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【書評】カミュ『ペスト』を再読。不条理なこの世界で闘え!!

ロッシーです。

ほぼ3年ぶりに、カミュの『ペスト』を再読しました。

3年ぶりに再読

私のAmazonの購入記録を見ると、2020年の4月に本書を買っていました。

「緊急事態宣言」が発令されたのが同月の9日でしたから、まさにコロナが本格的になった頃ですね。

そして、緊急事態宣言下で、本書は古典としては異例のベストセラーになりました。

そんな当時の記憶を思い起こしながら、ほぼ3年ぶりにじっくりと再読しました。

ペストという災禍に襲われた際の個人や社会のふるまいについて、非常に的確な描写がなされていることに、あらためて驚きました。

当時『ペスト』を読もうと思った人達は、そういった「災禍における知見」をこの古典から得ようと考えたのではないでしょうか。私もそうでしたので。

もちろん『ペスト』はそのような要望にもきちんと応えてくれる作品ではありますが、それだけにはとどまらない奥の深さがあります。

今回再読した結果、それを痛感しました。前回よりも理解は深まったように思いますが、まだまだこの作品から汲み取れるものを充分に汲み取れていないな、と感じずにはいられなかったので。

不条理なこの世界

この作品は、ペストという災禍に襲われた町の様子を描写しているだけの内容ではありません。

ペスト自体は、物語の登場人物をある種の監禁状態に置くための小道具のようなものです。

では、何について語っているのか。

それは作者のカミュ自身が終始テーマとしていた「不条理」についてです。その不条理を描くにあたっては、ペストに襲われた町という設定のほうが描きやすかったのでしょう。

逆に言えば、ペストがなくても(コロナもそうですが)、日常生活において、私達は誰もが不条理な世界に置かれているわけです。

私達は、わけも分からずこの世界に生れ落ちます。そしてその世界におけるルールは既に決まっていて多くの先行者がいるわけです。

後からそのような世界に突然闖入した私達は、必死でそのルールに適応しようとあがきます。でも、そのルールがどうやってできたのかの起源は分からないままです。

そのような世界で、自由に生きようと思っても、全員がそう思っている以上、自分だけ自由に生きれるわけではありません。

ほとんどの人は、毎日判を押したような生活を繰り返します。学校に通い、仕事をして、結婚をしたり、子供を産んだりして、そして老いて死んでいくのです。

そのような人生の過程において、この世界の仕組みについては海岸の砂粒程度の解明はできるかもしれません。しかし、圧倒的かつ広大無辺な無知の領域は明かされないままです。

人生に何らかの意味を見つける余裕もないままに、必死で生活をして労働をして死んでいく人もいれば、意味を見つけようと思える余裕のある人もいます。

しかし、結局意味を見つけようとしても、確固たるものは見つけられないため、お金と健康、そして仕事のやりがいに、どうにかして意味を見つけ出すしかありません

まさに、この世は不条理なわけです。ペストが来ようと、コロナが来ようと、それらがなかろうと、その本質は変わりません。

「一体この世界は何なんだ!」

その質問に満足のいく回答が得られることもありません。そして人はこの世界から去っていきます。

そういう世界において、どうやって人は生きていくべきなのか。

それをカミュは『ペスト』において描きたかったのだと思います。

安易な答えにすがるな

「これが正解だ」とか「こういう生き方をすればいい」というようなことは、この作品には書いてありません。

ただ、はっきりしているのは、

「この不条理な世界において、安易に答えを出すようなものにすがってはいけない。」

というメッセージです。

安易に答えを出すようなものとは何か?

端的に言えば、それは「神」です。

人は、不条理な世界に耐えられないものです。だからこそ、神という存在を創り出すわけです。

「この世界の不条理は、意味があるのだ。それは、神が与えた試練であり、神が存在することの徴(しるし)だからである。だから、この試練を神の恩寵だと思い受け入れなさい。」

こういうロジックです。

でも、世界が不条理だからといって、イコール神が存在するということにはなりません。

「神」という答えを出し、それにより心の平和を得ることはできるかもしれませんが、それを否定したのがカミュなのだと思います。

以下は、医師リウーと友人タルーのやりとりです。

タルー: 「なぜ、あなた自身はそんなに献身的にやるんですか、神を信じていないといわれるのに?(中略)」

リウー: 「もし自分が全能の神というものを信じていたら、人々を治療することはをやめて、そんな心配はそうなれば神に任せてしまうだろう」

神という、自分達の「上位概念」を設定し、それに頼るというのではなく、この不条理な世界で、自分達でできることを自分達の力で闘っていくことが大事なのだということです。

上位概念は神だけではない

「私は神を信じていないから大丈夫」

と考える人もいるでしょう。

でも、本当にそうでしょうか。

上位概念というのは、神だけではありません。

いわゆるスピリチュアル的なもの、YouTubeのインフルエンサーなど、そういうものだって上位概念になり得ます。

そういうものは、この世界を分かった気にさせ、綺麗な説明をつけ、あなたを安心させます(逆に恐れさせることもあります)。

念じれば願いは物質化するとか、お金持ちになるにはこうすればいいとか、この世界はあなた自身の意識が作っているとか、未来はこうなりますよ!という預言めいたものもあれば、これこれをやると健康を害する、世界はこういう悪の組織が牛耳っている、この事件は実は全て茶番である・・・などなど、色々なものがあります。

特に現代はSNSを使うのが当たり前ですから、フィルターバブルにより、自分だけの都合の良い「神」を創ることはより簡単になっています。

私達は、気が付けばそういうものに近づいて行ってしまうものなのです。

しかし、そういうものが本当に確証が持てるのか明らかに見極め、そして自分にできることをする。上位概念には頼らない。

そんなカミュのメッセージは、それがより困難になっている現代だからこそ、より一層重要度を増しているように思えるのです。

闘え!!

私達は、皆この不条理な世界で生きていく存在です。

この記事を読んでいる人もそうです。

そして、不条理な世界は私達には手に余る強大なものです。

しかし、だからこそ不条理から目を背けて安易に解決を図ろうとしてはならないのでしょう。

不条理なこの世界で闘え!!

本書を読んで、カミュにそう言われたような気がします。

「人間が唯一偉大であるのは、自分を越えるものと闘うからである。」
 by アルベール・カミュ

コロナもだんだん終わりが見えてきた今だからこそ、もう一度『ペスト』を読んでみてはいかがでしょうか?

また違った印象を受けると思います。

最後までお読みいただきありがとうございます。

Thank you for reading!

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