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思い出ポロポロ

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記憶は人生の道標だ。記憶を辿りながら先の見えない人生の光を探しています。
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グアバの実を収穫して感じた「考えて行動すること」が最強説

グアバの実を収穫して感じた「考えて行動すること」が最強説

「考えて行動する」が最強?

当たり前じゃないかと思う方もいるかもしれませんが、コトクは「考えないで行動する」派だったので、それに気付いた時は目から鱗でした。

数時間の出来事でしたが、人生が詰まっているなと思った経験をしたので共有します。

うちの病院の図書室の窓から中庭に生えているグアバの木が見えます。(さすが南の島!)

そして季節外れの美味しそうなグアバの実がなっていました。

図書室にい

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医学部を目指す高校生の君へ。10年後の僕より。

医学部を目指す高校生の君へ。10年後の僕より。

「コトクは良い医者になるよ」

高校生の時に先生からもらったその言葉が今でも僕の宝物になっています。

その先生から直接僕は教えてもらったこともないし、担任だったこともないけど一個下の学年の先生で何となく知っていた。

高校3年生の受験前

親からは「そんなに遊んでて受験受からないわよ」と言われ

物理の先生からは「コトクには絶対無理だよ。もっと下の大学にしたら?」

と言われるくらい出来の悪い高

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300円しか持ってません

300円しか持ってません

友達の嫁が「居酒屋の前で『300円しか持ってませーん』とか叫んでる酔っぱらった大学生本当、嫌いだわ。」と言った時

それ俺やん。

大学生の時の俺やん。

ってなって、グッサリ刺されました。

今は全くお酒が飲めなくなってしまったけど、大学生の時はお金が無いくせに飲み会に顔突っ込んでは、潰れて支払いもできず、後輩や友達がお金出してくれて、次の日、二日酔いの状態で平謝りをして、そのまま飲み会に行って

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こんまりさんにときめかないなら捨てろと言われて

こんまりさんにときめかないなら捨てろと言われて

昨日、コトクは引越しを終えました。

引越しする時に、いつもは断捨離する時間がなくて惰性で連れて行ってしまった洋服たちと今回はじっくり向き合いました。

こんまりさんにときめかない洋服とはお別れをしなさいと言われたため、ひとつひとつ手にとって、その洋服との思い出をひとつひとつ再体験する作業を行いました。

20歳まではずっと古着屋さんで買った1000円くらいのボロボロの服を着ていたのですが、20歳

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お墓の中のお花屋さん「いらっしゃいませ。どんなお花をお探しですか?全部ですか?追加ですか?」から見えてくる「町づくり」や「地域おこし」に通じるもの

お墓の中のお花屋さん「いらっしゃいませ。どんなお花をお探しですか?全部ですか?追加ですか?」から見えてくる「町づくり」や「地域おこし」に通じるもの

先日、お墓参りに行ったときに、僕の前に来ていた方が綺麗なお花を既にお供えされていました。

コロナの影響で、今年のお盆は親戚で集まらず、それぞれが時間ある時にお墓参りをする様になりました。

そのため、お墓は常に綺麗で、誰かしらが、いつも来ている様で、ご先祖様も喜んでいると思います。

コロナ、”たまには”やるじゃん。

皆さんはお花屋さんと聞いてどんなイメージがありますか?

駅前や商店街で、地

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島に映画館を作る

島に映画館を作る

島に映画館を作りたい。

小徳は小学生まで茨城県の北部、今は合併して無くなった”瓜連町”という小さな町で暮らしていました。

毎日田んぼでザリガニを取り、畑で火遊びをして、竹やぶで秘密基地を作って、5時のサイレンで家に帰る。いわゆる野生児でした。

小学5年生の時に神奈川県の”逗子”に兄や姉の進学のため引っ越しました。

都会の子たちは綺麗な標準語を喋り、男の子も女の子もおしゃべりで、彼女がいたり

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はじめて20歳で自分の気持ちを家族に伝えた時

自分はいつ頃からか、「自分が思ったこと」や「自分の出来事」を親に、特に母親に、正直に伝えたことがなかった。

自分は小さい時から、少しADHDのため色んなことに好奇心が旺盛だった。好奇心が旺盛だけど、未来の予測能力がかなり低いため、毎回最悪な結果になった。あらゆるイタズラというイタズラを行い、先生や大人にバレて怒られて、その度に母親が大激怒するのが日常だった。

おばあちゃんの家の小さい池にバスク

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犬のお巡りさんにはワンワン泣くのではなくて「つらかったですね」って言って欲しかっただけなんです

犬のお巡りさんにはワンワン泣くのではなくて「つらかったですね」って言って欲しかっただけなんです

今の私なら、子猫ちゃんが犬のお巡りさんから何聞かれてもにゃんにやん泣いてた理由がわかります。

小学校の頃は、なんだこの猫ちゃんは、甘ったれるな。まあ、子供だからしょうがないか。

くらいに思っていました。

「犬のおまわりさん」

まいごのまいごの こねこちゃん
あなたのおうちは どこですか
おうちをきいても わからない
なまえをきいても わからない
ニャンニャン ニャニャーン
ニャンニャン ニ

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転校生には負けられない意地があるのよ

転校生には負けられない意地があるのよ

コトクは転校生でした。

茨城の瓜連という田舎町から小学校の時に神奈川県の逗子というザ・湘南の街に引っ越してきました。

自分が都会の人になったことを自覚したのは、横断歩道の赤信号を渡った時です。

瓜連で赤信号を無視したら、次の日の朝の会で誰かにチクられますが、この街では僕が赤信号を渡ろうが誰も興味はありませんでした。

転校生には2つの試練が待ち受けています。

一つ目は、何故かモテることです

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飯田橋の名画座「ギンレイホール」は僕の実家のコタツの様なところでした

飯田橋の名画座「ギンレイホール」は僕の実家のコタツの様なところでした

大学生の頃、僕は夢も希望も見失っていた。

高校生の時、離島医療を志し医学部に入学したが、入る大学を間違えてしまったのだ。

日本には82校(国立大学が42校、公立大学が8校、私立大学が31校、そして防衛医科大学校の1校)の医学部があるが、地域医療や離島医療を大学として前面に出しているのは沖縄や長崎など南の方か、北海道などの北の方でした。

僕は親から家から通える国立大学にしなさいと、御茶ノ水のど

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ニューヨークで5ドルで買った愛が僕の一生の支えになった話

ニューヨークで5ドルで買った愛が僕の一生の支えになった話

僕はニューヨーク図書館のお土産コーナーで平積みにされた”愛”を買った。

”愛”に飢えていたからだ。

一生に一度で良いから人を愛してみたいし、愛されてみたいと思っていた。

当時僕は24歳で、トガりにトガっていた。

漫画もやしもんに憧れて、アメリカをニューヨークからスタートして、JAZZ発祥の地のニューオーリンズを経て、世界一イかれた街ラスベガスまで旅をした。

トガっていたコトクは、アメリカ

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「変な感性」〜君のその『変な感性』を大人になっても、信じてあげてください〜

「変な感性」〜君のその『変な感性』を大人になっても、信じてあげてください〜

君は今どんな夢をみていますか?どんな大人になりたいですか?中高男子校という不思議な世界で育った、君の感性は社会に出たらどういう風に写るだろうか?


僕は28歳になるけど、まだ夢をみています。夢をみて今、縁もゆかりもない鹿児島でDr.コトーを目指して修行中です。


僕らは高校2年生の修学旅行で熊本、長崎に行きました。正直、他の高校が海外とか行くのに、ダサいなあ、と思いました。

でも、

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僕と妻はたまに地図を描く

僕と妻はたまに地図を描く

僕は結婚するまで、「行き先が崖のジェットコースター」に乗って景色を楽しむ間も無く、棺桶にまっしぐらの人生を歩んでました。

結婚してから、速度を落として妻と二人で快速急行くらいの電車に乗り換えました。

ただ、結婚式から1週間後に鹿児島から長崎県の五島列島に引越し、その1年後にはオーストラリアの僻地に行き毎月の様に飛行機に乗ってオーストラリアの離島、僻地をグルグル回りました。

オーストラリアから

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育休を取り始めて3日が経過しました〜義母の抜けた穴は大きく、僕たちはすでに小さな怪獣に負けそうです。

育休を取り始めて3日が経過しました〜義母の抜けた穴は大きく、僕たちはすでに小さな怪獣に負けそうです。

娘が生まれて、退院してからは義母がきてくれてご飯を作ってくれたり、部屋の片付けをしてくれました。

そんな救世主の義母は仕事があるため、一昨日ついに帰ってしまいました。

残された僕たちは、義母が作ってくれた土鍋いっぱいのおでんはあっという間に食べ尽くしてしまいました。

そして一昨日から育休を取り始め、少しでも義母の穴を埋める努力を開始しました。

育休と言っても、チキンな僕は午前中は仕事して午

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