支援の型にはまらないひと

皆さん、こんにちはー

元気ですかー?

私は、寒暖差にやられて不調気味です😓

さて、私は福祉学生をしています。

大学(通信制課程)で、
この2年間
社会福祉の考え方や歴史、精神保健福祉、医学などを学んできました。
春には3年生に進級する予定です。

さて、原点に戻ります。

大学の志望動機を思い出してみると、そのひとつは
¨母がどうして福祉的支援を望まなかったのかを知りたい¨でした。

通過点ではありますが、
少したどり着いた気がするんです。

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¨支援論(≒支援の型)¨ってあるじゃないですか。

¨自立ってこうだよね¨
¨時間や場所の制限、支援の枠組みってこうあるべきだよね¨
¨健康的な人の思考・状態像ってこんな感じだよね¨

上記のような考え方に、納得して従える(援助者の目指す状態像に向かってゆける)ひとはまだいいのかもしれません。

では、

支援の型にはまらないひとたちはどうでしょうか?


援助者(医療従事者・福祉従事者・行政)の掲げる 又は WHO、ICD-11やDSM-5が定める
健康的な状態でないと、ずっと支援を受け続けなければいけないのでしょうか?
本人に選択の余地はないのでしょうか?

ここからは私の母を一例に挙げ、お話を進めていきますが
母のように、援助者とのつながりを切りたいタイプのひとがいます。
援助者に繋げても、
そのつながりがなくなったら調子が崩れることを周囲のひとが想像するに易しい状態であっても
「心療内科に通うのをやめようかな」「訪問看護やめようかな」「わたし、セルフネグレクトなんだよね」

このループを数か月、数年
ぐるぐると繰り返す
ひとがいます。

私は血縁上も戸籍上も娘ですが、
こればかりは本人に意思がないなかでつなぎとめるのは難しいと考えています。

本人が病識を持てるようになるまで
繋ぎとめるのが正義なのでしょうか?

母は病気なのでしょうか?

たしかに、
①下手な嘘をついて本人なりに隠し通します。
②毎月のトラウマ治療を終えたときは、1~2時間脱力して動けなくなると聞いています。
③5年も前の話を、今体験したかのように話します。
④「こうしようと思ってる」「あれはやめておこうかな」言っていることは、コロコロ変わる傾向も見られます。
⑤未練タラタラな話を延々することもあります。

最近、私はこんな風に受け入れるようにしています。


①下手な嘘をついて、つじつまが合わなくなるのは
いつものことです。
隠し通そうとするのは本人としては娘の私を守るためと思って、言わないようにしてくれているのだろう(母なりにわが子を巻き込まないように努力しているのではないか)と捉えるようにしています。

誰にでも共通することですが
起きた出来事、感じた感情 全てを明かせばいいというものではありません。

②心療内科に通っている(○○さん:母)は、本当のことを言わなければいけない(嘘をついてはいけない)という認識で、もしも母に援助者の方が接しているとしたら、母が抵抗感や拒否反応を示すのは自然なことだと思います。

たしかに、援助者に提供される情報が より正確な情報であったほうがプラスでしょう。
一方で、誰しも、秘密は持つものという視点も持ちたいものです。


脱力に関しては、発作自体は問題でないと思います。
私もカウンセリングに毎週通っていた小・中・高生の時、終えた後はへとへとで送迎の人を必要としていたくらいですから。

何より、待合室で休憩させてもらうという対処行動がとれているようなので、はなまるです。

③に関しては、複雑性PTSDの特徴ですよね。

母の周りを囲む援助者の大半は、母が無自覚に同じ話を繰り返していると「その話、またするんですか」と怪訝そうな態度に変わるそうです。
その態度を見て、本人なりに傷ついたり、感じることがあるんじゃないですかね。

私が同居して一緒に面談を受けていた頃、
援助者は公的サービスを紹介したり、どういう風に行動するとよいか助言をしたりといったアプローチを母に行っていました。

しかし、母は拒みました。
援助者は腹を立てた様子でした。毎週訪問しても、変化が見られない。同じ話を聞かされるだけで改善されない。もどかしかったのでしょう。


どうして、母は拒んでいたのでしょう。

私はこんな風に推測します。

支援を受けて生活を送りたいか/受けないなかで生活を送りたいかの意思、考えたり決定したりするタイミング、それらは『母の中で答えがあるから』と。

母は傍から見たら不安定です。
状況に左右されやすく、
安定した人間関係を構築することは苦手なようです。

本人のタイミングを待っていたら
危険な行動をしてしまうかもしれません。

支援を打ち切ったら
生活がまわっていかなくなるかもしれません。

見守るひとも、
救急車を呼ぶひとも、
いなくなります。

それがある意味、一人暮らしの怖いところです。

でも、どちらがいいのでしょう。
私にとって母にかける最善とはなんでしょう。
安定が正解なのでしょうか。

母にある選択肢①
いやだなと思いながら、支援の型に合わせて、援助者の反応や顔色を見ながらこの先の人生を送る。本来の個性や長所はつぶれてしまう可能性が高いが、将来安定した生活が送れるかもしれない

母にある選択肢②
心療内科や訪問看護などの支援を一旦打ち切って、行きたい場所に行きたいときに行く、症状への対処は自分でしなければいけないし、人に話したら心無い言葉もかけられるけれど、今を優先してのびのびと暮らす


ちなみに、私は17歳のとき、①を選択しました。
このままではいけない、社会に適応したいと覚悟を持って実家を出ました。
反抗期や中二病をいつまでもこじらせている自分を俯瞰していて、イタイやつだなと思っていたことも関係しています。

でも、母に関しては②でもいいと思うんですよね。
現にフルタイムで働くことができています。
それに、人それぞれじゃないですか。
「食事療法で持病が改善されました!」「地方に移住して考え方が変わりました!」いろいろなひとのお話を見聞きするなかで、

なーんだ、なんでもありなんだな。苦笑

なんとでもなるんだな。

ということを実感しました。

本人が望んでいないのに
福祉や医療に押し込めていたのは、わたしのほうでした。反省。


病気だから治療を受け続けなければいけない。
障害があるから支援を受けなければならない。


そんな思い込み/刷り込みに気づいた今日この頃でした。
それは、大学で福祉やその他科目を学ぶなかで感じた違和感が
教えてくれたものでした。

先生、画面越し オンデマンド授業で
問いかけ続けてくださって
ありがとうございました。


長くなってしまいましたが
支援を望まないひともいるかもしれないよというお話をさせていただきました。


2024.2.6(金) 律(りつ)

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