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https://d-spot.dream-care.club/ 地域でがんばる日本中のケアマネさんと話したいという夢があります❣️ https://lovelifecaremane.club 夢を語るラジオ 月と木 by dream spot ケアマネゆめこのここだけチャンネル

最近の記事

見誤ることもありますね

こちらが正しいと思って進んできたけれど 何だか居心地がよくない そんなことって 時々あります 1度目は 気のせいかなあとやり過ごすけれど 2度目の違和感は 見過ごせない 違うよ そうじゃないよ そう告げるための サインが出ている ここで軌道修正する ここで決別していい そのためのお知らせだと 感じることができた自分を信じよう 違和感を感じる自分を信じる 捨てる勇気を自分で選ぶ たとえひどいと思われても その評価を受け取る必要はないし その評価は重要ではない

    • そうだったんだ

      目からウロコがポロリと落ちた 今は、ここまできたけれど なんでこうなったのかと思う時もあった なぜ こうなったの? 何を理解しろと言われているの? ずっと答えは見つからなかった そして、2年経ってようやく 本当にようやく理解できる時が来たと やっと教えてもらうことができた すごい力で引き戻されたので ただただ驚くしかない自分がいて 何が起こっているのか ずっと答えを探していた 違う道へ迷い込もうとしていた 危ないところへ行きかけた だから こっちだよ!って引き

      • この醜さも わたし

        いやだなあ うまくいかない こんなのは本当じゃない もっとうまくいくはずだったのに 気持ち悪い こんなの私じゃない 私はもっと うまくやって、綺麗で、賢くて 皆からすごいねって、言われるのが私なのに 全身で、心の底から いやだって思う自分がいる 抗って、否定して 何かにすがって、救いを求めて 毎日毎日、自分ではない何かになろうとして 苦しんでいる 苦しいのは 思い通りにならない今の現実ではなく 現実を受け入れられない自分がいること 自分で自分を否定する暴力 い

        • 使える母乳パット

          通院も家事も、なんとか自分でできる高齢独居男性 福祉用具とデイサービス、安否確認を兼ねた配食を利用中 先日、転倒してストーブにぶつかり、火傷してしまった 患部は臀部なので、自分では見えない 滲出液で、ガーゼも張りつき、デイで大騒ぎしながら交換してもらう 治るまで、毎日デイへ行くか 訪問看護師さんにお願いするか相談し 折衷案で行くことになった 契約で訪問してくれた看護師さんは 「焼肉になるとこでしたわ」と笑う本人に 「痛かったでしょう」と苦笑しつつ 「これ使いましょうか

          始める日

          新年あけましておめでとうございます 今年もよろしくお願いいたします 元旦から、自分の時間をゆっくり過ごして 何をしようかと考えたり、文章を書ける日が来るなんて! かつての生活では、想像もできない喜びをいただいてます 増えて来た白髪にちょっとだけ落ち込んでみるけれど いろんなことから自由になろうと決めたので クヨクヨするのも、気持ちが滅入るのもやめにした 今したい事をして これからやりたい事を数えて、初めて 毎日、幸せを感じながらご機嫌に生きていく 多分これが、私のミッ

          悲しくて、悲しくて

          日曜日の昼前 知らない番号から着信があった 見知らぬ声に戸惑いながら、話を聞いた後 頭が真っ白になり、絶句してしまった そんな私に、相手は電話が切れたのかと思ったようで 「もしもし、聞こえますか?」と何度も呼びかけられる 混乱している様子を察して 相手は面識のある友人に代わってくれた 「Aちゃん、亡くなったんですよ」 「?」 「いや、ええっと。入院したところですよね?内視鏡手術するって」 「検査中に意識が無くなって、そのまま‥。」 「??え」 そして言葉を失

          保健師がきた

          先日、インタビューでお世話になった尊敬する先輩から 約束の本が送られて来た 保健師の仕事の日常を、地元在住の漫画家さんが描く 「保健師がきた」の第1巻 連載されていた雑誌で見てはいたけれど 改めてコミックスで読み直し 良い漫画だなあと、改めて思う 本は大好き 漫画も大好き 本は、なくてはならない物であり 幼い私に夢を教え、希望を生み、 未知の世界への羅針盤として ずっと大切な存在であり続ける 今の仕事の、礎になった思いも 本の中で読んだ一節から生まれて来た 仕事柄

          認知症マフ、みっきいマフの会

          今年3月に認知症マフに出会い、 4月に「みっきいマフの会」を立ち上げ 今日はボランティアフェスタで、展示紹介をする日 小さく、でもしっかり活動してきた様子が 見る人に伝われば良いなあと思う 参加を決めた時、 見るだけじゃなく、しっかり触って感じて欲しいから 体験ブースの出展を考えたが メンバーの負担を考え、諦めた 昨日、皆で展示準備をしていた時 いろんな人に声をかけられ 説明したり、触ってもらう中で 「次は、体験ブースでもよくない?」という声 うん、そうだよね 次は

          認知症マフ、みっきいマフの会

          ざわつく気持ち

          むかし昔、小学生だった頃の話 ある雑誌に投稿した短歌が、賞をいただけると連絡が来た 本の虫で、国語だけは飛び抜けて(?) できる子供だったので、ふふん、なんて思いながら喜んだ その後、当日雑誌に掲載された短歌を見て 衝撃を受ける 言葉の並びが入れ替えられる 私が作った短歌じゃない 違うし これ、私の書いたやつじゃないし 勝手に書き換えられたことへの憤りは 喜びをかき消し、子供心を傷つけた 今、ある仕事で報告書を書くことがある 標準がある内容なので、言葉選びも

          問題の本質は

          昔から、感情に振り回されやすい傾向がある 感情の赴くままに行動することも 悪いことではないし、自分には必要なことだと思ってきた けれど、大人になってしばらくして これはうまくいかないぞ、と気がつき 知らず知らずのうちに仮面を被るようになった 空気を読んで、ここではこの顔、あちらではこの顔 そうやってうまく立ち回っているつもりになっていた 昨日、被る仮面を間違えた 鬼の面を被ったつもりが おかしな顔のピエロを被っていたようだった 選ばれたのは確かだけれど その面を選

          うれしいなあ

          うれしいなあ ずっと前、 尊敬する先輩に講義内容を褒めてもらって すごく、嬉しかった そして、今日 また、別の先輩にお褒めの言葉をいただいた 何年も前、この先輩と一緒に仕事をした その時の私は、実にポンコツで 自信のなさと不安で、役割を果たせず きちんと言葉にすることもできない有り様だった 結果、先輩に全てお任せしたという黒歴史がある 今日、その先輩の褒められたのである 「どうしたん?何があったの?」と問われ 話した後に言われた 「今まで被っていたものを脱いで、

          極悪ケアマネになった話

          上司からメール連絡が入る 数時間前に担当解任になったケースがあったため、 そのことだろうとは思っていたが 内容を聞いて驚いた どうやら私は、極悪ケアマネらしい 腹いせに事業所へクレームの電話が入ったのだが その内容があまりにもひどいので もしも事実なら大変だということで 連絡してきたらしい 内容があまりにも突飛すぎて 空いた口が塞がらないどころではなく、大笑いした 「それって、私、極悪ケアマネですよね?」と思わずネーミング キーパーソンにはなりたくない精神疾患の家

          極悪ケアマネになった話

          美容院で

          子供の頃から、中途半端な癖っ毛で剛毛 扱いにくい髪なので、物心ついた頃からずっとショート その反動で、娘時代はロングにしたが 髪質が変わるわけでもなく、三つ編みするか束ねないと扱えない 子育て期間中は、またショートに戻り 白髪が目立つようになってからは 毎月、マニキュアカラーで自分なりに満足していた 今の美容師さんと出会えたのは5、6年前 白髪と癖っ毛、湿度で自由に跳ね回る剛毛を 初めてうまくカットし、扱ってくれた人で 私にとっては、奇跡の人である 昨日は、夏の間だ

          考える習慣

          物事の概要を見て、瞬時に判断して適切に行動できると 評価は比較的高くなる だから、瞬発力とまとめる力は培ってきた 組織の中で高く評価されるように この人に任せれば大丈夫と思ってもらえるように 努力してきたし、積み上げてきた 目に見えるものが重要で 良い、悪い 出来るか出来ないが重要だった けれど今、よく思う 目に見えないものを評価してこなかったのは 浅く、薄く、生きてきたのではないかということ 長い間、これが正しいと思ってきたことは 間違いではないけれど、全てで

          さあ、行こう

          久しぶりの大阪空港 観光気分でやってきた 普段は神戸空港を利用するので、約10年ぶりくらいかもしれない いろいろ歴史を感じる建物だけど、ショップを巡ったりウロウロしていたら 旅行気分で気持ちが晴れてきた 移動手段はいろいろあって 気力と体力があれば、どこにでも行ける そう思うと、自分で自分を縛っていただけかもしれないと気がついた なんで、こんなに不便なの どうして、そんなことで差別化して、いったい何を目指しているの わけわかんない そんな体質だから、人がいなくなるん

          一番の‥

          24年のケアマネ生活の中で、一番短い支援期間だった 家に帰りたいと願う本人 最期は自宅で迎えさせたいという家族の思い それが叶った3日間だった 数年間の闘病中も自宅で過ごし、家業を伝え 入院する直前まで仕事をされていたと聞いた 自宅に戻ってからは、遠方の兄弟姉妹にも会い 最後の時まで、常に誰かが側についていた ケアマネジャーの仕事をしていると 家族というものについて考えさせられることが本当に多くて 逆に家族がいない方が、この人は幸せなんじゃないのか、と 思うような時も