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エッセイ

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なにげない日常の思いを書いてみました。
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生花の違い

生花の違い

たまたま縁あって10年ほど前から草月流の生花を学んでいます。
Facebookでは草月流の世界中の作品がアップされています。よく観察してみると、ヨーロッパの人たちの作品と日本人の作品の違いがあるように感じます。どちらも美しく、優劣つけられるものではありません。優劣を超えて特徴的な違いに気づくのです。

生花は引き算の美学、フラワーアレンジメントは足し算の美学だと私の先生に伺いました。長く生活に溶け

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お元気で

お元気で

Mさんご夫妻がお嬢さんの住む神戸にお引越しなさるとのこと。
寂しくなります。

Mさんご夫妻は教会のミサにほぼ毎週いらしてました。私はあまり教会に行かないのですが、行けば必ずお会いすることができました。
小学校2年から聖歌隊に混じって歌っていた息子をことのほか可愛がってくださいました。社会人になり息子はほとんど教会に行かなくなりました。それでも、ミサでお会いするとMさんは、
「坊やちゃんはお元気?

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稲垣純也さんの写真

稲垣純也さんの写真

稲垣純也さんの写真

稲垣純也さんの写真が好きです。
noteに書いた私の拙い作品にもたくさん使わせていただいています。
書いた作品のnoteの見出しに使う写真が見つからない時、稲垣純也と検索するとたいていぴったりの写真に出会えます。

逆に、
稲垣さんの写真から作品が生まれることもあります。
一枚一枚、じっと見ていると、物語が生まれてくる。ごくありふれた日常のなかの切り取りが、日常でない世界に繋

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叔母のウェディングドレス

叔母のウェディングドレス

1965年ウェディングドレスの着用率が3パーセントだったそうです。
私の父方の叔母の話です。
私の父は長男です。母が父の元に嫁いだ頃まだ中学生だった叔母は嫁ぐまで同じ家に住んでいました。
叔母が高校生になり、毎朝セーラー服を着る光景を私は覚えています。叔母は私より16歳上ですから、おそらく、私が1、2歳くらいの記憶だと思います。
マンドリンクラブに入っていて、裸電球の下でマンドリンを弾いていたのも

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二十歳の頃の作品

二十歳の頃の作品

二十歳の頃堀辰雄の「風立ちぬ」を読みました。登場人物の節子が絵を描いている美しい風景が頭に残りました。「そうだ油絵を描こう!」
思いつくと絵に詳しい友人と一緒に大学近くの画材屋に行き、最低限の油絵の道具を選んでもらいました。

道具は揃いました。
週末栃木に帰省した折、小さな頃から通っていた教会のミサに行きました。神父様の肖像画を描いて誕生日に贈った青年がいました。絵が好きで学んだものの実家の家業

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上手宰さんの詩集

上手宰さんの詩集

上手宰さんの「香る日」を読みました。
定年後書き溜めた作品を65歳の時にお作りになった詩集だそうです。
宝石のような美しい世界が結晶になった作品でした。そうだね、そうだね、と頷きながら上手さんの世界の隣に立っている気がしました。

歳をとるということは悪くないです。
鏡を覗けば皺とシミだらけのお婆さんになった私。よくもこんな顔を人前にさらしているもんだと呆れたりします。
中身はちっとも変わってない

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いけばな「なにか一つの工夫」

いけばな「なにか一つの工夫」

2024.021.24

花は自ら見つけなさい。
先生がおっしゃる。

花とは
自分にしかない個性 自分らしさだとおっしゃる。
枯れてもなお美しいものを見つけなさい。

早く上手くなる秘訣なんてありません。
こつこつと花を生け続け 数をこなして学んでいくことしかできません。

花ばかり見ていてもいけません。
音楽や絵画などに接していきなさい。
先生がおっしゃいます。

自分の「花」をいける道のりは

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コタン小路

コタン小路

私が学生の頃、ラジオでユトリロ展が開催されていることを知りました。池袋だったか、デパートでの開催でした。白の時代、見たいと思いました。
ユトリロの描く白は様々でした。ユトリロは私の好きな画家になりました。私はアルバイトで貯まったお金で一冊の画集を買いました。

大学卒業を前に私はヨーロッパに行きました。パリにも行ったのはユトリロの絵を見たかったからです。
私はフランス語は一言も話せません。ユトリロ

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雅明のこと

雅明のこと

初めて雅明に会った日、その光景を鮮明に覚えています。雅明は祖母に抱かれて窓の日差しの中で眩しそな目で祖母を見ていました。病院の一室、ベッドで叔母が微笑んでその光景をみていました。私が3歳の頃の記憶です。

「もう少ししたらこの赤ちゃんはうちに来るんだよ。」祖母が言いました。
真っ白な産着を着たこの小さな赤ちゃんが私の家にやってきてくれる。私は嬉しくてたまりませんでした。毎日毎日赤ちゃんが来る日を待

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リルケの詩「秋」を生ける

リルケの詩「秋」を生ける

Herbst
Rainer Maria Rilke

Die Blätter fallen, fallen wie von weit,
als welkten in den Himmeln ferne Gärten;
sie fallen mit verneinender Gebärde.

Und in den Nächten fällt die schwere Erde
aus allen S

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顔

ずっと自分の顔が嫌いでした。
小学生や中学生の頃、男の子から顔のことで揶揄われたのがいつの間にか深い傷になっていたのだと思います。

私の目は一重の小さな目です。
「象の目」とか「眠そうな目」、そんなふうに揶揄われることが度々でした。おそらく言ってる方は悪意もなく軽い気持ちで言ったのでしょう。
けれど、自分ではどうする事も出来ない顔の事を言われ続けると自分でも気づかないうちに深い傷になってしまいま

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11月15日 

11月15日 

11月15日。七五三のお祝いの日。

私が小学生の頃は学校を休んだ生徒がいると給食のコッペパンを近所の生徒が休んだ生徒の家まで届けるのが決まりでした。

私が小学校1年の11月15日大半のクラスの女の子が学校を休んでいました。私は学校を休んでいる同級生の家にコッペパンを持っていくようにと担任の先生に頼まれました。
学校から帰ると大急ぎで私は同級生の家にコッペパンを届けに行きました。

同級生の家に

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アルハンブラ宮殿の思い出

アルハンブラ宮殿の思い出

高校一年の秋でした。いつものよつにNHKFM放送ラジオを聴きながら勉強していると美しいギターの曲が流れてきました。モノクロの世界、石畳を歩く足と石畳に写る影がはっきりした映像になって頭に浮かびました。その曲は「アルハンブラ宮殿の思い出」

翌日は幼なじみの高校の文化祭に行く予定がありました。吹奏楽に入っているので演奏を聴きにいく約束をしていたのです。
文化祭に行ってみると、吹奏楽の部長さんの友人と

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職場に届いた日章旗のこと

職場に届いた日章旗のこと

息子は小さな頃喘息が酷く私は仕事を辞めていました。息子が中学生になる時、以前働いていた職場から戻ってこないかと話をいただきました。
以前働いていた職場は125年史編纂室だったのですが無事125年史の編纂が完了し、学院史資料センターという名前になっていました。

ある日突然日章旗が学院史資料センターに持ち込まれました。
フィリピンに学徒動員で出陣し銃撃され亡くなった学生さんがポケットにしのばせていた

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