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「平成31年」雑感10 「無差別大量殺人による救済」の論理

▼オウム真理教が用いた「論理」を確かめる、前回のつづき。

▼フォトジャーナリストの藤田庄市氏の論考をもとに考える。「世界」2018年9月号から。適宜改行。

前回、「殺人が救済になる」という論理を紹介した。麻原彰晃が坂本弁護士一家3人を殺すよう命じた時も、同じ論理だった。

1989年、つまり「平成元年」のことである。

〈麻原は殺害命令に際して、「(坂本に)これ以上、悪業を積ませてはならない」と言明した。つまり、この殺害行為は、地獄に堕ちないよう救済のために殺すことであり、早川、新実にとっては解脱のための修行、宗教実践なのだった。これは田口事件も同様である。彼らは瞑想などによって地獄をリアルに感じており、殺人に救済の強い動機を見出していたのだった。〉

▼殺人が、相手の救済になるだけでなく、自分の修行でもあったわけだ。この論理の意味は、「世俗」の論理で解き明かすことができない。実行犯たちは、見ず知らずの家族を、その赤ちゃんを、殺したのだ。

判決に、入信前は「純朴」とか「善良」とかの言葉がある彼らが、なぜ、一歳の子、奥さんもろともに殺すことができたのか〉という藤田氏の疑問は、少しでもオウム真理教の事件を知っている人なら、誰でも思うものだ。

▼その理由は、以下の通り。

〈それにしても、赤ん坊まで殺害するとは、どういうつもりだったのか。

縁が深くなれば救済できる。奥さんたちが悪業を積んでいるか積んでいないかは二次的なこと。菩薩(麻原)と縁をつけ、輪廻せず、そこから脱出できるなら、一瞬の死の苦しみのほうが、未来に味わう苦しみを考えたとき、そのほうがよいのではないかと考えました

 新実の法廷供述である。躊躇(ちゅうちょ)やかわいそうという人間的な気持ちや良心はどうだったのか。早川は「それはあった」という。だが、「自分自身の考え、観念、善悪の観念、あるいは人間的な気持ち、情、そういったものがあれば、それが障害となってグルから神聖なエネルギーというものは入ってこない」

「だからその殻をつぶす。自分で放棄する、自己を明け渡す、こういう訓練をオウムでは必死になってみんなでやっているわけです。ここが非常に一般の組織とは違うところだと思います」〉

▼「平成」に入った当初、オウム真理教には人気があった。「麻原彰晃尊師」と「ビートたけし」の対談がテレビで流れ、とんねるずの「生でダラダラいかせて!!」の生放送に「麻原彰晃尊師」が出演した時には、会場から黄色い声援が飛んでいる。「生ダラ」が始まったのは1991年である。

「今」の視点でみれば、とても信じられない光景だし、テレビ業界は一切「なかったこと」にしているが、これらの映像は先ほどYouTubeで検索したら見ることができた。平成生まれの人は、これらの映像を見れば「当時」の雰囲気が少しわかるだろう。

▼オウム真理教が社会的にもてはやされていく過程で、教団内部では以下のような論理が確立していく。

〈坂本事件の翌1990年2月、オウムは総選挙で惨敗する。4月、麻原は幹部を集めてマハーヤーナ(大乗)の普通の布教ではなくヴァジラヤーナでゆくと宣言した。その意味はこうだ。

現代人は悪業を積み続け地獄へ堕ちる。その彼らを救済するには彼らの命を絶ち、麻原がそのカルマを背負いポアするしかない。

ポアのポイントはここにある。麻原一人が人の死に時を見切ることができ、その者と縁をつけ、カルマを代わりに負い、高い世界へ転生させるのである。ここに無差別大量殺人すなわち救済という信仰内容が確立した。その実現のために理科系の高学歴者が集められた。

 地下鉄サリン事件の深層を以上の観点からあきらかにするとこうなる。強制捜査の矛先をそらすというのは時局的かつ表面的な動機だった。事件の底を流れる宗教的動機は無差別大量殺人による救済だった。

「麻原彰晃尊師」がビートたけし氏と対談したり、とんねるずの二人と歓談したりしてからしばらく経って、「無差別大量殺人による救済」の現実が、誰の目にも明らかになる。(つづく)

(2019年4月21日)

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