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わたしの転職体験 その5 技術職から事務職に強引に転職 事業企画への道 鉄鋼会社研究所LSI量産·試作工場開発職から同渉外職へ ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 文系の方も理系頭の中身を覗いて見て下さい。(笑)

【経緯】
 大学を卒業して希望していた鉄鋼会社に入社、専攻していた表面物理学を活かせる研究部門に配属されました。そこでのんびり論文ドクター位取ってから総合企画部、そして役員狙いかなぁとぽんやり考えていたのでした。

 社内結婚を期に一気に人生が動きました。

 夫婦同部署不可もあり、研究(コストセンター)から事業部門(プロフィットセンター)へ希望通りの転職。それを足ががりに会社の未来の中核事業へ転職。転職先の製造所の所長にアピールが功奏し、米国カリフォルニア州のシリコンバレーの最先端半導体ベンチャーに転職となりました。韓国、中国、フイリピン、チェコの方々と最先端半導体の開発をしました。2年後。世界最大のIT企業に工場管理システムのプラットフォームを用意させ、鉄鋼会社の持つ全自動多品種大量生産技術(鉄鋼の生産は多品種を大量に全自動で生産していました)を惜しみなくつぎ込んだ最新量産試作工場が完成した為帰国。希望通りのLSI量産·試作工場開発職へ転職でした。

 その辺りはこちらも参考になさって下さい。

【民間企業に入って良かったと実感】
 元々政治の世界にも魅力を感じていました。しかし大学生時代の実体験でお金というパラメータに感動し、民間企業に入ることを決意しました。

 その辺りは以下をご覧になって下さい。

 帰国後、真新しい試作工場を見て感動。
基幹産業の面目躍如。米国のベンチャーに2年間居たので、その設備の充実度は衝撃的でした。

【世界初の装置のみ】
 製造装置は次世代のもののみ、世界で誰も使っていない装置ばかりでした。どう使いこなそうかとワクワクでした。

【生産性2倍】 
 シリコンウェハ(シリコン単結晶の円盤で、その表面に半導体を作ります)の直径も標準の6インチではなく当時誰も量産に使っていない8インチ。生産性が約2倍なので、製品のコストも半分にできます。簡単に利益が出せます。

【鉄鋼生産で培った技術が惜しげもなく投入】
 加えて各装置にシリコンウェハを搬送して処理をしていくのですが、コンピューター制御の全自動で全く人の手は使いません。鉄鋼生産で培った技術が惜しげもなく投入されていました。
 コンピューター制御は今では当たり前ですが、当時は部分的に使われる程度でした。最初のWindowsのバソコンが発売される3年前の話しです。
 ちなみに今流行りの人工知能は、1980年代には操業に使っていた位最先端のコンピューター制御技術を生産に使っていたいました。この門外不出の機密情報を丸かじりできたのは、理系人間としては冥利に尽きました。

【鉄鋼会社の操業能力に脱帽】
 その最高の試作工場を操るオペレーターのレベルの高さに驚かされました。アメリカのベンチャーにはテクニシャンと呼ばれるエンジニアとオペレーターをつなぐ仕事をする方々が居ました。オペレーターの仕事もできるし、エンジニアの仕事も手伝えるというレベルの高い仕事でした。私にはフイリピンの医師免許を持った方が付きました。とても優秀で私の開発意図を汲んでサポートして下さいました。鉄の現場のオペレーターの方々は、テクニシャンのレベル。オペレーター全員テクニシャンという感じでした。

凄い。

 それか効いて、何とか1年半で次世代製造装置を使いこなし米国で開発した技術の移管を完了しました。移管時に用いた製品も商品化され、後は歩留(ぶどまり、良品の率)を地道に上げていくだけというところまで持っていきました。

【製品化まで完了し総合企画職に転職希望】
 やることはやったからそろそろ総合企画職へと上司に談判しました。そもそも技術職というカテゴリーに属して居たので、事務職という文系の世界のキャリアが必要との人事の判断でした。

【先ずは渉外職から】
 人事的には稀有な技術職から事務職への転職希望でした。

熱意が伝わった。

 手始めに渉外職へ。海外駐在経験が有り技術の事は専門で詳しいので、技術導入に伴う海外企業とのライセンス契約を担当することになりました。米国駐在時に契約整備はやり尽くしましたので軽くこなしてしまい半年で仕事が無くなってしまいました。

 これが良かった。

 運と勘としつこさ

が引き寄せた転職人生が続きます。

 宜しければこちらもお楽しみ下さい。




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