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【リヨン留学記】8話:リヨンはおいしい?-朝ごはん編-
留学中はホームステイ先に朝と夜の食事も出してもらっていた。
リヨンに着いた日に「Megumiは朝ごはんに何を食べるの?」とオディールに訊かれたので、わたしは少し悩んでから「パンとかフルーツかなぁ」と歯切れ悪く答えた。日本にいる時はグラノーラの時もあればココアだけの時もあるし、はたまたゆで卵やオムレツを用意するときもあり、別段ルーティンがなかったのである。さらに「お茶、それともコーヒー?」と訊か
【リヨン留学記】7話:リヨンはおいしい?-外食編-
パリが「アムール(愛)の街」と呼ばれる一方で、どうやらリヨンは「美食の街」と呼ばれているらしいと、わたしはこの街を訪れてから知ったのだった。
日本に帰って来てからも幾人かに「リヨンに行ってたの?リヨンはおいしいよね」と言われたから、フランスに詳しい方にはどうやら有名な話らしい。
今回のことに限らず、わたしは食に関してそこまでこだわりがなく、疎いと自覚している。でもおいしいものは好きだから、料
【リヨン留学記】6話:双子の川
夕暮れどきは瞬く黄金色の光が水面を覆い、陽が沈んでからはうすく儚い紫色が揺らめいて、そして夜は、フェルメールが愛したかの青を、底に沈めたかのように川は深く鮮やかな濃紺の光をじんわりとはなっていた。
リヨンで過ごした時間はいま思い返しても宝もののような日々だったけれど、もちろん語学の壁にぶつかって四苦八苦したときもあれば、学校にいけ好かない人がいて、いやな思いをしたこともあった。日常生活を送って
【白猫イネスの日々】2話:涙の理由を教えてよ
ある日、イネスが泣いていた。
猫は人間のようにかなしい気持ちを浄化させるために泣く、なんていう水分の無駄遣いをしない。涙が出るのはあくまでも目に入ったゴミを洗い流すためである。猫とはロマンではなく実用のために泣く現実的な生き物なのだ。そのため泣いていようが大事とは思わず、「あら、目に何か入ったの?かわいそうに」なんて悠長な気持ちで彼女のことを眺めていた。
しかし、次の日もイネスが泣いている。
【世界の美術館】元アートディーラーが集めた珠玉の現代アート「Correction Lombert」
かつてPhilippe le Bel(美男王)と呼ばれたフィリップ4世によって教皇庁が置かれ、一時期キリスト教世界の中心ともなった歴史深い地区、アビニョン。南仏らしい乾いた空気と重厚な石造りの街並みはパリやフランス第2の都市と呼ばれるリヨンなどとは違い決して華やかではないが、ゴシック建築らしい力強い垂直のラインに圧倒される「アヴィニョン教皇宮殿」や4つのアーチが特徴的な「サン・ベネゼ橋」など、世
もっとみる【リヨン留学記】5話:夏と秋の間で
わたしがリヨンに着いたのは10月のことであったが、街にはまだ夏の名残があった。風は湿っていてなま温かく、陽射しが燦々と降り注ぐ昼間ともなれば、みなタンクトップや半袖姿で過ごしていたほどだ。
リヨンにはローヌ川とソーヌ川という2つの川が流れていて、外で過ごしやすい気候が続いていたために川辺にはいつも人の姿があって街は賑やかだった。若者たちが音楽を流しながら集まっていたり、女性陣がスモールトークを
【リヨン留学記】4話:語学学校の仲間たち
わたしが通っていた語学学校は大学附属のものではなく小さな私営のもので、レストランやスーパーなんかが入っているような街中の建物の2階にあった。とはいえフランスだから建物は石造りで洒落ていて、艶々と飴色に輝く木製のドアを開けるときはいつも胸が弾んだものだ。
わたしは毎朝9時から午後1時まで授業を取っていて、その間はライティングからリスニングからスピーキングまで、語学を勉強する上で必要な一通りの技能
【リヨン留学記】3話:リヨンの小さなマダム
家の中でゴーンゴーンという鐘の音が聞こえてきたら、オディールに電話が掛かってきた合図である。これがしょっちゅうのことで、書斎の椅子に腰掛けて電話に夢中になっている彼女に口パクで「À ce soir(直訳だと夜に。行ってきます、という意味)」と告げて家を出た日がわたしには幾度もあった。わたしに気がついた彼女は元パリジェンヌらしい粋な身のこなしで小さな手を上げて指を動かし、いつものいたずらっ子のよう
もっとみる【リヨン留学記】2話目:ローヌ川のシーニャたち
ホームステイしていた家から語学学校に向かうためには、リヨンを流れる2つの川の内のひとつであるローヌ川を北上し、40分ほど歩かなければならない。そのため最初の数日間はメトロを使って移動をしていた。
ところが3日目のこと、オディールに明日は歩きで学校に行った方が良いわと言われたのだった。なぜ?と聞くと、理由を説明してくれたが、単語が聞き慣れないものばかりでわからない。ふたりで首を傾げ合い、どう説明
【リヨン留学記】1話目:大きな風に包まれたなら
わたしがリヨンに着いた日は、立っているのがむずかしいほど大きな風が吹いた日だった。びゅうっと耳の中で大きな風鳴りが響き、落ち葉やら紙やらが夏の名残を残したぼやけた青空の中へと舞い上がって消えてゆく。
「大きな風に包まれたら、それは幸福の兆しである」という、いつの頃かわたしが勝手に作り出したジンクスを、わたしは未だに盲目的に信じこんでいる。そしてそれは今回もちゃんと当たったわけだ。
リヨンを訪
【リヨン留学記】プロローグ:家探しをしていたはずが。フランスに行ってしまって
人はなぜ旅をするのだろう。遊牧のように生活のための移動ではない。ひとところに居ても十分に生きていけるというのに、わざわざ膨大なお金と時間をかけて、ただ場所を転々とする。どこかに行きたいという純粋で、そして荒々しく抑えきれない欲求に追い立てられるようにしてカバンに洋服を詰め込んだ日が、わたしには幾度とあった。
20代の頃は日本中を旅していた。
熊本に湧水を見に行ったり、京都のお寺に泊まったり、