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脱学校論

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デジタル社会が発展する中、既存の教育の価値は崩壊しつつある。社会主義的教育制度から自由主義的教育への変化とそれが生み出す価値について発信してます。
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勉強がつまらないと感じるのコミュニケーションの問題だ

 教育とはコミュニケーションである。学校におけるそれは教える側である教師と教わる側である生徒とのコミュニケーションという意味だ。ゆえに生徒が教わる内容について理解できるかできないか。またどのような感想を持つかは教員のコミュ力に委ねられている節がある。

専門学校生と話していると「私もオリラジのあっちゃん(中田敦彦氏)のyoutubeで勉強してたら、絶対高校の成績よかった」と言っていた。私は彼のファ

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教員の教えることや教科書が学問の全てではない

 義務教育の記憶をたどると教科書の音読と解説、そしてドリルで演習。これの連続でしかなかったように思え、私はこれが現在の生活で活きているとは到底思えない。

私の読書力は教科書の音読ではなく中学以降にはまった幾多のライトノベルによって培われ、それは現在小難しい本を読み理解することの糧になっている。決して小学校以降の国語の授業によって養われたものではない。

四則演算は現在でも活用するが、公文に通って

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オンライン化によって学費は下げられる

 オンライン教育が進んだことによって学生は学校に行かずとも学業を行えることが明らかにになった。これは教室が絶対必要とされたこれまでの固定観念が変化するきっかけになったと考えられる。

コロナ以前の教育は教員と学生が同じ教室の中で共存し、教育を受けるというスタイルだった。教員も学生も教室までの移動が必須であり、さらに必ず教室という空間が必要だったためその分のコストが生じていたわけである。教室を利用す

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偏差値という指標に意味はあるのか?

 受験の季節になると必ず気になることは偏差値なる指標に意味があるのかということだ。

偏差値は高い学校と低い学校で階級を意図的につくり、低偏差値の学校が必然的に高偏差値の学校に比べて提供している教育水準が低いという風に認識されることに繋がっているのではないだろうか。そしてそれぞれの学校に関する認識に誤解を与えているのではないだろうかと私は常々疑問に感じていた。

偏差値絶対主義は決して生徒や学生を

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実体なき教室が人間関係のいざこざを解消する

実体なき教室が人間関係のいざこざを解消する

 教室とは一種の牢獄だ。そこには一切の自由がない。また目に見える人間関係によって人々は委縮してしまう。教師と生徒の関係から教師間の関係、生徒同士の力関係など。これは結果として自発的ではあるが「空気を読む」という人間関係の委縮を生み出し、生徒たちの可能性を著しく殺す可能性があることが言える。

学校においては実体があることによる弊害が多いということに多くの人が気づいてはいない。集団行動というものは一

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