玄、伊達政宗、徳川家康などの有名な戦国武将でさえも、男色 本気の恋愛・性行為の関係にかかわらず を楽しんだと言われている。
時の権力者が男色を公にしても権威を失墜することがなかったということは、つまり男色が一般的なものであったということなのだ。
また、日本へキリスト教を布教しにやって来たフランシスコ・ザビエルが、「 "一神教" と"一夫一妻制" 、そして "男色の罪" を日本人に説明することの難しさ」を嘆く手紙を本国へ送ったとも言われている。
それもそのはずであり、日本はそもそも、神々が男色を行っていた国なのである。
江戸時代前期に井原西鶴が記した、浮世絵草紙『男色大鏡』には、「 当時は男神とされていた 天照大神が、日千麿命を衆道(男色)に基づいて愛していた」と記載されている。
さらに井原西鶴は、伊耶那岐命と伊耶那美命の夫婦が誕生するまでは、男神ばかりだったために男色を楽しまれていたとしている。
つまり、日本の男色文化は神話の時代から始まっているのである。
しかし、そのような日本において、男色の排除が始まってしまった。
その原因は「キリスト教」だ。
日本では古来より、男色が当たり前のように流行していたが、キリスト教において男色は罪とされている。
そのため、明治維新によって西洋文化 キリスト教 が取り入れられたことにより、日本でも男色がタブー視されるようになってしまったのだ。
明治時代であっても、当初は「女性に溺れるよりは男色の方がよい」と言われ、男色文化が学生の間で流行するなどしていたという。
しかし、1873年(明治6年)、男性同士の性行為 アナルセックス を禁止する「鶏姦罪」が規定された。
「欧米列強に追いつけ追いこせ」という当時の日本では、「とにかく西洋文化に合わせよう」という雰囲気があり、また欧米諸国もそれを求めていたのだ。
そのような時代背景において、キリスト教ではタブーとされる男色を容認したままにしておくことはできなかったのである。
とはいえ、この「鶏姦罪」は1882年(明治15年)に廃止された つまり日本において男色が禁止されたのは10年ほど 。
だが、西洋文化の浸透により、明治後期には男色を "悪" とする考えも強まっていったという。
明治の次である大正時代に入ると、ついには男色が「病気」として扱われるまでになってしまった。
このように、「神々までもが男色を好んでいた日本」から男色を排除したのは、紛れもなくキリスト教なのである。
しかし、そこはやはり日本人。
近年、「LGBT」という概念が一般化してからというもの、BL、百合、男の娘etc……の市場が爆裂に拡大している。
また、はるな愛氏やマツコ・デラックス氏、ミッツマングローブ氏、美輪明宏氏などがメディアに出演し、いずれも人気を博している。
いったい、日本のどこに「LGBT差別」の社会構造があるというのか?
もう一度訊く。
日本のどこに「LGBT差別」の社会構造があるというのか?
もちろんだが、個々人の個別事例的な差別はあることだろう。
しかし、それはどのような属性においても同じだ。
そして「LGBT法案」のような理念法が適用されるのは、主に社会的な差別構造である。
そのような社会構造の存在しない日本においてLGBT法案を可決することは、そもそも存在しなかった分断を生むことに繋がり、結局はLGBTQである者への差別を生むことになってしまう。
欧米諸国に「LGBT法」が必要であるのは、彼らが「社会的にLGBTQを差別・迫害してきた歴史」を持っているからなのであって、この点において日本と欧米諸国はまったく異なる。
+++++
このように、LGBTQひとつをとってみても、日本がいかに寛容な文化を持っており、キリスト教圏がいかに「自由・平等・人権」からかけ離れた意識を持っているかがよくわかる。
さらに言えば、日本人は「欧米諸国による差別」と戦った歴史を持っている。
「大東亜戦争」だ。
第二次世界大戦における支那事変と対英米戦争をまとめて、当時の日本は「大東亜戦争」と呼んでいた 1941年(昭和16)12月12日に東条内閣が閣議決定 。
この大東亜戦争において大日本帝国は、「数百年にわたって白人諸国に植民地支配されているアジア諸国を解放する」という大義を掲げていた。
もちろんその他にもさまざまな目的・大義が存在し、大東亜戦争に対する評価というのも千差万別であるが、大日本帝国がこのような大義を掲げていたこと、アジア諸国が数百年にわたって植民地支配されていたこと、大東亜戦争後にアジア諸国が独立したことは歴史的な事実だ。
当時、欧米諸国はアジア人を「イエロー・モンキー 黄色い猿 」とし、差別し、植民地支配し、搾取していた。
これは、国連において日本が発した「人種差別撤廃」を退けたほどである。
そして現在においても、白人による黒人差別が度々問題となる。
私が冒頭において、『「自由、平等、人権」などというのは、キリスト教とは最も遠いところに位置する概念である』と述べた理由がよくわかっていただけたかと思う。
+++++
では、なぜ日本と欧米諸国の間で、これほどまでに人権意識・多様性への寛容さに違いが生まれたのだろうか。
私は、日本の国教とも言える「神道」の性質に答えがあるのだと考えている。
この先では、この「神道」がいったいどのような信仰なのか、そして「きっとあなたも神道信者」であるというお話を展開したいと思う やっとタイトル回収 。
さて、まずは「神道とはどのような信仰なのか」についてお話したいと思う。
ここでまず申し上げておきたいのだが、私は意図的に「神道とはどのような『宗教』なのか」ではなく「神道とはどのような『信仰』なのか」としている。
ここから先は
最後までお読みいただきありがとうございます! こちらは投げ銭エリアです。100円~10,000円の任意の金額を投げ銭していただけます! サポートをいただきましたら、心ばかりですが、「感謝メッセージ」をお送りさせていただきます♪ いつも本当にありがとうございます!