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「子育てが社会を変える」と思うに至るまでの半生(6/7)

前回の続きです。
今回は「行動することと過信しない」「教育の矛盾点」「母親の重要性」について。

教育系企業(進学塾)で授業映像を作る

関西で200以上の校舎を展開する進学塾に就職し、映像の仕事に派遣として従事することになりました。入社当時僕は32歳でした。

授業映像を制作する専用の撮影スタジオがまだできたばかりでした。
反転授業と呼ばれる家庭で視聴する10分程度の動画や生徒が欠席した時用の動画、有料コンテンツなど映像に関する制作をしています。
基本的には教師が白板の前で授業を行なっている動画なのであまりクリエイティブな要素はありません。ただ数が相当多くて、年間約1000本弱程度は撮影しているでしょう。
入社当初、撮影の準備・撮影時の流れ・編集時の注意点・ファイルの管理・サーバーアップの手順などは一切決まっていなく、僕以外はアルバイトだけだったので全ての手順を僕が決めていきました。入って3ヶ月くらいは昼飯は週1か2日くらいしか食べる余裕はありませんでした。まあ動き出して最初の時期は大体どこもそんなもんかな?と勝手に思ってます。

入社から2年くらい経った時に、僕がスタジオの責任者になることが決まり、派遣から正社員として正式に採用されました。

ショップ運営

会社に入ってから3年程して、映像以外の何かをしたいと思うようになりました。
その理由は、祖父母が営んでいた自宅兼居酒屋の店舗が何年も前から荷物置き場になっていて、なんか勿体無いなあと大阪に帰ってきた時から思っていました。使えるスペースがあるんだから有効活用できないかな、と頭の片隅には常にあったと思います。
貯金もそれほど蓄えがあったわけでもないので、費用を抑えて何か販売ができるものはないかと考えた結果、委託販売であれば資金を抑えられると考えました。
そして思いついたのが「ハンドメイド」でした。

2015年ですがホビー全体の市場規模は1兆9331億円、クラフトでは8906億円にも登ります。関西では定期的に大きなイベントも開催されたりハンドメイドの委託販売はやっている人もそれなりにいるので知名度はあると単純に考えました。
それからオンライン販売を視野に入れて居酒屋の店舗改装に着手しました。
水道管とガス管は個人ではできないので業者に依頼し、それ以外の簡単な電気配線・扉修繕・塗装・壁紙張り替え・コンクリート埋め・天井の補修などは、週末や連休を利用して約半年間かけて妻と一緒にやりました。
リノベーションまじ楽しかった!

HPを作り、google mapにも店舗を登録しました。
フライヤーやショップカードも作りました。
店舗の改装が終わり、オープンの日程も決まったので近隣住民の方々に安いですがハンドタオルと手紙を一緒にして挨拶周りをし、2016年8月にやっとこさオープン!
店名は「krukku(クルック)」と名付けました。
魔法陣グルグルご存知ですか?その名前をもじっただけですが、個人的には結構気に入ってます。


平日は会社員、週末はハンドメイドショップを開くというスタンスで続けていきました。基本休みは大型連休の時に数日休める程度で、それ以外の日は全て店舗を開けることにしました。オープンして1・2カ月は近所の方やチラシを見て来られる方、物珍しさでお客さんもそれなりには来てい頂きました。
しかし、3ヶ月目くらいからはお客さんはそれほど多くは来ませんでした、理由はやはり場所です。ほぼ近隣住民しか通らない「シャッター商店街」と言ってもいいでしょう。人通りが少なく、駅からも歩いて10分程度かかります。民家街にある店舗なので、このお店のためにわざわざ来るお客さんも少ないでしょう。しかしそれは想定してました、場所がよくないので店舗での売り上げはそれほど見込んでいませんでした。売り上げの主軸はオンライン販売を考えていましたから。
オンラインでの販売方法を模索し、プラットフォームを開発することも検討しましたが、minneやcreemaなどのハンドメイド大手オンラインプラットフォームが既にあるので、今から立ち上げても効果は薄いでしょう、しかも個人ですから。知名度も信用度も比較にすらなりません。
オンラインで販売する場合、商品を自分で作っていれば販売金額の7割程度は自分の収益(残りはwebサイト側の手数料)になりますが、委託販売は作家さんに売上げの7割、残り3割がこちらの利益です。なので委託販売は薄利多売、数を売らないと売り上げが上がらないのです。メーカーやプラットフォーマーで主導権を握るレベルにでもならない限りは薄利多売なのかもしれません。
自分の考えの詰めが甘く、結局2017年12月で店を閉めることとしました。

しかし、ここでの経験も大切な「学び」になりました。

行動と自問自答

頭の中でビジネスモデルを描いたりイメージしてみたりすることは大切ですが行動が伴わなければ机上の空論、絵に描いた餅です。
まずはやってみて実現可能かどうかを動きながら確かめる、ということの大切さをこの時から考えるようになりました。
始める前から実現可能かどうかは分かりません。もちろん資金が潤沢にあればより実現しやすくなりますが、資金のない個人ではまず小規模から試行錯誤してみること。何より「行動するクセ」を身につけていくこともこの経験で大切だと感じました。
見苦しい部分はあるかもしれませんが、まずは動き、形を作り、試行錯誤を繰り返すことが大切なんだというふうに考えるようにしました。
そして仮説検証しながら同時に行動する。
考えながら行動し、予測と異なる結果が出ればそこから軌道修正、また検証しながら行動。当時、そんな事を感覚的に考えていたと思います。

そして、もう一つ。

自分のアイデアを疑うことです。

行動の大切さを書きましたが、「そのアイデアは考え尽くしているか?」という自分へ問いかける意識は持ち続けなければなりません。それがてきなければ行動しても途中でビジネスモデルやプラン変更の確率は高まります。
行動は大事ですが、途中で変更が発生すると逆に時間がかかってしまったり場合によっては最初のアクションが無駄になる場合もあるでしょう。

過信せず、自分へ問い続ける。
そして迅速な行動。

このことを店舗運営で学びました。

違和感

店舗を閉めた後、気持ちを切り替えるために今の会社の仕事に集中して取り組んでいました。撮影や編集そして数十人いる撮影に来られる講師とのやりとりや情報共有、各事業部から種々入ってくる案件に対応していました。管理的な仕事も多いですが、それなりに頑張っていました。

仕事は集中して取り組んでいたと思いますが、入社当初からある疑問というか違和感みたいな「もやもや」を感じていました。多分多くの方が感じていることだと思います。
ちょうど店舗を運営している時くらいからだったと思いますが、この疑問や違和感の原因は「そもそもどこから来ているのか」ということを考えるようになり始めました。これが今自分が行なっている取り組みのきっかけになります。

その違和感は2つです。

1つ目は、
この会社に入って早々から気になっていた事ですが、「自分毎意識」を持っている人がとにかく少ないということです。
例えば、「本来伝えなけえればならない相手に情報が伝わっていない」としましょう。伝える側は「ちゃんと伝わっているか」、複数人に伝える場合「ちゃんとみんなに伝わっているか」という確認が場合よっては必要でしょう。しかし、メールを「送った」という1つのアクションで満足しているのでしょうか、確認する事なく終わるケースが度々起こり、情報を伝えるべき相手に伝わっていないケースが出ていたのです。
つまり、誰に送ればいいかわからない状態で、「おそらくこの人に送ればいいだろう」程度の認識でメールを送り、知る必要のある人が知らない、という問題が起こったのです。
結果として、期日ギリギリになって「聞いていませんが・・・」「詳細がまだですが・・・」などの問題に発展しかねない出来事が頻繁に起こりました。

最近では「情報を受け取る側が確認をすることが前提」みたいな風潮の兆しも感じて、「そもそも知らないのにどうやって確認するんだろう・・・」みたいな、仕事ってそもそも何なのか、色んな矛盾を感じていました。

仕組みができていればこんな問題は回避できるかもしれませんが、その仕組み自体が出来ておらず、そこにテコ入れする必要があると申し入れても、「う〜ん」とか「それはどうしょうもねえ」などの返答。
現状維持ならまだいい方かもしれませんが、現状維持すらできていないケースが多々あります。問題に気づいている人は大勢いるでしょうが、そこに踏み込もうとしない人が大勢いるんだということを身をもって感じました。

この問題は、私がいる企業だけに限ったことではなく、経営年数が長い企業ほど陥りやすい問題だと思います。よくいう「大企業病」というやつでしょうか。
今までのアナログな仕組みが、社会がデジタルに変化しても思考がついて行かなかったり、アナログな手法で解決しようとしても相手がデジタルであれば根本解決には至らず、問題が複雑化して浮き彫りになることもあります。
そのような体質になってしまった企業はそう簡単には変化できず、それが長くなると「もういい」「そんなもんだ」などの他人事意識を生み出すのかもしれません。

はっきり言ってあまりにも危機管理が無さすぎる。そして情報を共有するという意識があまりにも欠落している、これがどれほど混乱を招き、人の成長を阻害している行為かを恐らく認識すらできないのかもしれません。

●混乱を招かないためにはどう伝えればいいのか。
●正確な情報を誰に伝えるべきか。
●伝えた相手はちゃんと同じ認識を持っているのか。
●一緒に物事を進めるためには合意点を見つけるまで話し合っているか。
(個人で何かをやるのなら別ですが会社で同じ仕事をするわけですから合意形成は必要だと思います)


こういったことまで想像できるかどうか、おそらくここが重要なんだと個人的には思います。そしてそれが「他人事」ではなく、「自分事」と捉えることになるんだと考えています。そこが欠けているような気がします。

2つ目は、今の学校教育システムです。
大多数の方が受けてきた教育方法だと思います、教師1人対数十名の集団授業というシステム。これは戦中・戦後から今だに続く軍隊教育の名残がシステムとして今だに継承されています。
私が所属する企業は集団授業・個別指導・サテライトオフィスといったいくつかの授業形式を導入していますが、集団授業がメイン事業です。この集団授業に違和感を感じます。

大体20年くらい前は僕もこの形式で授業を受けていたのでわかるのですが、全員一緒に同じ問題を解いて一緒に進める。教師の誘導で教科書を進めるこのシステムは、高度経済成長の時代では有効であり効率的に教育を提供できていたんだと思います。
しかし、時代や価値観は当然変わります。現代において、本当に子供の「知りたい」という気持ちや疑問力や好奇心を養えているのか、という疑問は当然感じます。
教師が「わかる人」と言って生徒が手をあげる。完全に誘導であり、わからない人は「後で先生のところに質問に行く」というシステム。これは置いてけぼりを食う子供が出る仕組みです。
問題がわからない生徒に寄り添ったアプローチができているのか。
質問タイムでもない時に生徒が手をあげ、間違っていても両隣や前の席の友達がサポートしたり、それを教師や生徒達が受け入れるという土台がそもそもできていないと感じました。
正解を言わないと恥ずかしい。間違えられない。だから言わない。
間違えることを良しとする風潮は現代社会ではまだまだできていません。

これが「正解主義」です。

本来、その間違いこそが成長の鍵になるもののはずです。「何故間違えたのか」「その間違いから何を得るのか」これが大きく成長させるポイントになるはず。
しかし、その間違いを良しとしないのが今の教育システムです。「自分から能動的に好奇心を持って知る」という根本的なところに重きを置かず、昔からのやり方をただ踏襲しているだけなのではないか。
「知識の詰め込みは」受験では有効です。子供達も受験に合格すると嬉しいでしょう、それが子供達にとっては目標ですから。しかし、本来教育の目的は、「社会で活躍できる力を身につける」ことが目的であるはず、その為には受験よりも先を見据えた意識を教師自身が持ち、「子供にとって何が重要か」を考え続ける必要があります。
それが本当の「子供の為」なのだと個人的には思います。

会社内での「他人事意識」と、学校教育での昔から続く今の教育システムは紐付いていると僕自身は考えています。

自分から能動的に「知りたい」「解決したい」という意識を学校教育で醸成することができれば、社会に出てからも問題を解決するための力は身についているはずです。
しかし現状の教育システムは「言われた通りにやる」という意識が浸透し、大人社会でも変えられず、「言われたこと以外はやらない、できない」ということに繋がっているような気がします。
これはエビデンス(科学的根拠)はないので、断言できませんがそんな気がします。

行き着いた先は「母親」

矛盾や疑問を今の会社で感じ、その根本的な問題は何なのか、どこが原因なのか。
私なりに突き詰めていった結果、家庭環境が人を成長させる上で土台となる場所だと気付きました。
家庭環境の中でも特に最重要なのが「母親」、母親とお子さんとの良質なコミュニケーションが最も重要だということに行き着きました。
人生最初の教育とも言える母親からの何気ない会話、問いかけ、そして母親の笑顔が子供の思考力や好奇心・疑問力の土台になる、僕の結論はそこに至りました。

日々やりたいこと認めてくれる、肯定された状態で成長する場合と、
日々「やめなさい」「早く行きなさい」と言われ続けた状態で成長する場合。


どちらが想像力や好奇心が醸成されると思いますか?間違いなく前者です、断言します。
そしてこの想像力は、未来を良い意味で変える力も持っていると確信します。
想像力のない大人が一歩先を想像出来ず、目の前のことだけに囚われ、他者と合意形成もできず仕事を進められない。
この社会で他者と共存していることにも目を向けられず、自分の主観で物事を推し量ろうとしてしまいます。
「いじめ」の原因もここにあると僕は考えています。
つまり、「自分以外の価値観がある」ということを意識できない、考えられないから結局自分の価値観に合う者同士が集まる。自分の中の「当たり前」という価値観にそぐわないものを排除する行為が「いじめ」なのです。

麹町中学校の工藤勇一校長の著書【学校の「当たり前」をやめた】にも「他者との対話による合意形成」の重要性が書かれています。
「他者を意識できない人」はそもそもなぜそんな意識になっているのか、この本を読んで腑に落ちました。
言語化できないモヤモヤを「他者との対話による合意形成」という言葉で言い表されていて、本当にしっくりきました。

いじめ、差別、足並みを揃える
「指示・命令」という同調圧力と思考停止、など

他にも色々あると思いますが、これらは全て学校で「他者との対話による合意形成」を小さい時から行う経験が少ないから起こっているのではないか。
その結果「自分以外の価値観がある」という意識をそもそも持てないことが根本的な原因なんだと考えました。

①家庭環境での母親との良質なコミュニケーションがちゃんと取れている状態で学校教育を受ける場合
②家庭環境での母親との良質なコミュニケーションがちゃんと取れていない状態で学校教育を受ける場合

どちらがより楽しい学校生活を送れると思いますか?
是非考えてみてください。

子供の脳

下の画像はエビデンス(科学的根拠)も実証されている統計です。


子供の脳は、個人差はありますが大体3歳くらいまでに80%成長しきることが実証されています。つまり、学校に行く前の家庭での良質な声かけや会話、触れ合いというコミュニケーションが脳の成長に大きく影響し、成長に連れて脳の成長度合いにも大きく影響します。

母親の笑顔は子供を安心させる効果があります、そしてこの安心が好奇心や疑問力、行動力に繋がるのです。だからこそお母さんの力は重要であり、お母さんの笑顔は社会に良い影響を与えると信じています。
それぐらい重要な存在だと認識しています。

僕が子育てや教育に関する取り組みをする理由はここにあります。

令和時代に向けて

平成の次の時代は息苦し社会から脱出し、想像しあえる関係が生きやすい社会になり、それがAI(人工知能)には代替えできない人間力になるんだと思います。
風習や慣習は良い面もありますが、絶対に次の時代に持って行ってはならないものもあります。

例えば、発言できない空気感。
正解を求められる風潮がまだまだあります。
他には、昔からある学校の校則。
例えば茶髪はNGとか、地毛が元々茶色いのに「黒く染めろ」と言われる現状。
そんなものまで未来に持っていくといつまで経っても空気が低迷したままです。

これから令和時代が始まります、何かを変えるにはちょうどいいタイミングかもしれません。

平成は「着火剤」、これを燃料にして令和に進みましょう!!!


今回はここまで。
次回で最後になります、公開は近日中に。

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