南船北馬で生きても良い。道を変えて行っても良い。
◇幸せを追い求める旅
わざわざ不幸になりたい人なんていないと想います。
幸せの形に差異はあれど、自分の思い描く幸せを求めて旅するのが人間であり、幸せになる為にどうして行けば良いか?を考え、紆余曲折しながら
進んだ先の景色に幸せを感じるか?それともまだ先に理想があるのか?歩を進めるか?否かを時間と能力と相談しながら決めて行く
ここが自分の幸せだと思えば、そこを更に豊かなる土地にする為に耕せば良いし、そうでないなら、まだ旅を続ければ良い。
ただ、何もせず空を見上げていて幸せになるのは難しい。
よほどの強運の持ち主でない限り、生まれた時から自分の理想を叶えられる状態にいないからです。
そして生まれた時から無条件で与えられた幸せというのは、私も含め、なかなか気づけなかったりします。
やはりそこに行き着くまでの過程がその幸せの価値も上げて行くのだと強く信じています。
■自分の求めるモノが変われば居る場所も変わる
ザックリでもお金が欲しいのか?時間が欲しいのか?で次に進む道が変わるように、人間の価値観だったり、求めるモノに応じて目的地が変わるので
当然誰もが同じ場所を目的地としていない。そして
時間の経過とともに同じ人間の中でも、その人の目的地が通過点に変わって行くことも珍しくないかと思います。
独身の時は自分の幸せに関連するモノばかり求めていたのに、家族を持って幸せになったと同時に、子供や奥さん家族全員の幸せを求めることへと変化して行くなど
あと自分のレベルが上がることでステージを変えようとする現象も起こります。
例えば高校球児がプロ野球選手へ、プロ野球選手がメジャーリーグに挑戦するように、自分の能力をもっと広い世界で試してみたい。
もっと自分の能力を底上げ出来る、難易度の高い環境に身を置きたい。
仕事ならば、今の慣れ親しんだ会社よりも、更に専門性の高い会社で仕事をしたいなど
ほとんどの人は目的地にたどり着いたからと言っても、そこが生涯にわたる居場所になる場合のが少ないかと思います。
特に目標達成した時の喜びを深く記憶している人は、新たな目標を作って走り出したいと思うはずです。
そして人間は今まで生きて来た方向と真逆へ方向転換することでさえもあります。
分かりやすいのが悪い事をしてきた人が更生する場合です。
世間一般では当たり前のことを当たり前にして来なかった人が当たり前の生活に戻るというのは、悪い方向へ進めば進むほどに難しかったりもします。
ここで文章で読むよりも実際に自分が体験するか、目の前で見ると悪い人がなぜ悪い人であり続けるパターンが多いのか?が良く分かります。
まず、道が違えば当然進み方も変わります。
全うな道を歩いている場合と違い、目の前の屍から持ち物をはぎ取りながら地獄に落ちないように道を進んで行く。
修羅地獄のような所にいた人の中で形成された人格、常識というのは、一般常識的に進んで行けばたちまち餌食になる。
一般とはかけ離れていたりもします。
話しを戻すと、人間今進んでいる方向へ進み続けなくとも良いといことです。この記事の題名の通りに南船北馬。
南に船で進んだと思えば、馬に乗って北に行ってみても良い。
今見える道に囚われずに、時には戻って見ても良いのです。
◇願望の過程にある道だからこそ、道も簡単に変わる
夢や目的が変われば方向が変わると書きましたが、同じ願望を追い続けていたとしても、昔の王道が通れなくなるパターンも往々にしてあります。
例えば安定した収入を得て、老後は安楽に過ごしたいという願望があったとします。
大昔ならば、良い大学を出てから大企業に終身雇用で定年までいれば、後は高い年金と貯金と銀行の金利で暮らせて行けたかもしれません。
しかし、現代で同じ方法で願望を叶えることはポピュラーではありません。
というか、老後安楽に過ごすことの難易度自体上がって来ているので、根気強く、若い頃から収入を上げるためのスキル取得や投資など
将来を見据えたその時代に合った人生設計通りに大きな不運なく順当に行けば、それも叶うかも知れません。
あとは女性にモテたいとう願望があったとします。
中学生の時から社会人、20代、30代と歳を重ねて行くと女性にモテるという同じ願望でも、年齢に応じて異性の求めるものが変化して行きますから
モテる為の過程(手段)が変わって行きますよね。
何事に置いても、正しかったこの道がいつまでも目的地に開通する道とは限りません。
その時の流行り廃り、多くの人の求めるものが変われば容易に変わるのも道であり、通っている途中で道が通行止めになる不条理があるのも人生です。
しかし、現実的に1つの道が塞がったからといって、目的地に絶対辿りつけなくなるなんてことはあり得ませんよね。
例え高速使えなくなったからといって、大阪に辿りつけないなんてことがないように、時間がかかっても他に道はいくらでもあります。
ただ私たちは、1つの道が無くなっただけで、もう、道は閉ざされたかのように絶望を感じてしまうことがあるのは
ここを進んで行けば辿り着くという期待を持っていたのが間違いだった。裏切られたかのように感じ、すぐに新しい道を探せる訳でもないから
絶望してしまうのであります。
でも、最初決めた道で最終目的地まで行ける人の方が稀有であり、大体は迷い回り道し、紆余曲折しながら
時には引き返して道を変えてようやっと目的地に辿りつく場合のが多いのです。
だからこそ、目的がぶれていないのであれば道を変えて進んで行けばいいだけの話しになってしまうのですが、、
シンプルだけど、それが難しかったりもします。
というのも、人間そんなに簡単に切り替えが出来るとは限らないからです。
一回失敗すると、次も失敗したらどうしょう?とか、学習性無力感のように
自分の力で何かを変えることが、あたかも不可能なことなのではないか?と、偏った学習をして行動をするのを中断する引き金にもなったりします。
そこを無視して機械的でも、不屈の闘志でも内的動機は何でも良いので、やり続けることが出来るか?否か?が目的にたどり着く人とそうではない人の大きな違いなのかと考えます。
要は失敗は失敗する方法を学んだ成功なのだと、エジソン的な失敗は成功の元思考で失敗から正しく吸収し続けることが出来る人ほど、目的達成する率が上がるということです。
という所で今回はこの辺で終わりにしたいと想います。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね!(●´ω`●)
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