見出し画像

【短編】『真っ暗な壁』

真っ暗な壁


 私は気づくと身動きの取れない場所にいた。周りは真っ暗で何も見えなかった。四方壁に囲まれ、まるで自分が干からびた井戸の中にでもいるように思えた。しかし上から光が差し込む気配はなくかといって天井すらはっきりと指し示すことはできなかった。唯一感じ取ることができたのは中にこもる冷たい空気と終始漂う何かが焦げたような匂いだった。周囲からはなんの音も声もなく、この世にこのような静けさが存在したのかと圧倒されつつも、もしや私は死んでしまったのかと思えるほど、その空間からは無という現実を突きつけられた。どういった経緯でこの場所にいるのか思い出すことができなかった。それ以上に自分の顔も背丈も素性も何もかもわからなかった。暗闇の中で反響する自分の声と体の感触だけが唯一自分が何者であるかを確認する術だった。衣服は着ていないようだった。股の間に手を伸ばすと突っ張っているものに当たり、自分が男性であることはわかった。全身を撫でるように皮膚や筋肉、骨を上から順に触っていくと、肉付きがなく骨張っておりどちらかと言うと華奢な方だと思った。声はいくぶん高くまだ若さが残っているようだった。歳は15といったところだろうか。いや元から高い声の持ち主であればもっと上だろうか。視覚と記憶なしでは自らの歳をさえ判断することが難しいことは今まで人間として生きてきた中で初めての発見であろうとふと思った。自分を見失うとはこう言うことだろうかと思いながら冷たい壁に向かって腰をつき、元々何も見えない暗闇の中目を閉じた。

 突然、奇妙な不快音に私は起こされた。一瞬野次の騒がしい声が向こうからしたかと思うと、それは放物線を描くように徐々に消えていった。すると直後に爆発音に襲われた。激しい揺れと共に私はその場でよろめき、何かに捕まろうと手を伸ばすと、先ほどそこにあったはずの壁がなくなっていた。方向感覚を失ったが故に壁の位置を見失ったかと思い、手探りで探し始めるとようやく五歩六歩歩いた先で壁に突き当たった。先ほどまでは身動きが取れないほどに狭かったが、若干広さが増したのは間違いなかった。私は何か大きな動物の腹の中にいるのではないか。あるいは物理的に可能であるならば、変幻自在の何もない部屋に私一人閉じ込められているのではないか。と一向に解決の手掛かりが見つからない現状に嫌気がさして、反対に妄想を膨らませようとしていた。

 先ほどの野次馬の声、そして爆発音はなんだったのだろうか。近くに人がいる気配はしないが、人為的なことが周囲で行われていることは自分の生存本能により自然と脳に記憶されていた。まるで空っぽの胃袋に突然唐辛子を入れられたかのように、記憶を失った脳に新たな記憶が上書きされるという刺激そのものが不思議で仕方なかった。自分が赤子の時も同じような気持ちでいたのかと、ふと過去を振り返るかのように空想を巡らせた。それは自分が今赤子ではないことも同時に証明していた。さらには何もない空間で音を感知してしまったがために、今ではより一層暗闇の中に残る静けさに敏感になりはじめ、それはやがて恐怖心へと移り変わっていった。私は咄嗟に自分の精神状態を保とうと、何もない記憶を無理やり遡ろうとした。しかし、浮かぶのは先ほどの野次馬の声と爆発音だけで、そして壁に囲まれているという閉塞感だけであった。

 再び部屋が揺れ動いたかと思うと、すぐさま爆発音がして私は床に倒れ込んだ。大きな振動から爆発は先ほどよりも近くで起こっているようだった。この爆発は誰がどういった理由で起こしているのか。と思った矢先に再び野次の声が遠くから聞こえた。私は不思議とこの野次馬は先ほどの爆発とは関係がないのではないかと思えた。まるで二つ時間軸が交差しているかのようにそれぞれの音は全く別物であった。しかし、依然として自分がどんな状況に置かれているのかは知る由もなかった。野次馬の方に耳を傾けても彼らが何を叫んでいるのかは聞き取れず、しかし何か良くないことが起こっていることだけはわかった。他に何か手掛かりはないかと再び壁の方に手を伸ばすと、やはり壁は動いていた。今度はいくら歩いても壁にぶつかることはなく、永遠と冷たい空気と何かが焦げた匂いだけが、四方八方に広がっていた。私は爆発音も野次の声も何もかもを無視してただ空間の中を走り続けた。どこまでも続く闇は自分がいかに無力であるかという現実を突きつけてくるだけで、何も教えてはくれなかった。

 突然、足が何かに触れたかと思うとそれは冷たい水であった。まるで雨が降った後に残った水たまりのようで、手で一掬いして飲もうとすると、たちまち中に混じった嫌な匂いに気づき咄嗟に床に捨てた。妙に塩のような匂いがしたため自分の汗なのかとも思ったが、それにしては量が多かった。すぐ近くで水が弾ける音がした。私は恐る恐る足を音のする方へと伸ばしながら歩いた。先ほどの水たまりとは違って徐々に水の量は増えていき、気づくとすっかり膝下まで水が浸かっているのが感じ取れた。私は再びその水を掬い上げると、今度は鉄のような匂いが鼻を刺激しすぐに水を捨てた。その瞬間、暗闇だった景色が一変して、目の前には荒れ果てた熱帯雨林の情景が現れたかと思うと、すぐに暗転した。突然の出来事で私は一瞬気が動転しそうになったが、唯一得られた手掛かりであるだけに必死にその情景を思い出そうとした。木々は倒れ、土が雨水に混ざったせいか水は赤に染まっていた。そこはつい先ほどまで人がいたように衣服や小道具、何もかもが放置された状態だったような気がしたがはっきりとは思い出せなかった。

 すると再び爆発音がしたかと思うと、今度は野次の声はしなかった。爆発が数回続くとまた静寂があたりを埋め尽くした。気づくと水は引いており自分の声も一層反響した。壁が縮まっているようだった。床は一定の方向に動き始め、部屋が縮むにつれて自分が中央へと移動させられているような気がした。その収縮運動は今まで体験したことがなかっただけに、ひょっとするとこのまま部屋の壁に自分が押しつぶされて終わるのかもしれないという不安が過ったが、徐々にその運動は速度を落としていったことで不安は消えさった。ようやく始めの四方が壁に囲まれた状態に戻り身動きが取れなくなると、不意にも自分がこれまで壁について考察してきたことが一つにまとまり始めた。壁に囲まれた狭い部屋。伸び縮みする壁。壁が近いことで部屋は作られ、壁が遠く見えなくなると、そこはたちまち一続きとなる。私たちは壁の中で生きている。ただそれだけのことであった。


最後まで読んでいただきありがとうございます!

今後もおもしろいストーリーを投稿していきますので、スキ・コメント・フォローなどを頂けますと、もっと夜更かししていきます✍️🦉

この記事が参加している募集

私の作品紹介

眠れない夜に

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?