足るを知る者は全く富まない
◇足るを知る者は富むの意味
老子の言葉で足るを知る者は富むというのがあります。
人は常に自分の外側にある不足に目が行きがちであり、不足を1つ手に入れた所で、また他の不足が目につき、際限なく不足を追い求めてしまう
それは飲めども飲めども喉の渇きの言えない海水の如く、人の欲というのは果てしないものである。
だからこそ外側ではなく、自分の今内側にあるモノに目を向け、その有難さとそれらで足りるラインを理解し、欲に振り回されず生きて行こうという
要は各自身の丈に合った今あるその中で、事足りていると必用以上に追い求めず、貪欲にならず、心穏やかに過ごして行こうという
儒教的な言葉であるのと同時に、欲=無限の貧しさに繋がるという、食えども食えども、ガリガリの鬼が住む餓鬼地獄を連想させる仏教的な言葉にも感じるのは私だけでしょうか。
▢足るを知る者は富むの正体
足るを知る者は富むは疲れ果てた人の行き着いた先の極論の1つであり、貪欲になれ!の反対言葉でしかありません。
欲に溺れ不幸になったり、散々色んな努力を経て、能力、残された時間的にもうこれ以上は無理だ!という人の辿り着く先で、もう満足しようではないか!というのが
足るを知る者は富むであります
そして極論というのは極地にたどり着いていない走る力がある人が、安易に真に受けて実行すべき考え方ではありません。
これ以上行けない所まで行った人が、その言葉で終いにするのに丁度いいぐらいに強力な言葉です。
しかし、人間というのは古今東西、断言された極論というモノに惹かれる習性があり、孫正義が『困難な時こそ、努力と勇気を惜します注げ』的な言葉を喧伝するように
社会的に認められてる人間の放つ、断言的極論は人の心を掴んでやまないですし、それに刺激を受け頑張ることは素晴らしいことですが、しかし
向上の為の努力も現状満足もその人、その人の能力、環境に合った容量というのが必ずあります。
自分の限界をとっくに超えているのに、無理やり努力し続ければ必ず壊れますし
親も自分も裕福でもなく、何一つ自己実現もしていない人間が、初っ端から現状満足して足るを知るのも、更に飛躍する機会を見す見す放棄し
無気力、無能、貧困になる不幸まっしぐらの行為です。
足るを知る者は富むは、結局もう疲れ果てた人の特効薬となり得る言葉ですが、動ける人には堕落を招く綺麗言です。
◆なぜ不足を感じて生きた方が良いのか?
常に不足を感じ生きた方がストレスに繋がり一見して不幸を招くように感じますが、古来からのこれこそ人間の生き方
人間の習性で不足を感じるように脳が出来ているのだと私は考えます。
お店でドーナツ🍩を一個買ったとして、1つでも形が欠けているのがあると、他の普通に出来ているものよりも強く意識が向き、怒り悲しみ、何かしらの感情が湧いて来てどうにかしようすると想います。
人は何か求めているモノに対して欠けている部分を強く意識し、不足と捉える習性があり、この習性は自分にも向きます。
お金が足りないと感じればお金を稼ごうとし、自身の顔や肉体の形に不足を感じれば、鍛えたり、整形しようとします。しかし
自分でどうにかならない場合は、相補性の法則で自分にないものを持っているパートナーを探して結婚したり、雇ったりする訳です。
一見すると不足を感じる時点でストレスが発生するので不幸に感じますが、人類が数十万年間繰り返して来た生命維持に必要な習性であり
実は不足を感じることこそ、幸せ繋がるように出来ているのではないか?と
例えば、狩りをするのに素手だと負ける確率が高いので、石を持って獲物を追いかけたが、もっと持ちやすく、破壊力のある石はないか?と現状の石に不足を感じ他の石を探す
しかし、もっと良い道具はないか?とそれすら、不足を感じ。木の棒に石を括り付けてハンマーみたいにし、先を鋭利にして槍みたいに加工したり
現在の狩場よりも獲物が多い場所はないか?もっと水辺が近く保存用の木の実が多い住処はないか?移動を繰り返し
野菜は取りに行くよりも自分の生活圏の中で育てる方が決まった時期にそこで食糧を得る確実性が高まるので、農耕をして、失敗を繰り返し、試行錯誤しながらより良い方法に進化する
暗い夜に灯りが欲しい!と電球を開発するなど科学の発展さえも、人がそれまでの当たり前の夜の灯りがないことに不足を感じることが出来たからこそ、現状出来ないことでも
考えて開発する人間が出て来た訳です。
個人の人間の一生の中でも、不足を補う為に自分でどうにかしようとする時に成長だったり、手に入れた時の喜び
不足を手に入れることを期待して行動している時点から、苦しみが充実に昇華し、毎日にハリが出て来るように
人間は不足を感じ何かを追いかけている時こそ、幸せを感じるのだと確信しています。
これは足るを知ってしまえば、追いかけるのを止めてしまい。これらのことを放棄するのと同意になります。
だからこそ、敢えて不足を感じて生きた方が良いのです。
ただ何度も繰り返しますが、過ぎたるは猶及ばざるが如しではありませんが、限度があります。あれも欲しい、これも欲しいと
自分の能力の限界を一気に超えた量を取りに行くと心身が消耗、又は速度に耐えられず一気にオーバーヒートします。
なので、筋トレの漸進性の法則のように少しずつ、自分の成長に合わせた負荷、欲しいものを得る為に時間をかけて段階を踏んで行くことこそが肝要で
他者比較ではなく過去の自身と比較して、自身の成長や充実を楽しんで、皆さんも生きて行って欲しいなと願います。
今日はこの辺で終わりにします
ここまでの読んで頂きありがとうございました。
そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね !(^^)!
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