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他者からの共感に囚われなくても良い

他人から共感されると、自分の気持ちを分かってくれる人がいるんだと安心しますよね。

まぁ…どこまで相手が分かってくれてるか?なんて分かりはしませんが、少しでも分かってもらえると、孤独から解放されたようで気持ちがスッキリしたり

あと相手がしていること、共感出来る部分が多い方が好意も抱きやすいと思います。

何やってんだか、思考回路が良く分からない安心だとちょっと距離置いてしまいますよね。

共感されるって、凄く良いことだと思うのですが、最近は他者から共感されないことが、あたかも無価値のように扱われる節があるかと

特にSNSやYouTubeが広まってから、いいねやリツイートが少ない言動の価値を下げている。

もちろん、商業的には多くの人が注目して視聴なりしてくれる方が知名度も上がり儲かるのは分かるのですが

それを生業にしていない我々までも共感されることを指標に行動して行くのは、いかがなものかと…とは言え

他人が全くわかってくれない事を頑張るのはつらいと思っている方が多くいるのも仕方ないとも思っています。それは

人間、古来より集団で生きて来たので、価値や互いの気持ちを共感することで自分の立場や集団を団結させて、災害や飢饉や戦争を生き延びてきたのが人だからです。

だからといって、未だに集団の承認、共感を得ることに囚われ続けるのは人類の次のステップを踏むことの障害になっているのでは?と疑問に思います。

なぜなら時代が進むにつれて、生き方が多様化して行っているからです。

江戸時代でしたら、士農工商で生まれた時から身分が決まっており、ニートになり、親族に見放されたら身銭を稼がなければ野垂れ死に確定です。

しかし、現代は職業選択肢の自由がある上に、生活保護もあり、更に他人が決めた型にはまるような仕事以外にも自分で仕事を請け負うや、ひも野郎、ユーチューバーなど

多くの人が選ぶ道から外れても、探せばそれなりに生きて行けるようになっています。

いやいやいや…昔も現代も変わりなく、親の経済力や学歴などの要素でその後の人生の選択肢の幅が決まるから、多様化なんて大してしていないよ

なんて、思う方もいるかと思いますが、確かにそこで選択肢が拡がることもあります。

でも、いくら親が偉かろうが、金持ちだろうが

自分の満足いく人生を歩む能力というのは、自分でつけて行くしかないものだと私は考えています。

親の期待、同級生の共感、恋人の理解を大切にして生きて行く。それはそれで素晴らしいものです。しかし自分の満足行く生き方の妨げになっている場合は

そこら辺、批判や不理解を覚悟の上で、自分の生き方を押し通して行くことも時には必要です

人間には必ず、他人の理解の範疇から外れたおかしな所の1つや2つあると想います。

そのおかしな所が自分の個性や武器になったりもするのが、面白い所であり、それを他者からの共感が無い無価値なものだと

大量生産型の人間に自らなって行くのはあまりに勿体ないと…何でもかんでも他人の共感で決めて行くのは『君の行動は他人が決めることなのですか?』と

折角、60億人の人類の中で両親が結ばれ、数千兆分の1の確率で精子が卵子に出会い、無事産まれ、ここまで生きて来た

途轍もない確率で今存在している自分が、これから更に途轍もない確率の奇跡を起こせないと確定している訳でもない。

ならば、無為に終わることを頭の中から排除し、好きに生きていったら良いです。

その好きに生きる為に有害になっていて、薄々分かっていてもやめられない共感を求める気持ち。

それは依存症と同じであり、他人からの共感をいちいち得ないと不安になって何も出来ないのも

ある意味アルコール依存症と同じ、共感から得られる安堵感、気持ち良さに依存している。

依存=悪ではありませんが、アルコールや薬物依存が健康維持と長期的な幸せの害になるから悪になっているだけで

スポーツや勉強から得られる快感に依存することは悪くありません。

共感される為に自分の能力を発揮し、それに満足感を得ているならば良い依存ですが、共感される言動に縛られ、自分の幸福度が下がっているならば悪い依存です。

ここで何が言いたいかと言うと、多くの人が共感、価値があるものだけが自分にとっても必ず良いものだとは手放しに思ってはいけないということです。

人生の価値は自分がつけていくのと同時に、共感というのは自分が心の底から信じて進んで行った先にあるオマケのようなもので

おまけも数万と数が集まれば凄まじい力になりますが、ほとんどの人はインフルエンサーでも有名人でもありません。

せいぜい自分が今いる場所の数人程度のおまけ目当てに自分の道を潰す必要はないのです。

何かしら信じてやって行けば、一人や二人は嫌でも共感してくれることがあるでしょう。でもそれはあくまで副産物であり、真の目的は多くの人から共感されるのではなく

各個人の幸せだと思う状態に行き着くことです。

人類の更なるステップは多くの人から共感されることから脱却し、自分の気持ちに従って生きることを優先し

新しい生き方を後続に示して行くことではないか?なんて、大それたことを勢い任せに書いている自分がいますが

まぁ…共感依存症にならず、自分の生き方を貫き通しましょう!という一言を伝えたいが為に今日、筆を持った次第であります。

…ということでいつもながら唐突にこの辺で終わりにしたいと想います。

ここまで読んで頂きありがとうございました。

そんな優しい真面目な皆さんがより豊かになりますように☆またね!(^^)!




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