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【短編】『シーズンオフ』

シーズンオフ


 今年も無事にシーズンオフを迎えることができ、港町ポルトの海沿いを散歩でもしてゆっくり長期休みを満喫しようとしていた最中、急遽姉からの電話一本でその無計画な計画は台無しになった。なんでも母親の容態が悪いとのことで、急いで帰国する羽目になったのだ。実家に着き数年ぶりの我が家に戻ってみると、母親はピンピンしながらソファでテレビに釘付けになっていた。これはまんまと姉の思惑に引っかかってしまったに違いないと思い、母親に挨拶をした。

「なんだよ。帰るんじゃなかったよ。全然元気そうじゃないか」

「あんた、帰ってたの?久しぶりじゃない?元気?」

「元気も何も、姉さんにはめられたばかりだよ」

「はめられた?」

「そうだよ。母さんの容態が悪いって言うから」

「あら、そう。気の毒だわね」

と嬉しそうに微笑みながら、今し方自分の息子が帰ってきたことを忘れたかのようにすぐにテレビに釘付けになった。家の中は数年前と変わっておらず、ソファとダイニングテーブルの配置もキッチンの横に置かれた調味料の並びも同じだった。変わったものと言えば、テレビのサイズがやや大きくなったぐらいだった。

「姉さんは?」

「ん?」

「姉さんどこ?」

「ああ、スーパーに買い物行ったっきりだわ」

数年振りに会ったとは思えないほど母親は俺に対して関心を向けることなくただ一点を見つめていた。さっきの微笑みはどこから湧き出たのか不思議だった。父親が死んでからのこと多少は笑顔が増えたように思えて嬉しかった。生前は俺もまだ実家暮らしをしていて、毎晩二人の怒鳴り合う声が町中に響いていないか不安に襲われた。その時にできた壁の穴や床の凹みは、今はもう修繕されたがかすかに痕跡が残っていた。俺がサッカーで成功し海外に移住してからのこと、半年に一度は心配で帰国していたが、父親の葬式に参列して以来一度も実家には帰っていなかった。初めは母親も一緒に移住しようと誘ったのだが、金がかかるの一点張りで実家から動こうとはしなかった。実家を離れるのが嫌だったのだろう。

 俺は何もすることがないので、家を出て幼少期に通ったサッカー場まで歩き始めた。近所には新居がポツポツ建てられ、道路の幅も少しばかり広くなり駅前に商業施設が建設されている途中だった。街全体が次の時代に向けて準備を進めている最中のように見えた。自分が通った中学校は隣町にある別の中学校と併合されたおかげで、昔は土だったグラウンドが、辺り一面に緑に覆われ人工芝へと様変わりしていた。少年サッカーチームの練習が行われており、ぼんやりと練習風景を眺めていると突然そのうちの一人が俺の方を指差したかと思えば、少年たちが一斉に自分めがけて駆け寄ってきた。

「宮本選手だ!本物だ!」

少年たちに続いて親たちも自分のもとへときてはカメラを取り出して息子たちに指示を出していた。特に迷惑ではなかった。向こうは自分のことを有名人として接しているが、俺は昔通ったサッカーチームのOBという感覚しかなかった。

「宮本じゃないか!元気してたか?」

昔一緒に練習をしていた谷口だった。

「谷口か!監督になってるなんて思わなかったよ」

「いやあ、俺もお前がプロになってるの知った時は驚いたよ。今シーズンオフか?」

「ああ、ポルトでゆっくりしようと思ったんだが、姉貴に騙されて帰国したんだ」

「なんだ?よくわからねえが、元気そうでよかった」

「お前もな」

「まあ、ゆっくり見ていってくれ。こいつらもお前目指して頑張ってるんだ」

「そうか。じゃあちょっくらサッカーするか」

「ほんとか。すまねえなシーズンオフに」

「いいんだいいんだ」

少年サッカーのボールはプロの使うボールより一回り小さく、少々扱いにくかった。少年たちは俺がボールを持つと一斉に奪いにくるので、むしろ動きが単純でボールを取られることはなかった。グラウンドも人工芝のためボールを運びやすく、昔もこうだったら自分はもっと活躍できたのにとふと今の子供達が羨ましくなった。一汗かいて実家の方に歩いて帰っていると、ちょうど姉の車が横を通り過ぎた。私は大きく手を振ったが、車の後ろに買い物袋が山ほど積まれているせいでそのまま車は行ってしまった。もうすでに日は沈んだというのに蝉は泣き止むことを知らず、暑さもまた同じだった。

 家へ着くとちょうど姉が買い物袋を家の中へ運んでいる最中で車のトランクが開けっぱなしになっていた。家の中から姉が現れ、俺を見るなり言葉を投げた。

「あら、帰ってたの?」

「ああ」

「今までどこいってたの?」

「ちょっと散歩に」

「そう。夕飯これから作るから」

姉も母親と同じで特に久しぶりに帰ってきた弟に感激するわけでもなく、淡々といつもの生活を続けた。

「手伝うよ」

「あら、ありがと」

姉は数年前と比べてだいぶ老けたような感じがした。口調もどことなく母親みたくなってきたような気がした。やはり青春をしていないと人はすぐ歳をとってしまうのだ。母親はすでに家事をすることはなくなり、ほとんどを姉一人でやっているようだった。姉の料理を食べるのは久しぶりだった。せかせかと家の中を歩き回る姉を見ると、どうも自分も忙しなさを感じて仕方がなかった。

「なあ」

何も返事をしない姉に再び声をかけると、一瞬気がついた様子で答えた。

「何?」

「よくも騙してくれたな」

「何が?」

「母さんの容態が悪いって」

「どういうこと?」

「そう言って、俺に家の雑用をやらせようと思ってたんだろ?」

姉は手を動かしているため、自分の話を聞いているのか聞いていないのかわからなかったが、すぐに手を止めては俺の方を振り向いた。

「何言ってんの。そんな嘘つくわけないでしょ?」

姉の顔を真剣だった。

「本当か?母さん」

「ん?そんなのかしら。私元気よ」

「お母さん嘘つかないで。この前一緒に病院に検査行ったばかりでしょ」

「あら、そうだったわね。ごめんなさいね」

「別に謝らなくてもいいわよ」

母親はお茶を飲みながらちっとも自分の病状には関心のない様子だった。

「それなら本当だって言ってくれればよかったのに」

「なんでわざわざ本当のことを本当って言わなきゃならないのよ」

「てっきりお前が家に一人で大変だからって」

「まあ、家事手伝ってくれたら助かるけど」

「やっぱそうじゃないか」

「違うわよ。じゃああとで検査表見せてあげるわ」

「そうか。本当なのか」

俺はソファに腰掛けている母親の顔をじろじろ眺めた。

「母さん、いつ死ぬんだ?」

「あら、申し訳ないけど私は長生きしますよ」

「そうか。よかった。ごめんよ姉ちゃん」

「いいのよ」

しばらく沈黙が家の中を駆け巡ったかと思うと、姉がそれを破った。

「ねえ、覚えてる?昔父さんあんたの少年チームのコーチやってたでしょ?」

「あったな。懐かしいな」

「実はあの時、あんたのことプロにさせたくないって思ってたんだって」

「そんなわけないだろ」

「ほんとよ。事故で寝たきりになった時言ってたの。本当は自分の息子が上手くならないように指導してたって」

「なんでわざわざ?」

「そうすれば自分から諦めるだろうって。もしプロになる夢が叶わなかったらそれまでの苦労が無駄になるって」

「そんなことないだろ。努力した経験が大事なんじゃないか」

「まあお父さんそういうところ偏屈だから。でも間違ってたって。あの時サッカーを辞めさせてたらあいつには何も残らなかっただろうって」

「そうか。そう言ってたのか」

「根本的な頭の硬さは治ってないんだけどね。さあご飯できたわよ。食べましょ」

夕食は餃子だった。姉の料理は上出来だった。

 数日後、プレシーズンが近いため俺はポルトへ戻った。無事着いたかどうか姉からの電話があった。

「時差ボケ大丈夫そ?」

「平気平気」

「そう。よかった。来年末お父さんの三回忌だけど、こっち帰ってくるでしょ?」

「そうだなあ。試合の日程にもよるかも」

「そう。できれば帰ってきなね」

「うん。わかったよ」

と言って俺は電話を切った。


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