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【人の一寸我が一尺】他人の欠点は見えやすいだけで、自分よりも欠点が多いとは限らない


■昔から多い人間の心理が故にことわざも多い


人の一寸、我が一尺、人の七難より我が十難、人の背中は見えるが、自分の背中は見えぬ、人の針ほど我が棒ほど等々

このことわざの多さを見るだけで古来より、他人のことは自分のことよりも客観的に見えやすい。

又は自分の好き嫌いのバイアスがかかって、他人ほど良くも悪くも見えやすいというのは。今も昔も変わっていないのだと感じます。

特に今ほど移動手段が限られ、法整備がしっかりしてなかった古来は、その集団の中で自分に優しく、他人に厳しく見られやすい人間は人望を集めづらく、敵視されやすく、生きる上でかなり不利に働くが故に

このようなことわざを戒めとして使っていたのではないかと思います。




◇なぜ人は他人の悪い所が目に付くのか?



なぜ他人の悪い所や欠点ほど目につくのか?と言いますと、そんなのは猿でも犬でも狼でも理屈は同じで、集団生活する上でカースト(順位づけ)なるものが存在しており、欠点を見て勝てると認識出来る弱い個体を見つけ

自分の方が上だということを相手や周囲に認識させることで集団での自分の立場を少しでも優位にすることがDNAに刻まれているからです。

猿もニワトリも集団カーストの最下層にいる個体はストレスのはけ口にいじめられたり、食べる順番が後の方になったり等、わりとカースト最下層にいると死活問題になります。

では人間ではどうか?というと、職場の噂話やSNSやYouTubeもコメント欄を見れば分かる通り、人間も人の欠点や自分たちの価値観から見たその人の悪い所を話すのを日常的にしている人は多いです。

その人の出来ていないことや、上司の実害はないが見ててムカつく所などを共有、共感することでストレス発散と相手を下げ自分たちの能力が高いと思い込める、仲間意識を強くしている側面があるかと思いますが

傍から見れば、その人たちの思考癖で悪い所に着目する動物の習性に依存し,自分たちを保っていることを開けっ広げにして恥を晒しているようなものです。



◇良い所を見る方が能力が居る




他人の良い所も見ることが出来る人は性格がただ単に良いというだけではありません。

自他を客観的に物事を見ることが出来て思考に偏りが少ないからこそ、人の良い所も見ようと想えば発見出来るのです。

思考の偏りは誰にでも差異はされど存在するのですが、一時の感情に流されず偏りを修正して行った経験が多い人ほど、物事を見る時に少しでも歪性があれば疑うことが出来ます。

例えば、相手に負の感情を抱いた瞬間から相手の悪い所が連続して見えるようになった時、心理学の気分一致効果のような自分の好き嫌い、感情に沿った情報ばかりを無意識的に探す、いわば

感情というフィルターが働くと認知が歪みます

例えばいつも見ている青空も悲しいフィルター時に見れば、どことなく寂しげに見えたり、美男美女と好みで無い異性が同じ仕草、言動をしたら

美男美女には好意的に捉えることが出来たのに、後者には嫌悪感を抱いたり、そしてフィルターが働くと物事が屈折して見えたりもします。

悪い所ばかりが目立つフィルターの場合は、良い所は通しづらく、仮に良い所がフィルターを通っても悪い所として認識してしまう。

その状態になった時にこれはおかしいぞ?と自分を疑うことが出来る人間はフィルターを自力で外して物事の本質を見ることが出来ます。

物事の本質を見るには、清き空間の中にたたずむ水鏡のように、感情の波で水面が揺らぐことも、濁ることも無く、フィルターの影響も受けず、冷静にありのままの水面に写し出された姿を観察し

現在の目的に沿って行動出来る人であり、例えば仕事で部下や後輩を育てる立場であれば、その人の良い所を認め、長所を伸ばして行き、短所は問題がないレベルまで抑えて、あとは程度は目を瞑る

組織であれば集団全体のパラメータで100点になれば良い訳ですので、お互いに短所を補い合うことが出来れば、自分も含め一人に完璧を求める必要性も無いということを念頭に

進めて行ける人というのが能力の高い人です。

逆に自分の主観に支配され認知が歪んでることも疑いもせず、自分が正しく相手が歪んでいると、偏狭で一時の感情に振り回され物事を判断する人は

良い所を見る能力どころか、物事を客観的にありのままを見る能力が乏しく、好き嫌いで見方も大分変り公平性にも欠けるので、人からも信頼を得づらく

余計に自分と合わない人に対し回避的か排除的になりやすいです。

回避的、排除的になれば目的の最適解の選択ではなく、自分の嫌なモノを避けよう排除しようと選択を選んでしまい

それが人間関係を円滑にすることを阻害し、排除した相手からの何らかの形での報復リスクなどで自身のストレスにも繋がります。






◇人間には大なり小なり自分本位な部分がある


多くの人間は自分が可愛いです。

これは自分の顔の造形や容姿が可愛いと自覚しているという意味ではなく、自分のことに対しては多少自分に非があっても援護、肯定しがちで

他人のことになると自分を棚に上げて容赦なく、自己責任論を振りかざすことが出来る。言わば大なり小なり人は自分を守る為の自己中心性があります。

『いやいや自分は他人に優しく、自分に厳しく出来るよ!』という方も読んでる方の中にはいると想いますが、そういう人は人格者か有能者、はたまた自己評価が異常に低いかで

自我のある以上、自分を大切にする、自分が可愛いのは人として正常なことなのです。なぜなら

自分を一番長く身近で見て来たのは誰でも無い自分自身で、多少なりとも考え方や今までして来たことに愛着があり、それを総合的に守ろうとするからです。

仮に一切自分を守ろうとしなければ相手から責められ、自分でも自分を責めてしまい、誰も自分に味方をしなければ心の痛みがどんどん蓄積してしまいます。

いちいち痛みを受けることが出来るほど人間強くありませんので、何かを言われたら、防御的に弁解、他責にしたり、これ以上攻撃されないように相手へ怒りを見せたりという反応をするのです。

ただ、自分を守るのも度が過ぎると逆効果です。

特に日本において潔さが美徳と見られがちで、言い訳がましい、又は人のせいにする他責においては忌み嫌う人が多いので、逆に火に油を注ぐ事態になりかねません。

自分が可愛いのは当然のことながら、自分が可愛いが故に過保護になり過ぎているのが、目に見えて分からないように

ある程度、認める部分は認めて、次にどう行動するか?の展開を相手に提示して、悪ければ潔く謝罪する…というのが大切になってくると想います。

要は自分には見る目が甘いけど、他人には容赦なく厳しいことが垣間見えると他人は自分に厳しくない

甘い人間に対して、変わりに厳しくしてやろう!じゃないですが…

主観的に感じた矛盾を帳尻合わせて来ようとする場合もあり、逆に自分にやたらに厳しい人間に対しては、『そんなに頑張らなくとも良いよ』と優しくして、負荷を逃がそうとしてくれたり

そこら辺の相手の心理を上手に使うのも世渡りには必要です。




■人の良い所を見た方が人間関係が優位に働く




人間は自分の良い所を受け入れてくれず、重箱の隅を|楊枝【ようじ】でほじくるように悪い所ばかりを探し突く人間に心は開きません。

なぜなら、褒めもせず悪い所ばかり突かれると相手からすれば、提案もなく、ただただストレスを与えて続けて来るだけの害のある存在であるという認識に変化し

害をなす者に対して防御反応を取るようになって行くからです。

害がある人間に心の扉を開けっ広げにすることで、心の中をかき混ぜられ、傷つけられることを減らす為

心の扉を閉じて本音を隠し取り繕い、その人のことを自分の心の中に決して入れないようにする。

心に入れないとどうなるか?というと、表面上は素直に聴いてるように見えても、自分の目の前から居なくなればその人から言われたことは殆ど取り入れず

なるべく害をなす人から出た1つ1つ情報を自分から遠ざけようとします。

仮に相手がとても素直で真面目で良い人でも、良い所を認めず、悪い所ばかりを直接的に言われ続ければ、遅かれ早かれどこかのタイミングで嫌気がさして離れて行くことでしょう。

人間には承認欲求、自己有用感、自己肯定感の材料になる賞賛が必要です。

集団の中で自分が価値がある存在だと思われる、人の役に立っている感覚、自分でも気づかなかった良い所を知ることによって

もっと自分で何か出来ることが増やせないか?を考え、主体的に行動を取るようになって行く、そして人は不快で動かすよりも気持ちの良いことで動くことの方が行動量が増えます。

体力的にきつくとも精神的に満たされる環境であれば、長期間頑張れたりしますが、体力的に楽でも精神的にキツイ、心理的安全性が確保されていない環境では

怒りや悲しみ焦燥感などの感情に揺さぶられ、様々なストレス反応が肉体に影響を及ぼし、短い期間でも自分が壊れないよう

その行動を減らす、止めることを選ぶ確率が格段に上がります。

要は簡単に言えば相手に達成感やこちらからの感謝、役に立っていることを認識出来るようにアプローチし、行動を促す方がその人も気持ちよく動いてくれる

人は自分にとって気持ちの良い言動をしてくれる相手に対して嫌いにはなりませんし、嫌いな相手よりも少なからず好きな相手の言うことの方が聞いてみようと想います。そして

良薬は口に苦しではありませんが、時に苦い薬、苦言も必要だとは思いますが、薬は常に大量に飲むものではありません。普段は栄養のある食物を食べて生命維持するのが生物であり

その心の栄養というのが良い所を見て伝えてくれることや感謝、自己承認だったりするのです。(あまりにも栄養を与えられ続けると肥満化し、驕り高ぶりに繋がりますが…)

という所で今回はこの辺で終わりにしたいと思います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね!(●´ω`●)




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