うまく書けなくたって、いつか自分の文章を愛おしいと思える時が来るから

2020/4/26 メモ 思ったことの羅列です

ノートのいいところって、公開した後からでもいくらでも、編集できるところだな。毎日更新心がけてる人からすれば余計、ちょっと消化不良だけど、ひとまず今日中に出して、明日のすっきりした頭でもう一回書き直そうみたいなのできるからいいね。自分の中での完璧を目指さなくても、いくらでも後でアップデートをするチャンスがあるってことがわかってるだけでも、投稿するハードル少し下がる気がする。

文才がなかったり文章を書くことに苦手意識があるからこそ、キレイに整った文を書けるようになりたいと、その手法を学ぼうとするんだろうけど、自分の文章のクセすらも愛おしいくらいになるときがくる気がする。書き続けていると。

社不のポテンシャル高いと言われどこにもお前は就職できないと中学生のころから親に言われて、ついに就活をする大学4年になった今、その市場から必死に逃げようとしているけど、文章下手と言われつづけ、国語という教科から逃げて続け、国語力は底辺のまま大学受験を迎えやっぱり私国語できないわと自分で納得してしまったけど、それって結局、苦手意識を先に根付かせちゃったゆえに、国語の勉強をする機会を減らしてしまったから、伸びなかっただけで、自主的に好きでこうやって文章書いてる今、上手いとは一ミリもさすがに言えないけど、別に目も当てられないほどの下手だとも思わないし、苦手意識も薄らいできつつあるから、思い込みゆえの行動によって、思い込みであったはずのものを事実としてなってしまいかねない、みたいなところ人間大いにあると思う。何が言いたいかって、わたしだって、案外、就活始めてみれば、自分がそこまで苦しむことなく生活できる領域も社会にあって見つけられるのではということ。思い込みゆえに、見つけることからすらも逃げてしまっているから、見つける努力をせずして、ほらやっぱりないじゃんと自分に言い聞かせてるだけなのでは。今の状況って。虚像は思い込みによって実像へと変わる。でもそれ、本当は虚像だったからね。


動物適合者としてヤリマンは胸をはればいい。ヤリチンって、ヤリマンほど社会的制裁を受けないし、男の人って、ある一定年齢までであれば(?)、ヤった数がある種のステータスになりうるけど、女の場合はまったくそんなことはなく、簡単にやれるビッチを好みつつも、本命の枠だとか人間の枠には入れてもらえない感じ、あれなに。

それ全然普通じゃないよ。やっぱり普通のことをするのに労力量は人によって異なる。

親との意見の食い違いはあなたが成長した証

最近気づいちゃったんだよね。生きることに意味もないけど、病んでても意味のないことに。

死という最大幸福がなぜ終末にやってくるのか

研究って新規性や独自性を求められるんでしょ?私にぴったりじゃん

とはいえ私の口は塞がらないんだけど

意味ないというか、そんだけ逆風がどれだけ吹き荒れようとも、気にせず突き進んじゃうくらいの人だから、その時点である種のマイナーなカテゴリーには入ってしまうのでは?だから、就活でも変人扱いされるのでは?

社会科学の院進率2パーセントだいだと?文系ですら風当たり強いのにジェンダーだなんて。だからこそじゃん?それを気にせずできるの私だけじゃん?

時間を割いたものは無駄にはならないぞ

痛いと思われても今の感情すべてを書き記したい。だって今の思ってること全部全部この時期の味の一つじゃん。70代じゃ思わないことじゃん。懐かしむための材料じゃん。


私なんぞにご支援いただける方がこの地球上におりましたら、もう控えめに言ってあげみざわエクスプローションします。