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墓閉めの法話ー無常・無我・苦の三相ー
お墓を閉めてご遺骨を移すということは近頃多いことです。
お釈迦様は「諸法は縁に従って生じ、縁に従って滅す」(法身偈)と仰いました。
何十年何百年か前にご縁があってお墓を建てた。
その時の縁に従ってここにお建てになったわけですね。【無我】
いま縁に従って滅す。つまりお墓のお性根を抜いてお骨を移す。
お骨を移すということもまたこの度の縁に従っているわけです。【無常】
お釈迦様はだからそれを悟れ
不条理な時には「祈り」
自分がどうすることもできない不条理な事態においてこそ、「祈り」ということの大切さがわかります。 それは、他者の安穏を祈ると同時に、自分の心を安らかにします。
「私は幸せでありますように 私の悩み苦しみがなくなりますように」
「私の親しい生命が幸せでありますように 私の親しい生命の悩み苦しみがなくなりますように」
生きとし生けるものが幸せでありますように 生きとし生けるものの悩み苦しみがなくな
離檀料の事、附けたり墓終いの事。
テレビで離檀料のことが報道されています。
離檀というのは檀家を辞めることですが、私見ではこれは跡継ぎがいない家の墓終いとリンクしています。
私見では、お寺の側は悠久の時間の中で物事を考えています。ですから先祖代々そこにお墓がある家は、そのままそこにその家のお墓があるのだと感じるのです。
また先祖代々のお付き合いがあると考えていると、そこの家のお祖父さんもその前もずっと自分のところで引導を渡したと