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本業以外の収入、そして「権利収入」という世界を知る~社会人編~

➤中学編【挫折のみ物語~クズ伝説~】
➤高校編【壮絶な過去、数億円積まれても戻りたくない高校時代】

当ページをクリックいただきありがとうございます^-^

こちらでは、社会人になってから今の生活に至るまでを
ご紹介させていただきますね!!


1、大学卒業から介護士として働く経緯

4年制の大学は、ストレートで卒業しました。
大学時代には【福祉】を専攻し学んでいました。
ちなみに、高校時代に【福祉】に興味があったのか?

と問われれば、それはノーです。

高校時代は
好きなスポーツは続けていたい
✅高校時代の先輩が誰一人いない環境

という自分ルールを定め、K総監督の力によって
とある大学のスポーツ推薦をいただけたという経緯がありました。

その大学でスポーツ推薦枠のあった学部が
福祉学部】だったのです。

つまりは、高校3年生のときに初めて「福祉業界」を知り
「フ、フクシ…??とはなんぞ??」というスタートラインから
大学受験のときに面接で話せるよう、少しだけググッた
というようなレベルです(汗)

高校生の当時は

  • 一刻もはやくこの監獄から抜け出したい

  • ここから出られるのなら何でもいい

  • ここ意外ならどこでも天国だ

というマインドでしたから
福祉を専攻したい!という気持ちではなかったのです。

➤数億積まれても戻りたくない高校時代のエピソードはこちら


大学に入学して、特に問題なく単位も取得しました。
そして福祉学部の卒業要件に「実習」がありました。

この実習は
2回生のときに3日間
3回生のときに21日間

外部の施設で実際に学びに行く「施設実習」でした。

私は2回生のときに自宅から徒歩5分の有料老人ホーム
3回生のときは、自転車で10分のところにある
介護老人保健施設へそれぞれ実習でお世話になっていました。

当時の私はいうと….
福祉系の知識などが一切皆無。

脳内を見られるとまずいくらい中身が「空」でした。

ただ、高校時代に鍛えられてはいるため
敬語
✅挨拶
✅大きな声
✅笑顔

これらは完璧でしたので、一切施設の概要などは
学ばず、これらの勢いだけで実習に行っていました。

ただ、結果からすると、、、

すんごい高評価をいただけました 笑
そしてそのまま就職させていただけるという、ありがたいルートです。

就職させていただいたのは
3回生のときにお世話になった施設の法人です。

母体が大きく、特養や老健、デイ、デイケア
保育園など、様々な事業を運営していました。

私が初配属になったのは、特養です。
(※特別養護老人ホーム)
ですが3年後には、新施設立ち上げメンバーに加わり
デイサービスの責任者となっていました。

ただまぁ。。。この法人
実習時にはもちろん分かりませんでしたが
とんでもないブラック企業でした。

パートさんも含めると1年間に
50人以上もこぞって退職するという劣悪な環境だったため
当時から現場は深刻な❝人手不足❞でした。

また、新施設の立ち上げメンバーに選んでもらえた当時
タクはまだまだ若く、活気に溢れ、出世意欲丸出しだったため
すごく仕事に励んでいましたが、施設立ち上げ時は
夜勤や当直がなく、8時半~夜中1時まで仕事をするという
超ハードモードでした(汗)

福祉業界にお詳しい方ならおわかりかと思いますが
稼ぎ頭である「夜勤」や「当直」がない訳です。

分かりやすくお給料は著しくダウン。。。
確か手取りで14万円を切っていたと思います。

そして、残業手当なんて一切もらえず
ただただ朝から夜中まで、施設立ち上げ時は必死に歯を食いしばり
耐えていました。

やり手である理事長の考え方はこうです。
施設立ち上げメンバーは、毎日夜中まで残って
目もうつろ、くまが出来た状態でしたが

「あんたらこんな光栄なことに携われて幸せやと思いやーーー!」

と笑顔で言っていました。

また
「労働法とか一旦抜きにして、な!ほんま良かったなぁー」
「(当時の法人名)で働けるなんて幸せやん!」

と、これまた笑顔で言い放ちます。

ちなみに理事長は当時50代後半の女性です。
また、当時の立ち上げで夜中まで遅くまで働いていた
メンバーの75%はタクを含めて退職しました。

我々は一種の洗脳状態にありました。

むしろ、気を遣いながら夜中まで働いていたため
脳が回るわけもなく、理事長の言うことは「絶対」なので
「は、はい。ほんと幸せです。ありがとうございます!」
と返答していたように思います。

施設立ち上げメンバーが共通して考えていたこと
それは、「軌道に乗るまでの我慢」でした。

そうです。施設にご利用者様が入居され
タクの担当であったデイサービスも稼働さえすれば
「通常の業務」に戻れます。

当直を月に6回ほど行うことで手取りが
18万円にもいく、と一筋の希望を持って働いていました。

立ち上げ当時の勤務状況はこんな感じでした。

➔朝8時頃に施設到着
➔8時半~仕事開始
✅理事長へサービス内容のプレゼン
(もちろん、基本は全却下。怒られます、公開処刑ですw)
✅ケアマネさんへの営業まわり
✅デイサービス運用関連の資料作成
✅施設全般のフォローや協力作業
✅地域の皆様へのプレゼンテーション
(1ヶ月後に控えた民生委員の先生方を招いて行うイベントです)
➔平均して夜中1時半まで仕事
➔月の休みが5回あればいい方
➔睡眠時間、約4時間半
➔手取り14万円にギリ届かず

こんな環境が約2ヶ月続きました。

よく耐えましたね、当時のタクたち(汗)
(この期間に退職して職員も数名いますが)

ただまぁ、な~んとかこの過酷な施設立ち上げ期を
乗り越え、ようやくデイサービスをオープンすることが
できました。


2、頑張れば頑張るほど時間もお金もなくなるリアル

給料が低い、相変わらずブラック、同期たちもバンバン辞めていく
そんな中でも、介護士としてタクは「絶対に出世してやる…
という並々ならぬ覚悟がありました。

やはり負けん気と根性はあったのでしょう。
とにかく
❝上に行きたい❞
❝役職者になりたい❞
という願望があったのです。

なぜって??

お金がたくさんもらえるから。
今の生活が豊かになるから。

本気でそう思い込んでいました。

ですが、相変わらず要領は悪く、上司や施設長には
怒られることが多かったです。

それでも「怖さ」「恐怖」は感じず。
高校時代の屁でもないわ、と感じながら自分なりに一生懸命
仕事には打ち込んでいました。

よく休日出勤もしていましたね。
一切成果は出ず
問題はよく起こしていましたけどw

そんな中、役職者の方々とお話する機会が増えていきました。

そして居酒屋などで彼らの話を聞いていると
あることに気付きました。

愚痴しか言ってない…

ただ、愚痴る理由もわかります。

普段は他の介護士達の2倍は働き
休みの日であっても、会議には絶対に出席しないといけない
そして、当たり前に責任は重い

なのに….タクの給料とほぼ変わらなかったのです!!
「あんだけ働いてはるのに自分と変わらないんですね」
つい言ってしまいました。

すると、チーフから返ってきた内容が

「なぁ。何が楽しくてこの法人で働いてんのかわからんわ。
休みもないし、休めたと思ってもバンバン電話かかってくるしなぁ」
「出世すればするほど、ここでは人権なくなるで」

と、私の上司は悲しげにぼやいていました。

この【出世すればするほど】という理論にはまだ続きがあります。

この法人、以下のような役職者制度になっていました。

平 介護士(例:タク)

チーフ

主任

課長

施設長

タクがさらに衝撃を受けたのは、「主任」です。

一般介護士であるタクの方が、なんと「主任」より
給料が高かったのです。

チーフまでは夜勤や当直が月に数回あり
夜勤は16時間働いて、1回分に5,000円の夜勤手当。

当直は、4,500円の手当が付きます。
(まぁそれでも安いんですけどね)

対する主任ですが,,,基本の手当は
主任手当として、+30,000円。

ですが現場の統括責任者の意味合いで
夜勤は免除」となるのです。

驚くことに….平 介護士の3倍程の労力や時間、勤務している主任が
高卒1年目で夜勤を月に7回している18歳の介護士のお給料に

負けているのです。

もちろん、高卒1年目の介護士は定時で帰宅、です。
主任は休みやプライベートなんてほぼ皆無です。

普通に、教えてくれたその手取り…

なんと、17万8千円ほど・・・。

これにタクは衝撃を受けました。

あーーーれだけ、汗水垂らして働いてる主任の
給料が、タクどころか高卒1年目の介護士より
下回っているとは…。

ちなみに、高卒のその介護士は「無資格」で
国家資格である「介護福祉士」なども持っていません。

対する、主任は
✔介護福祉士
✔社会福祉士
✔ケアマネージャー

という3つの誇れるべき資格を有しているのに、です。。。

この事実に、とんでもなくショックを受けました。

これだけ頑張って働いているのに
目指している主任の席や役職者って
「夢ないな….」
「いや、、、なってもうたら終わるなぁ」

こんな思考がしばらく続きました。

時間がなく、一切評価もされず、理事長からよく
「あまい!」と叱咤激励され
肝心の給料も、高卒の介護士以下…

さすがに「一生ここでは働かれへんわ」
と危機感を募らせました。


3、「権利収入」との出会い

そんな「労働をして働く」ことが美徳であり
そういった「働き方」しか知らなかったタクですが
とある「出会い」がありました。

その法人はご存知、超ブラックなため
随時、パートさんや派遣さんをフル募集していました。

そして出会った、一人の派遣ナース。
たまたま同じ年、ということもあり、空き時間や
タクが担当していたデイにご利用者様の処置などを
しに来てくれた時に話す機会が増えました。

とはいえ、入り口は完全に下心からのスタートでした w
まぁ可愛かったので、と本音も綴っておきます。

で、一度食事に行ったんですが
その時に前から思っていたことを聞きました。

なぜ、定職につかず「派遣」なのか、と。

すると、そのナースは確か
✔叶えたい夢がある
✔定職につくと色々と身動きが取りづらい
✔今は仕事をもう一つ、掛け持ちでやってるから
✔もう一つは仕事と言っても「遊び」のようなもの

こんなような回答だったと記憶しています。

ただ当時のタクからすると
一つの会社に長くお勤めする前提で
正社員こそ正義
✅会社員として汗水たらして時には残業もするのが普通
✅定年までは❝仕事❞とは切っても切れない運命

こんな思考がバチバチに張り付いていたので
彼女の言う世界観をどこか怪しく思っていました。

ただ、どこかで「そんな考え方もあるんやなぁ」と
感じたのも事実ですね。

帰り際「もし興味があるんならその世界観教えるよ♪♪」
と言われて解散。

まさか彼女と居酒屋でこんな会になるとは思っていませんでしたから
ちょっと驚きでした。

そして、1週間ほど経ってから
その世界観ならぬ
意識高い系の社会人が集まる食事会」にお呼ばれすることに。

そこには、自分を含めて男女6,7人はいたと思います。

ナースの先輩で友だち、ということで
その方の自宅へ案内され、食事を作りみんなで食べる
という、ごく普通のホームパーティーでした。

ここまでは。

そう、問題はその食事後がメインでした。

今回メインに仕切っていた先輩ナースをI先輩とし
I先輩がおもむろに話し始めた訳です。

ホワイトボードとともに…。

お察しの鋭い方はもうお気付きかもしれませんが
これ、完全にビジネスの勧誘だったのです。
※ちなみに、そのパーティー初参加者はタクともう一人
男性がいました。

タクはそのとき「勧誘」されたのが初めての経験でした。

I先輩
「・・・・・そんな君たちに仕事を教えよう」
「それが、Amway」

こんな導線でその会社名を明かされたと思います。

先日、今更感はありましたがニュースになっていましたよね。
https://www.news-postseven.com/archives/20221014_1802968.html

https://mainichi.jp/articles/20221014/k00/00m/040/144000c


↑↑↑会員に送られている実際のメール

ちなみにですが….
その説明を受けたときのタクはAmwayという存在を
一切知りませんでした。

むしろ率直な感想として心から
「す、すげぇぇぇーーーーーー!!」
と感動しました w

死ぬまで辛い思いをして働くのが常識

「大人」や「社会人」はそれが当然だと思っていたタクからすると
目からウロコとはこのことでした。

その時よくある、他社の洗剤と比べて
Amwayのは…とかいう比較実験や
勧誘のマニュアル通りのアレコレをいろいろ受けましたが
そこはあまり響かずw

タクの人生において
✔権利収入
✔不労所得

というものを初めて知り得た日となりました。

その後、「成功したい!!」と、一応やる気だけはあったので
様々なミーティングやセミナーにも参加。

この時点では当時のチーム(?)から
「まだAmwayを完全に理解していないから他言無用で」

と言われていたことをしっかり守り、誰にも一切何も言わず
ひっそりとスキマ時間をぬって「Amwayを学ぶ」という学習活動を
していました。

「悪評」は説明を受けた日に自宅に帰り、早速ググり
バッチリ悪評が高いことを知りました。

ただ・・・自分で説明や仕組みを聞いて納得。
ノルマや強制がないということにも安心していました。

そうして、ない時間を最大限に活用し
少しずつではありましたが、ようやく
「タク、理解できてきたね。そろそろ次に動こうか」
とお許しをもらえました。

分かりやすくいう所の「勧誘活動」ですね。

タクが一ヶ月の間に行った勧誘人数は2人でした。

そして結果は、超惨敗です。
❝超❞というのは心をポッキリ折られた、ということ。

最後の「誘う」という部分で異常な緊張
うっすら汗をかき、たどたどしい口調。

勧誘は失敗し、仲の良かった2人にそっぽを
向かれる始末。
そう、完全に『やっちゃった系』です(汗)

「当たって砕けろ精神」とはよく聞きますが
これだけ精神力に自信にあった私でも
勧誘に失敗した後は、吐き気すら伴い

❝これはやってられない….❞
そう感じざるを得ませんでした。

もちろん、チーム(?)に即この件を報告し、私の事例も
共有されていたと思います。

その後、今後のアドバイスとして様々言われましたが
もうタクはそれどころではありませんでした。

この日に至るまで
「100人に声をかけて1人でも振り向いてくれたら御の字精神」
は理解していました。

が。。。
こうも頭と心の乖離が激しいとは思ってもみなかったのです。

なぜ、ちょっと結果が出ないくらいで
吐き気をもよおすほど苦しいのだろうか・・・。

駆け出し時には失敗なんて当たり前やのに・・・。

そう自己理解に努めようとしましたが
なぜか身体の不調に響きました。

このことは結構引きずり、ようやくとある結論に行き着きました。

自分に勧誘は向いていない

この決断に行き着くにはなかなかの勇気がいりました。

なってったって
自らAmway活動を放棄する=権利収入を手放す

ここに直結するからです。

また、Amwayを通して生計を立てたり
本気でビジネスを励まれている方
成功されている方々からすると
たった2人の失敗で諦めるなんて
「情けなっ」と思われることも覚悟の上でした。

すぐに諦める、だから成功できひんねん

と言われても仕方ありません。

そして何より
せっかく知り得ることができた輝かしい未来と
理想の生活。

高校時代、自分をバカにしてきた奴らを見返せる

こうも本気で考えていたタクにとって
導き出したこの「答え」は嫌悪感すら抱くほどでした。

でも、、、心身にここまで悪影響ならダメだ・・・。

ここから、チームや私の勧誘元であるナースも
必死に再起を促してきたりしましたが
本業であるデイサービスで
明るく元気に❞に支障をきたしかねない、と

全てのミーティングやセミナーは全断りし
本業に集中することにしました。

そうして、Amwayとは距離を置き
ビジネスとしての勧誘活動を一切やめました。


4、「I.N.A」入会のその先

完全にAmway活動はせず、の生活から数ヶ月が経ちましたが
その間もずっと脳裏には【権利収入の素晴らしさ
がはびこり、消えてはいませんでした。

気づけば、空き時間や休みの日も
ネットサーフィンをする中で

権利収入    成功

のような、それらしいキーワードを入力する日々が続いていました。

そして見つかった次の記事。

ネット上で権利収入を構築する方法
~苦しかった「勧誘」なんて必要なし!!~

はい、お次はこちらの記事(ブログ)がびびっときましたね。

もちろん何日か自分の中で精査しました。

で、恐る恐るまずは無料登録からスタート。
こちら、当時で言う『I.N.A』というグループでした。

数年前に色々あったみたいで現在の活動状況は
どうなっているのかは存じ上げませんが
橋本和英さん」という方が代表を務める
I.N.Aに参入。

内容は原則ネットワークビジネスです。
つまり、お金のめぐりはAmwayと同じと言えます。

ただ、タクが惹かれたのは
ネットワークビジネスがネット上で構築できるので
❝リアルで勧誘なんてしなくて良いよ❞
のこの点ですね。

入会してから知りましたが、日本でINAという組織を
作ったのがトップの「橋本和英」氏だったいうこと。

販売する製品は
ライフプラス」というアメリカのサプリメント等。

「なんとなくAmwayと似てるな」そう感じました。

ただこの「ライフプラス」という製品は
現在もしっかり運営されており、母体はアメリカです。

「医療レベルですごい!!」
と代表の橋本和英氏がよく言っていたように記憶しています。

確かにライフプラスの製品は長年愛用していました。

で、このINAでの活動は何をしていたか
ですが、すごくシンプルです。

ただただ「ブログ構築せよ」

でした。

当時の話ですが、SEO対策に留意し
ただただ、読者を勧誘せよ、という流れでした。

戦法は、他社MLM企業などの記事を量産し
アクセスをゲット。

読者が無料登録し
その後、製品を購入すれば
その何%かが自分に入る、というものでした。

で、タクはこの時どう思ったかと言うと…

これならいけるぜ!!

相変わらず単純ですよねw

ただ、スキマ時間などに自分の好きなペースで
活動できるのは一つの大きな魅力でした。

「コツコツ励む」ということは比較的得意でしたので。

そしてそして、、、頑張りましたね、当時の私。。。

とりあえず言われていたのは
『1,000文字以上の記事を300記事量産せよ』

これで「認知されやすくなるよー」とのことでしたので
本腰を入れて超書きました。
量産に継ぐ量産体制で、それこそ寝る間を惜しんで
記事を書きまくりました。

当時は飲みの付き合いも悪くなっていたと思います。w

が、ようやくコツコツと1年半かけて300記事を量産しました!!

で、、、その結果ですが、、、

1円も稼げませんでした….(泣泣泣)

「権利収入」という存在を知ってから
ここまで猪突猛進で励んでいたのに
権利収入の仕組み化どころか

1円も稼げない…
これには膝から崩れ落ちました・・・。

結構凹みましたね。
ひたすらコツコツと励んでいたのにも関わらず
✔Amway
✔I.N.A

ここで1円も稼げない、ということに心から
何かがポキっと折れた瞬間でした。

そこからはまた本業である
介護士(デイサービス)業務に集中しよう
と振り切りました。
や、ここは振り切るしかなかった
としか言いようがないんですが(汗)

法人内で、私を勧誘したナースの出会いから
ここまでで数年の月日が流れています。

言い換えるとこの段階で

ネットビジネスを含め『頑張っても報われない辛さ』

を人の30倍は味わったと思います。


5、初の高額塾へ

そんな本業に全力で懸けていた一方で
やはり脳裏には「権利収入」という世界がはびこって
いたため、ネットサーフィンだけは気づけば
やっていました。

権利収入という言葉を知って、まもなく5年
という月日も流れています。

I.N.Aで取り組んだ300記事で1円も稼げなかったので
体調悪化や精神が落ち込むなど、退職も経験していました。

転職を経験し、軌道にのっていたところでもありました。

そして…

もう、そのサイトへのアクセス方法を忘れてしまいましたが

稼がせることを生業として生活する仙人のような人が存在する

のだとか、そんな記事にまたも「ビビっと」来てしまいました。。。

もうおわかりだと思いますが
今度のタクはこちらへ、申込みます。w

こちらの先生と、展開されている事業名は
今現在もガッツリ運営&募集されているので
詳しい名前は伏せますが、内容は

アフィリエイトで月収100万稼いでもらいます

というもの。

当時は「コンサル」なんて言葉は活用されていなかったと
思いますが、要はそういうことです。

入会する前に事前面談が必要でした。
1週間の時を経て、T(仮名)と名乗る男性と電話。

Tはこのコンサル業1本で食べており
私にかかれば、最低でも月収10万円以上は手堅い
とのことでした。

で、その塾への参加代金がなんと

✅半年で50万円

これは当時の私からすると
払ったことのない、とんでもない超高額代金でした。

ビビり倒しましたが
ネットで稼いだことがない私からすると

❝これだけ実績のある先生が逐一の指導をしてくれるなら
大丈夫かも・・・❞

❝ググっても悪評は出て来ないし。
今までは、こんな体制で教えてもらっていなかったしな❞

こんな思考で、勇気を振り絞り、塾へ参加。
参加費用の50万円は2分割で払いました。

肝心のアフィリエイト戦略ですが
簡単に言ってしまえば

属で言う
たたき系アフィリエイターになるかもしれません。

最終、オススメの商品はこちらですよ➔(リンク)
みたいな大道の流れです。

まずは各ASPへ登録。タクは数あるASPで

インフォトップに登録されている商品に
最もお世話になりました。

また「a8 net」など他サイトにも複数登録しました。

そして、売りたい商品を選定。

売りたい商品のジャンルに沿って
ブログで記事を100記事ほど作成。

ブログ戦略としては
99記事は「この商品はこういう点よりオススメできません」
とたたき
そんな辛口の私が真のオススメする商品は
こちらです。

のように、たった一つだけ
オススメ商品の記事」を作成して
たたき系の記事から誘導する流れを組みます。

タクは、300記事書いて1円も稼げず挫折した
I.N.Aでのトラウマがありましたが
これそのものを売りにしよう、と

メンタル・精神系ジャンルの商品をアフィリエイトしました。

このジャンルを選定したことに
自分がそこそこ強いメンタルをもっていること
➔そんな自分でもさすがに300記事書いて1円も稼げないと
心が折れるという見本サンプルがあること
福祉業界にいることで、そのジャンルに比較的詳しいこと

これらも理由となりました。

数年ぶりのブログ記事作成。
T先生に指導をいただきながら、トラウマと格闘しながらも
3ヶ月で30記事ペースでブログ熱再燃。

ここまでの30記事はずっと「たたき系の記事」です。
30記事を超えた辺りから、PV(閲覧回数)数も少し上がってきた
ということで、「オススメ記事」を作成。

さてさて、半年かけて50記事は超えましたが
肝心の収益額ですね。

半年間頑張って、コツコツとブログアフィリに取り組んだ
タクの報酬額は….

1,500円

でしたw

初報酬は、510円でした。

ちなみに、初報酬から合計1500円のものは全て
「書籍」です。
ダイレクト出版さんのとある書籍が約3冊ほど売れた
ということです。
だいたい1冊あたりの報酬が500円に届かないくらい。

当時のブログに、オススメ記事は2つ作りました。

メインは先程の「メンタル系商品」

もう一つは、このダイレクト出版さんの
書籍です。(自己啓発系でした)

価格にして、最も収益化してほしいオススメ記事の報酬が
1件4500円。
ダイレクト出版さんの書籍の報酬額が、500円未満。

こんな現状でした。

はい、半年間で50万円支払って
先生の言う通りに勉強し、当たり前に勉強ノートも作り
個人セミナーもしっかり受け
寝る間や食事よりも優先させ
「私にかかれば最低でも月収10万円は手堅い」
という言葉をだたただ信じて…

当時のタクの感情はお察しの通りですw

ただ、大きな収穫が2つありました。

ゼロイチ達成
✅ネット上に過去イチの高レベルなブログが構築できた

まぁ、塾の期間が終了し、返金などの利益保証等
当たり前に何もないため、無理やりこう思うしか
なかったのですが・・・。

ただ。。。ですね。

実はその塾の期間終了後に数本売れたんです♪♪

合計で30,000円ほど稼いだと思います。
これは嬉しかったですね。

入塾後、完全放置のブログから2年ほどかけて
約30,000円という報酬が手に入ったことになります。

まぁそれでも参加費用50万円まで大幅に足りないんですけどねw

ただ、ここまでのネットビジネス経験を美化すると
経験+マネタイズ方法+ゼロイチ突破
を高額塾参加後、3年足らずで学んだ形になりますね。



さて、ネットビジネスで痛い経験や大金を
ぶっ飛ばしてきたタクですが、いよいよ運命的な

人生を変える

そんな出会いが2020年に始まります。

まさに、今現在のFIRE達成の根幹となる
運命の出会いです。

続きはこちらからご覧ください⬇⬇⬇
FIREの始まり~恩師との出会いと新ステージへ~





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