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4. ざっし

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記事一覧

イラストとマンガの違いについての考え方

「イラスト」と「マンガ」との違いについて考えるには、
「1枚のイラスト」と「1コマのマンガ」を同じものだと仮定すると、考えやすくなるだろう。

つまり、
「イラスト」と「マンガ」との違いは、
「写真」と「映画」との違いでもあるわけだ。

そのあと、
「プライベートな動画」と「映画」との違いなどを考えるといいだろう。
あるいは、
「らくがき」と「イラスト」の違いなど。

ひとつ言えるのは、
マンガは

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エッセイ。

きのう、きょうとエッセイを投稿した。このスタイルのエッセイはすごく自然でいい。わかってもらおうとする文章ではないので、無理がない。流れがスムーズだ。わかってもらおうとする文章は、村上春樹的になる。基本、今の世の中の文章はこの村上春樹スタイルだと言っていいと思う。そうじゃないようにするには、詩になっていく、と思う。客観からの普遍ではなく、主観からの普遍へと至る道。自分にも合っている。

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ポテトサラダ乗せふわふわ食パン

ポテトサラダ乗せふわふわ食パンを食べて、2枚め食べるときに、ポテトサラダの皿を空にして、ゆでたまごの殻をむいているときに、ポテトサラダの皿についた微小のポテトサラダに、コバエ?がきた。皿の何もないところ、何もないかに見えるところを何かしている。水分的なものをとっているのかと、見ていた。そのあと、ポテトサラダの7ミリほどの大きさのやつに、いった。食べている。懸命に食べている。かわいい。それをみながら

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イナゴの大群はもちろん怖いが、仮面ライダーの大群だって怖い。

写実的な絵、思うのは、私がなかなか写実的な絵を描かないのは、実物と比べたときに絶対に実物の方がいいと思うから。比べなければ、絵の方も好きだが、比べてしまうと、絶対に実物の方がいいと思う。ふむ。これは、絵に対する信頼が足らないということなのかもしれん。しかし、絵の中に出口がないと、絵の中に入ったまま出てこれなくなる危険性がある。スーパーリアリズムの、写真のような絵に対しては、出口は感じない。だから、

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パクリと転売

「パクリ」について、なんとなく考えていて、そのことがぼんやりと頭にあった状態で、「転売」のことを考えたときに、そうか、「パクリ」と「転売」は同じカテゴリーのものだな、とわかりました。

補足しますと、ここで考えていた「パクリ」は、この映画はあの映画のパクリだ、というようなときに使うイメージのやつで、それは精神的な領域、文化的な領域の話で、「転売」は、転売ヤーなどと揶揄されるときの、商品の転売のイメ

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グッドとバッド (ディストピア)

グッドとバッド (ディストピア)

今ユーチューブを見ていて、情報として間違ったものが入ってるのでバッド(低評価)したいなあと思うが、この問題を取り上げていること自体は評価したいなあ(高評価)という気持ちになったが、ここはやはりグッドとバッド、つまり◯と×の中間、△が必要なのだと、あらためて思った。

△の機能の部分は、コメント欄などで補っているのだろうが、コメントを残す人よりは残さない人のほうが多いと思うし、◯と△と×の意見が混在

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人間の基礎、この私とこうでない私の同時存在について。

最近、ここ1ヶ月くらい、批評家・哲学者の柄谷行人を読み返していて、そして他にも最近ユーチューブで哲学本の分かりやすい解説の動画などを見ている。見ているチャンネルは、「帰ってきたロシュフコー」と「何か分かりづらいチャンネル」で、どちらも解説が分かりやすく、おすすめです。

それで、今は柄谷行人の『トランスクリティーク カントとマルクス』を読み返していて、今さっき、ここ最近の読書などでの思考が簡潔な文

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差別について

資源には限界がある。

限られた数のものについて争うと、差別が起こる。

持っている者と持っていない者が出て、差別が起こる。

数が限られていると、全員が手に入れることはできない。
数が限られていないと、全員に行きわたらせることは可能だ。

限られた数のものについて争うと、差別が起こる。

なにかにこだわらなければ、差別はなくなる。一つのことにこだわらなければ、差別はなくなる。ということだろうか。

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風が強すぎて「ピー」いうてる。

『ファンタジスタ ライト ボーイ』、完結したぞ!!!