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「子育てが社会を変える」と思うに至るまでの半生(まとめ) 7/7

振り返って

1回から6回まで、自分の過去を振り返ってきました。
小・中学生時代は他者の言動を強烈に意識するいじめという体験。芝居や映像と出会って想像力の重要性を感じる体験をすることができました。これらは僕が偶然出会った事象であり、誰でも同じ経験をするわけではありません。もし同じ経験したとしても、その経験をどう捉えるかは人によって当然違います。僕と同じ考えになることはまずないでしょう。
しかし、どれか一つ欠けていても「今自分が大切にしていること」や「今の考え方」は得られなかったでしょう。ひょっとしたら考えることから逃げている生活を送っていたかもしれません。

「いじめ」を受けていなければ他者を意識することもなかったかもしれません。
勿論経験する必要のないことも当然あります、僕の場合はまだ程度が軽かったので良かったんだと思います。

映像をやっていなければ間違いなく今の会社に入っていないですし、人生最初の教育である家庭での親子のコミュニケーション、そして母親の重要性に気がつくこともなかったでしょう。
そしてそのきかっけをこの会社で得ることができました。

特に今の会社では疑問や矛盾を考えることができて本当に良かったです。この会社と出会っていなければ間違いなく「子育て」にも「母親の重要性」にも目を向けられなかったでしょう。
企業としては課題が山積してるかもしれません(どんな企業でも課題は常にあると思います)が、僕個人ではその課題を現状維持や放置をしている事実と直面した結果、「そもそも」を考えることができました。その時その時の状況をどう捉えるか、それ次第で課題も見えてくるでしょうし、どう判断するかでも状況は変わります。

時代時代に応じた捉え方や自分なりの判断の基準を見つけるには、様々な情報をインプットする必要があると思います。
そして、常に考え続けることです。


過去を再定義

僕が経験した出来事は今の僕を作っています、それは間違いありません。
そして1つ1つの出来事を今の自分がどう捉えるか、それ次第では「いじめ」も”経験”になります。
勿論いじめを肯定しませんし、経験する必要のないことはいくらでもあります。
しかし、経験してしまったことは取り消すことはできませんから、過去に対する捉え方を自分なりに工夫することが重要になります。
今では自分の過去を再定義できたのでは、とも思っています。

しかしどう捉えるかは、自分の中に知識がないとどう捉えていいかわからなくもなります。
経験したことに対してどう認識するか、どうアプローチするかは自分の中の引き出しからアプローチの方法を探さなければなりません。
その引き出しが空っぽだったり少ないと辛い出来事も辛いままです。
引き出しの中に様々な知識があれば辛い出来事に対してどう対処するべきかを選ぶことができると思います。

だから僕はできる限り様々な情報を吸収するようにしています。(多少は嗜好もあるので偏ってますが)
ニュースアプリや人から直接聞くことももちろん重要です、いろんな勉強会やセミナーに参加することもいいでしょう。
「知らない」ということは選択肢を持たないということに似ています、というか同じだと考えています。
そして僕自身は、「自分が何をしたいか」という目標を見つけることで過去を再考察・再定義することができるようになりました。

ただ、もし過去に戻れるとすれば1つだけやっておきたかったことがあります。

学生時代、色んな疑問や矛盾に対して、自分なりの「思考」をもっともっと、とにかくもっと考えたかったと思っています。
その時に答えは出なくてもいいんです、アウトプットしなくてもいいんです。
考え続けることが何よりも重要で、この訓練が新たな視点を見つけ出すきっかけになるからです。

今の僕は、やっと少しは物事に対して別の視点で考えられるようになりましたが、これがもっと若い時から考えられるようになっていたらどれだけ世界をもっと俯瞰して見ることができたか。
これは経験値としては大きなハンディキャップを負ったと思っています。



ターニングポイント

「何となく」生きることができるのが今の日本です、目標を持たず周りに同調し、摩擦を生じさせないよう振舞っていたら過去が嫌なもののままだったかもしれません。

過去の体験のなかで自分自身が何に違和感を感じ、何が楽しかったか、何が悔しかったか。いつまでも心に残っている「違和感」がひょっとしたら原体験なのかもしれません。その「何か」を意識し続けていれば過去を原動力としてこれからの人生を大きく動かすキッカケになるかもしれません。
大切なことは、違和感を忘れないことです。
そうすれば、見えてくるものが必ずあるはずです。


僕の座右の銘は、「全ては繋がっている」です。これは十数年前から変わっていません。(その前は座右の銘なんて持ってませんでしたが)
良いことも悪いことも、感動も喜びも悔しさも後悔も全て繋がっていて、「やりたいこと」を見つけることで、自分自身を作る要素になるかもしれません。少なくとも僕はそう思っています。

この執筆した記事は自分の身に起きた事象を、今の自分がどう捉えているかという視点で書きました。
端から見れば思い出したくない出来事だったり、どうでもいいことかもしれませんが、それらも全て自分自身にとっては捉え方次第でターニングポイントになると思っています。
この記事をご覧の方に僕から何を提供できるかわかりませんが、僕自信の経験として。

過去の事象、そして今感じている違和感を忘れず、考え続けることができれば捉え方も変わるはずです。
ターニングポイントとは、起きた事象に対して自分自身がどう捉えるか、だと思います。

その為には色々な情報を吸収してください、趣味嗜好で偏りはあってもいいと思います。インプットの癖を身につけて下さい。
そして考え続けて下さい。考えるとは「得た知識を脳内で編集・応用する」ということです。考え続けることで新たな視点、閃きなどのヒントを生むと思います。
この考える力が、悔しい過去や思い出したくないこと、おかしいと思う事象を「再定義」という結果に導いてくれるんだと考えています。




書けていないことがまだまだありますが、とりあえずこんなところです。
めちゃくちゃな乱文で申し訳ありません、校正など一切していませんのでご理解ください。
機会があれば清書でもして再公開、しないかな?

今後もnoteで、考えをアウトプットしていきたいと思います。

長々とありがとうございましたm(_ _)m

※2019年の年賀状。

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