【驪龍頷下の珠】千金の珠は必ず九重の淵の而も驪龍の頷下に有り
虎驪龍頷下の珠は虎穴に入らずんば虎子を得ずと近い意味です。
危険を冒さなければ貴重なモノは得ることが出来ないという意味で、古代中国の書、荘子で深い淵に居る黒龍の顎の下に、天下無双の真珠が在るという逸話から来ている言葉です。
ある若者が暗闇の中,吸い込まれるように深い淵をようやく降りたあと、黒龍の顎の下にある真珠を取る話しで
主人公が黒龍が眠っている間に真珠を取ることに成功するのですが、そこでめでたしめでたしでは終わりません。
この話には続きがあります。
物語の主人公が真珠を渕から意気揚々と家路につくと、父親に褒められるどころか
真珠を『粉々に砕いて捨てろ!』と主人公は父親から言われてしまいます。
何を血迷ったことを、、こんなに命御がけで得た宝を捨てるなんて…と思いますが
父曰く、盗んだことが黒龍に気づかれれば、人間に必ず災いが起こる。
だから宝をいつまでも持っていることは危険だということです。
どんなに危険を冒し、苦心して得た宝でも後生大事にいつまでも持っていると災いを招くものになる。
過去の成功から得た経験や知識も、時代が変わればそれがそぐわなくなってくる。
苦労の末に得た地位も、いつまでも居座っていれば新陳代謝が上手くいかなくなり、組織に害を与える存在になる。
若輩者に何かを教わるのに過去の栄光のプライドが邪魔をすることもある。
命を懸けて得たものだとしても、いつまでもそれに縋っていては自他に災いを起こす種になる。
だからこそ、それを捨てる勇気も必要だという意味もある言葉です。
とはいえ、手に入れるのに苦労したものほど、それを手に入れた時よりも捨てることの方が困難だったりします。(恋もそうでしょうかね…恋してないからわからんけど)
諸行無常で万物全ては変化して行くのが常で、それは過去の得た宝でも例外ではなく
恩恵から害を与えるものに変化したと確信したならば、迷わず捨てる。
そして、また同じ成功体験をしたいのであれば、新たな領域でリスクをとり、新たな宝を取りに行くの繰り返しで
身が持たなくなれば、どこかで折り合いをつけるのも人生なのかな…と、ふと思った所でこの辺で終わりにします。
皆さんの更なる飛躍を願っております。
またね('ω')ノ
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