記事一覧
南日本新聞コラム南点第9回「本当のカッコよさとは」
「いじめ、カッコ悪い」
というCMが昔あった。鹿児島出身のスポーツジャーナリスト、前園真聖氏が出演していたCMだ。
いじめがカッコ悪い(というかダメな事である)のは当然として、ではカッコいいとはどういう状態を指すのだろうか。
たとえばスポーツ選手が試合中超絶プレーをキメた時、カッコいいと思う。けれどその人が記者会見の席で、高級スーツや腕時計を身につけ、記者の質問にカッコつけて答えていたとし
南日本新聞コラム南点第8回「命を糧とし命を繋ぐ」
子供の頃、祖母の家でご飯を食べる時、「いただきます」と手を合わせると、祖母はいつも、「はいおあがり(召しあがれ)」と言った。それは、祖母がご飯を作ってくれた時だけでなく、母や、自分でラーメンを作った時もそうだった。自分の作ったご飯に対し「いただきます」と言ったのに、ただテレビを観ていただけの祖母から「はいおあがり」と言われると、なんとなく釈然としない気持ちになった。
子供の頃は「いただきます
南日本新聞コラム南点第7回「新生活」
初めての1人暮らしは、下荒田3丁目、路面電車の、騎射場駅のすぐ近くだった。今でこそ「路面電車」なんて言っているけれど、当時は「チンチン電車」と呼んでいた。あの頃は上品なもの、都会的なものに対する抵抗感があったから「路面電車」という言葉を使うのが恥ずかしかった(本来は逆なはずなのに)。もちろんチンチン電車のチンチンは、人や車に対する警笛音がその由来と言われている。
ごくたまに、天文館に行く時な
南日本新聞コラム南点第6回「都会へ旅立つ君へ」
東京の高円寺という街で暮らすようになって9年が経とうとしている。引っ越した当初は友達や知り合いもなく寂しかった。ある日近所に個人経営らしき鹿児島料理の専門店を見つけた私は、郷愁に導かれるようにして、数日後、勇気を出してその店に入ってみた。
前もってネットでその店のメニューを調べたところ、鰹の腹皮(はらがわ)があったので久しぶりに食べたいと思った。ところが店内のメニュー表にはどこにもそれが書か
南日本新聞コラム南点第3回「諦める、の本当の意味」
諦める、という言葉がある。暗い印象を持たれがちな言葉だが、元々は仏教用語で、正確には「明らかに観る」という意味を持つ。
「諦」とは真理を意味する言葉で、本来は断念ではなく、明らかに観る事、現実をありのまま観察する事を意味している。
そう、インターネットに書いてあった。その意味は前から知ってはいたが、人に説明する時は間違った情報を伝えてしまわないよう、念のためネットで調べる事にしている。ネッ
2023.12ちくま12月号「みっともなさの、その先に」
死のうと思っていた。太宰の短編、『葉』の冒頭みたいに。去年の晩夏、来年の春になったら、そうしようと思っていた。
それまで何をして過ごそうか。考えてみたけれど、何も思い浮かばなかった。生きるために色々なことを、諦めながら、捨てながら生きて来た。そうしなければ、とても生きては来れなかった。
子供の頃から死にたかった。その気持ちに初めて寄り添ってくれたのが『人間失格』だった。十八の頃、小説を読んだ
南日本新聞コラム南点第1回「あなた何をされてる方なの?」
知らない人から、ふいにそう尋ねられたとしたら、自分はなんと答えるだろうか。昨年小説の新人賞を受賞してから、いくつかの場所で文章を書いたり取材を受けるなどしている。そのさい記事の最後やプロフィールに「作家」あるいは「小説家」などと、いわゆる「肩書」が記されるのだが、そのたびに私は戸惑わずにはいられない。というのも、まだ作品が1作しか世に出ておらず、今後それで食べて行けるかどうかも分からない状況で、そ
もっとみる