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さようなら3人家族、こんにちは4人家族
5月5日はこどもの日ということで、こどもの国に行ってきた。
ゴールデンウィーク真っ只中で中学生以下無料のこの日、天気は快晴、最高気温は29度。当然、だいぶ混んでて行列ばかりだったけど、こいのぼりを見たいという息子の希望もあって行ってきた。
臨月ではちきれんばかりのお腹を抱え、日焼け止めを塗り忘れた首元と腕はバッチリ日焼けしながら、ちゃっかり名物ソフトクリームも食べてきた。
こどもの国には白鳥湖
水中で息するように暮らしている
泳げない私がダイビングを始めたと言ったら、驚かれたものだ。
フィンと器材があれば、泳げなくても水中で進めるし呼吸できるなんて。ダイビングは間違いなく私の人生に彩りを添えてくれたと思う。泳げないからずっと敬遠していた海の中だったが、見える景色や聴こえる音、全身を伝う水の感覚すべてが新鮮だった。
ダイビングの細かな好みは人それぞれで、海水より淡水を好む人から魚ではなく海底遺跡を見たい人、ナイトダイ
初めての出産は命懸けだった
元気な赤ちゃんを出産しました!母子ともに健康です!
というお決まりの台詞はついに言えなかった。
5日前に分娩室で産まれたときツーショット写真を撮った我が子。その後、私は写真や動画でしか彼の姿を見ることができていない。
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破水したのは日曜未明のことだった。
とっくに出産予定日をすぎ、あまりに産まれる気配がないため数時間後には入院する段取りが取られていたその当日のことだった。手早く病院に電話し、
結婚3年目のラブレター
結婚した瞬間に人生の満足度はピークに達し、それから2年で満足度がゼロリセットされるという調査結果があるらしい。2年を過ぎるとむしろ満足度がマイナスになるという。
先日、結婚してちょうど2年が経った。
私たちの結婚生活はほとんどコロナ禍とともにあり、とにもかくにも変化の連続だった。
平日はそれぞれ外で仕事という生活になると思っていたら、コロナの影響で二人とも在宅勤務になったり。通勤時間やアポの
この坂道を下ると何が見えるのだろう
「どうでもいいじゃないか、そんなこと」
本当に面倒くさそうに父は言った。暑い夏だった。
そのとき私は模試の結果を握りしめていた。同じ志望校を目指す友人が成績優秀者としてランキング上位に載っていた。彼女は授業中いつも寝てるのに!と自分と比較して落胆していた私に父がつぶやいた言葉がそれだった。
あれから20年経ってようやく理解できた気がする。
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できていたことができなくなっていく。
最近
勝つか負けるかよりも大事なことがあると知った日
早起きが苦手な私にとって、朝6時の街の風景というのは特別なイベントといつも一緒だった。大きなスーツケースをひいて空港に向かう旅立ちの日、ウェディングプランナーの代名詞ともいえる黒のパンツスーツに身を包み出勤する土日、そしてアメフト部のスポーツトレーナーとして試合会場に向かった日々。
特に、私が大学4年間を過ごした体育会アメフト部のことを思い出すと、どうしても複雑な気持ちがよみがえる。
万年二部
CDラジカセからレミオロメンの「南風」が流れていた
私の進学した大学は、国内有数の就活に有利な大学だった。
卒業生も同級生も、誰もが知る大手企業にすんなり内定していく。加えて1部リーグで活躍した体育会アメフト部出身者ともなれば、日本を代表する商社や金融、不動産といった最難関の就職先からも引く手数多だ。選手だけでなくスタッフも、錚々たる企業に毎年就職していく。
それなのに、私の就活は連戦連敗だった。第一志望に書類で落ち、インターンまでした第二志望
お皿に残った最後のエビ
新卒で入社した会社でウェディングプランナーを始めて、3年目にもなるとだいぶ余裕が出てきていた。
結婚式は本番直前の2週間が忙しさのピークで、新郎新婦にとっては不安のピークでもある。突発的に電話やメールで相談がくることもしばしば。担当プランナーである私がすぐに反応できないと、新郎新婦の不安は加速する。逆に言うと、担当の結婚式がお開きしてから次の担当まで3週間あれば、プランナーにはつかの間の平穏が訪
誰かの人生を生きるということ
あれは5年ほど前のことだったかと思う。
大学の友人からfacebookで久しぶりにメッセージをもらった。とあるメディアに取材してもらった私の記事を読んだよーという内容。
30を過ぎても未婚のまま一心不乱に働き続ける私とは対照的に、彼女は3児の母になっていた。互いにわからない世界に生きるもの同士で、素直にすごいと思ったしうらやましいとも思った。
わたしは自分の人生しか生きてないからなー。
母と