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【短編】『出稼ぎ』

出稼ぎ


 ジュリー・シナモンは我慢の限界だった。部隊にいるダリル・シナモンの任期はとうに過ぎているのに一向に彼から帰ってくるという知らせが届かないのだ。来るのは部隊の戦況報告だけで、仮に彼がまだ生きていたとしても手紙の一つくらい送ってもいい頃なのになんの音沙汰もないのは彼女の機嫌を損ねる一方だった。ジュリー・シナモンが苛立ちを覚えるのにも理由があった。彼女は夫に大きな貸しをしているのだ。二人の結婚資金から住宅の建設費用、そして元々持っていた数百万ドルにものぼる借金を彼女が肩代わりしていたのだ。厳密に言えば、彼女の父親が肩代わりしていたのだが、彼女は妻としての責任感を感じていた。一方、ダリル・シナモンはと言うと、半ば逃亡という形で返済金を稼ぎに前線部隊に志願したのだ。決してお国のためにではなく金目当てというのが彼らしかった。それが今じゃあ小隊長にまで上り詰め、国に貢献しているそうだった。今度の戦況は、小隊で敵陣に攻め込んだ末に反撃をくらい、間一髪で敵陣を撤退することに成功したとのことだった。ジュリーはどうも戦争には疎く、なぜ敵から逃げることが国から賞賛されるのかが理解できなかった。敵を討って初めて賞賛されるべきなのに、負けたのに褒めてどうするんだと愚痴をこぼすこともあった。夫にはそれなりに、好意を抱いたがために結婚したにもかかわらず、彼は妻に対しては何も思っていないように思えた。しかし、実際には違った。ダリル・シナモンは一時も早く家へ帰りたいと思っていた。

 こんないつ命を落としてもおかしくない危険な戦場でずっと敵の張り込みをさせられ、しまいには重大な責任まで任せられては身がもたなかった。確かに家を離れられた時には、まるで無期懲役から解放されたかのような喜びを味わったが、それも束の間だった。本当の監獄は自分の妻に家の中で支配されることなどではなく、国の欲のために意味もなく身を犠牲にするこの戦争だったのだ。しかし、家に帰ろうにもいつ帰れるのか見当がつかず、戦争は激化する一方だった。あるいは帰るにしろ帰ってからの生活のことを想像すると一歩退く思いがあった。ダリルは初めて妻に手紙を書こうと思った。今までは自由の身だったばかりに妻のことは忘れ目の前の幸せを噛み締めていたものの、今になって戦争の悲惨さにいつかの妻との暮らしを恋しく思った。手紙の内容はなんでも良かった。もうすぐ帰れそうだと嘘をつくこともできるし、正直にいつ帰れるかわからないと書いても良い。少しでも良いから自分がまだ妻のことを忘れていないということを伝えたかった。ダリル小隊長は、少尉に進言した。

「私はもうお国に帰ろうと思うのです。すでに任期は終わっておりますし」

「なんだ?もう怖気付いたのか?これからじゃないか戦争は。それにもう少し様子を見れば昇進のチャンスだってある」

「これ以上昇進はしたくありません」

「なぜだ」

「今の役目で精一杯なんです」

少尉は親指に顎を添えてしばらく黙り込みと再び口を開いた。

「おまえ、この前の前線撤退は見事だったそうじゃないか」

「いえ、大したことはありません」

「謙遜せんでもいい。どうだ、俺の推薦で中尉にしてやってもいいぞ」

「お願いです。どうかそれだけはやめてください」

「なんだ?嫌なのか?おかしなやつだ」

「あの、ズバリ、ここの隊はいつ頃帰れますか?」

「帰るってどこに?」

「お国へです。妻が私の帰りを待っているのです」

「そうだな。あと5年は見といた方がいいな」

「5年…」

ダリルは、その途方もない年月を目の前に意識を失いかけた。すでに5年隊に属しているというのに、さらに同じ年月をこれから戦地で過ごすことは死も同然だった。それに、手紙には5年と書くわけにはいかなかった。妻は待ちくたびれているに違いなかった。

 ジュリーは、もうこれ以上夫からの知らせがないのなら彼と離婚しようかとも考えていた。なんのために家まで建てて結婚をし、そして借金を肩代わりしたのか、それら全てが彼女にとって無駄骨になろうとしていた。なぜダリルは一度も手紙を送ってこないのか。まさか妻のことがどうでも良くなったのではないのか。もしそうであれば、一層のことダリルが持ち帰った報酬を元手にもっとましな人と再婚しようかとさえ考えた。ダリルが戦地で死んだとしても妻の私が報酬を受け取ることはなんらおかしなことではないのだ。その金を何に使おうが未亡人の勝手なのである。

 ダリルはジュリーのことを思いながら、もうこれまでかと諦めようとしていた。最後に、少しでも妻が元気を出してくれるよう嘘でもいいから良い知らせを書いて送ろうと心に決めた。

ジュリーへ

手紙を送れなくてすまなかった。戦争で頭がいっぱいだったんだ。どうか許してくれ。少尉いわくそろそろ戦争も終わりを迎える頃だそうだ。晴れてまた一緒に暮らせるな。あともう少しだけ待っていてくれ。金も山ほど貯まった。帰ったら二人でクルーズ旅行にでも行こう。

君の夫ダリル

ダリルはこぼれ落ちる涙をぬぐいながら、その紙をきれいに洋封筒に入れて、部隊の郵便箱に放り込んだ。そしてその足で前線へと自ら向かい、戦場で我が人生を終えようと支度を進めていた時のことであった。他の戦地からの通達で、国で開発された最新鋭の戦闘機の活躍により戦況はみるみるうちに優勢になり、敵国はその勢いに敗れ降伏したとのことだった。ダリルは耳を疑った。前線から撤退した時も然り、間一髪自分の身を捨てる前にその報告を聞くことができた自分はなんて幸運なのだろうかと思った。

 手紙が配送されてからのこと数ヶ月が経ち、無事にダリルは帰国することができた。家へ到着するなり恐る恐る玄関の呼鈴を鳴らすと、妻のジュリーが出た。

「はい、どちら様でしょうか?」

「僕だよ」

「はい?どなた?」

「僕だ、ダリルだ」

「あ、あなたなの?ダリルなの?」

と泣きじゃくるような声が機械の向こうから聞こえてきた。私はようやく家に帰ることができたと安堵した。

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