見出し画像

アルレッキーノ、タッチストーンそしてジョーカー 斜に構えるスタンスも私のパートナー その2.43 当たり前過ぎて意識しなくなっていること

 王道を歩むことが人生の軸です。その上で対極にある斜に構えるスタンスも恣意的に取ることは忘れません。

 そのスタンスの典型に1つである、道化師として芸術作品で扱われる役回り。

 その1では、

 良い年をして、最近になってこのnoteのプラットフォームの中のアルレッキーノさんの作品に触れる機会があり、正にnoteさんがご縁でアルレッキーノを意識するようになり、リファレンスとしてアルレッキーノ (Arlecchino)をこれから少しずつ勉強していこうと思っています。

というお話でした。

 その2.1では、アルレッキーノに次いでタッチストーンを。王道を歩むことを柱に構成されている私の頭の中の仮想パートナーとして、斜に構えるスタンスのメインのリファレンスロールモデル。
 NHK教育テレビの市民大学講座で小田島雄志先生のシェイクスピアの作品の解釈を通じて、異なった目線で物事を見ているタッチストーンの重要さを知り、私の心の深い場所にシェイクスピアの作品は鎮座したというお話でした。

 その2.2は網羅性あるBBCのシェークスピア劇場を小田島雄志先生の市民大学講座テキストを座右に置き、当時最新の業務用技術を搭載したソニーのベータマックスビデオデッキを無理して買って、そのジョグダイヤルという業務用機器に使われる機能を駆使して気に入った場面や深く理解したい場面を繰り返し再生し鑑賞したというお話でした。
 受験勉強から解放されパッと道が開けた時に主役だけではなく、むしろ脇役に重要なメッセージ性を持たせている作品、お気に召すままのタッチストーンがシンボリックな形で私の心に入って来たというお話でもありました。

 その2.3は、
いつかは現地のグローブ座で観劇してみたいなぁ…
というぼんやりした思いを、タッチストーンを心のパートナーとして持ち続け、技術者から海外畑セールス&マーケティングに身を振ってと、20年近く掛けてそれを現実にしたというお話でした。

 理系の私が、古語の英語で観劇を楽しむ、道化のタッチストーンがくれた人生の多面的な見方がこんな形で私の人生に彩りを与えてくれたという…

 その2.41は、話の焦点がボケるのでタッチストーンの話の流れに入れ込めなかったポイント1つ目、
[ジェイクイズの扱い]
のご紹介でした。

 お気に召すままでシェイクスピアをして
「この世は舞台」
という名台詞を言わしめたジェイクイズですが、タッチストーンの方がよりインパクトが私には有ったというお話。(ここは全くの私の個人的印象です。)

 その3.42は、話の焦点がボケるのでタッチストーンの話の流れに入れ込めなかったポイント2つ目のご紹介でした。

[刹那的という言葉とタッチストーン]
 とても違和感があった刹那的という言葉について。社会人になってその真意がわかったのですが、タッチストーンの生き様に触れたことで、そのブレイクスルーの糸口を見出していたのだと今回の執筆で感じたというお話でした。

………………………………………………………………………………………………………

 今回は、話の焦点がボケるのでタッチストーンの話の流れに入れ込めなかったポイント3つ目のご紹介です。

[太鼓持ちとタッチストーン]
 昭和の時代、高度経済成長期のお茶の間の白黒テレビからは何ともほのぼのした落語家さんたちが繰り広げるお笑い芸が良く流れて居ました。思えばその手の娯楽が今よりも放送に流れる機会が多かった様に思えます。

「大正テレビ寄席」

「シャボン玉ホリデー」

「てなもんや三度笠」

「お茶の間寄席」

 子供向けにもゴールデンタイムに

8時だョ!全員集合

という何とも子供向けとしては際どい、ちと下衆なプログラムまで用意されていました。

うふっ 思えば私の根っからのオプティミスティックなスタンスはこの様な時代背景から醸成されたのかも知れません。

 こんな時代背景で、小学校5年生の四谷大塚編入から希望大学の合格までの受験勉強集中期間、特に高校以降の禁欲的な(笑)時代を抜け出した大学時代…

 その落語。小学校5年生で止まっていたお笑いへの嗜好が解放され大学生時代にハマっていました。図書館からカセットテープを借りては、布団に入って目を瞑(つぶ)りながら楽しんで居ました。

 落語は漫才に比べると結構奥が深く、私の知的好奇心を満たすに足るものでした。

 大学の教養過程の2年間で図書館所蔵の落語カセットテープは全て網羅しました。新作落語は今もアップデートしていますが、少なくとも古典落語は、しかも録音機器が普及して以降の様々な噺家さんのバリエーションを含めてフルセット頭に入っています。

 その中で太鼓持ち(幇間(ほうかん))という職業が落語に彩りを与えていることに気付きます。

 旦那に機知に富んだ仕掛けで取り入ってご機嫌を伺うという職業を具体的な話を通して、まるで事例紹介の様に私の頭に多角的に刻まれて行きました。
 しかも落語ですから楽しく、かつ15秒を単位とするテレビコマーシャルの様に大体メインは一席につき40~50分とまぁ小中学校までの授業1コマ分という感じでしょうか、その時間の中で必ず起承転結、完結するのが私には心地良かったのです。

 その太鼓持ち(幇間(ほうかん))という職業が宮廷道化師と重なりました。

 そしてその雄たるタッチストーンに重なり、落語と演劇が立体的に人々との関わりが織りなす日々の生活に、今も彩りを与えてくれているのです。

 シナジー効果ってヤツですかねぇ…

 ということで、6編に亘ってその2としてタッチストーンを取り上げさせて頂きました。それ位、タッチストーンの生き様は私の人生のパートナーとして大きな位置を占めているのです。

つづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?